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第81話 幕の開く前

 舞台を朝一番に『掃除そうじ』に行くのは誰もが嫌がるので、このところすっかり三九郎の役目となってしまっている。

 そんなのへっちゃらさ、だって、お松さまも、おいらの働きを認めてくださっていて、

「いつもご苦労だね。」

って声をかけてくださる。小さな姫さま方も、おいらを座の一員だと認めてくださるんだもの、『掃除』がどんな嫌な仕事だって構うもんか。

 故郷の甲斐を遠く離れて、明日あしたどうなるかもわからないぐさらしだったが、三九郎は満足だった。

 彼は物心ものごころついてからというもの、爺さまとたった二人でわらき屋根から雨漏あまもりがする()()()に住んでいた。朝から晩まで働いても、食っていくのがやっとの、地をいずり回る虫けらのような暮らしだった。爺さまが死んでからは、彼のことを気に留めてくれる人など誰もいなかった。それが今では、雨風をしのぐ家があった。美しい音楽が鳴り響き、華やかな踊りが繰り広げられるのをたりにすることが出来た。毎日毎日、お祭りのようだった。

 だが、朝だけは、その美しい光景の裏にある、この場所の本当の姿が、はかなくも露呈ろていされる。

 だから、と三九郎は思う。

『掃除』するのは、おいらが適任なのさ。姫さま方にお見せしちゃあいけねえ。あの、みにく無残むざんな光景を。

 三九郎は足早に歩いて、河原へ下りていった。

 芝居小屋の入り口にかかるむしろをパッとはねけると、最初に足を下ろす地面をまず、確かめた。以前、そこに広がっていた汚物のまりに、まともに足を突っ込んだことがあるからだ。

(ひい、ふう、みい……うえっ、今日は多いや)

 まず、桟敷さじきの端で丸くなっているかたまりを足で軽く蹴飛けとばしてみる。そいつは、小さくうめきながら、()()()()い回って逃げようとした。

「おい、もう朝だぜ。ねぐらへ帰んなよ。」

 死んでない奴は、自分で出てってもらったほうが楽だ。

 三九郎は別のを足でつついてみる。さっきのは酔っ払いだが、こっちは病人だ。

(くわばら、くわばら)

 何の病か知らないが、青白くふくれ上がっているその皮膚ひふになるべく触れないように気をつけながら、河原のほうへと引きずっていった。

(元居た場所へお帰り。かわいそうだが、おいらにゃ、どうしてやることも出来ねえ)

 世の中が安定して、戦で焼け出された人々は、活計たつきの道を見つけて次々に河原を去っていった。だが世間の復興から取り残された人々もいた。この時代、病や貧乏は前世ぜんせの悪業のむくいだと考えられていた。直らない病にかかったら最後、身分の低い者は捨てられた。その捨て場所が河原だったのだ。昼間、華やかな歌や踊りが繰り広げられる小屋だったが、夜中になると、死にかけた者たちが夜露よつゆをしのぐ場所を求めて入り込んだ。連中を朝、追い出すのが三九郎の『掃除』だったのだ。

 三人目はつついて調べるまでもなかった。目をむき、硬直こうちょくした身体を、両足を持って河原へ引きずっていった。そのうち坊さんがやってきて、けずって作った小さな卒塔場そとばを置き、念仏ねんぶつを唱えて火葬してくれるだろう。

 それにしても今日は、入り込んでいる者が多い。早く片付けなくては、皆が来てしまう。

 三九郎は舞台に上がっていった。

 中央には派手な衣装を身に付けた女が倒れている。ぴくりとも動かない。

(死んでる)

 着物に目を留めた。高価そうな品だ。ちょっと裂けてはいるが、

(古着屋に売れるかも)

 元気なときは忠実に働いていた召使を河原に捨てていくのに、さすがに良心が痛むのか、主人の中には自分のお古の良い衣装を着せたり、ふところに何がしかの銭を入れてやる者もいる。

 うっかり伸ばした腕を、爪の伸びた青白い手でぎゅっとつかまれて、三九郎はギャッと声をあげた。

「た、助けて……。」

 ざんばらな黒髪の間から恨めしげな白目で見られて、三九郎は尻餅しりもちをついてしまった。振りほどこうとしても、女は三九郎の手をつかんだまま、放さない。

「よ、よせ、さっさと成仏しろ!」

「お願い、銭を、銭をあげるから、た、助けて、死にたくない……。」

 女はふところをまさぐり、震える手で銭を差し出した。

 三九郎はその手を振り払った。

 ちゃらん、ちゃらん、と音がして、銭が四方しほうに散らばった。

 女はそれでも手を放さない。

「放せーっ!」

 三九郎は叫ぶと、ふところから取り出した小刀を振るって、女の手に切りつけようとした。

「おやめなさい!」

 いつの間にか、舞台のそでに立っていたのは松だった。手には今日、舞台で使う造花をいくつか持っている。

「姫さま……。」

 ささやくように呼びかけたのは女のほうだった。

 松は憮然ぶぜんっ立っている。

 分厚ぶあつい化粧がげ落ちて、女の顔はまだら模様になっている。

 その顔に出ている腫瘍しゅようを見て、松はつぶやいた。

「そう、とうかさね。」

 唐瘡、今でいう梅毒ばいどくである。

 新大陸発見以来、南米の風土ふうどびょうだったそれは、あっという間に全世界に広がっていった。遊郭ゆうかく流行はやり、全身に腫瘍しゅようが出来、しまいには痴呆ちほうして死に至ることは、松も知っている。

「当然のむくいだ、我らを見捨ておって。」

 三々(さんさん)五々(ごご)、集まってきていた一座の者が、いまいましげに言う。

「都合の良いときだけ寄って来おって。」

 男どもはわっと駆け寄ると、春日の四肢ししつかんで、軽々と持ち上げた。そのまま河原に運んでいくと、はずみをつけて川へ放り込もうとした。

「おやめ。」

 後からゆっくりついてきて、その様子を見ていた松がぴしりと言った。

 不機嫌ふきげんそうに命じる。

「家に運んでいって、私の部屋に寝かせておやり。」

 人々は唖然あぜんとし、次の瞬間、わぁっと一斉いっせいに訴え始めた。

「姫君、何ということを。」

「こやつは、我らを裏切ったのですぞ。」

「情けをかける必要などございますまい。我らの窮地きゅうちに、何の情けもかけてくれなかったやからではございませんか。」

「お黙り。言ったとおりになさい。」

 松はくるっと背を向けると、すたすたと土手どてを上り始めた。人々は仕方なく春日をぶら下げてその後に続いた。

 元侍女を自分の部屋に寝かすと、松は人々を下がらせた。自ら井戸に行って水をんでくると、手ぬぐいをしぼって、女の顔や手をきはじめた。

 もうだいぶ病状が進んでいるらしく、手足がしびれて麻痺まひを起こしているのを、松は見てとった。

(遊女になってすぐ、かかったのだ。随分ずいぶん、進行が早いようだ)

「気持ち良いこと。姫君、お上手ですねえ。」

 松がきびきびと手ぬぐいを絞り、手際てぎわよく身体を拭いているのを見て、春日はびるようにささやいた。

「昔ははしの上げ下ろしくらいしか、なさらなかったのにねえ。その頃は私が、姫君のお顔を拭いてさしあげていたんですよ。」

 随分とご苦労なさったんですねえ、と春日が目頭めがしらを押さえたとき、それまで黙って手だけ動かしていた松が、たまりかねたようにうめいた。

「お前は、みにくい。」

 春日が、はっと身体をかたくした。

 松は手を休めず、春日の顔も見ず、続けた。

「こんな病気にかかったことを言っているんじゃない。お前の生き方を言っているんだ。強い者、時流に乗っている者に尾を振り、その者が転落したらあっさり見捨て、又、別の強い者の元にいつくばる。何て醜いんだ。」

「……。」

「何故あたしがお前を助けたのか不思議だろう。昔の()()()なんかじゃない。あたしが一番苦しかったあのとき、お前がした仕打ちを、お前がどんなに卑劣ひれつ振舞ふるまいをしたかを決して忘れやしない。それでもお前を助けようと思うのは、あたしも醜いからだ。もう武田の姫君じゃなく、踊り子として他人様ひとさまから銭をもらって生活しているからじゃない。強い者になびき、弱い者を見下みくだし、楽な生活を求める。そんな心をあたしも持っているからだ。あたしも醜く卑怯ひきょうな人間だ。姉上が止めてくれなかったら、あやうくお前の誘いに乗るところだった。あのとき、あたしも、お前と同じであることを思い知らされたんだ。」

 松は又、手ぬぐいを絞って、春日の足を拭き始めた。

「あたしと暮らすのは、お前にとっても居心地いごこちが悪かろうよ。お互い、自分の一番醜いところをうつし出す鏡のような存在だからな。嫌になったら出て行くといい、一座の者に手出しはさせない。でもここに居る限り、あたしはお前の世話をする。決めたんだ、あたしは。もう目をそらさない、自分の弱さから。」

「置いてください、お願いします。」

 春日は涙をこらえて頭を下げた。

「姫君のお側に。」

 姫さまはどうしちゃったんだろう、と仰天ぎょうてんしたのは三九郎だけではなかった。

 自分を手ひどく裏切った女の命を助けたばかりか、家に連れ帰り、自分の部屋で、自ら手厚く看病してやっている。

 松は、春日の世話を一切いっさい、他人に任せなかった。

 家、といっても、川からそう遠くないところに立つ小屋で、松と二人の姫以外の従者たちは、男と女の部屋に分かれて雑魚寝ざこねしているのだから、これは破格はかく待遇たいぐうといえた。

 だが皆、いつまでもそんなことに構ってはいられなくなった。客のりが悪くなってきたからだ。

 理由は簡単だった。松の成功を見て、真似まねをする者が増えたからだ。

 著作権ちょさくけんほうなど無い時代だ。流行はやっていると見れば、何のためらいもなく次の日からでもそれとそっくり、いや、あつかましくもそれ以上、派手で強烈な出し物をぶつけてくる。

 松が、可憐かれんな少女を二人並べてしとやかに踊らせている隣に、厚化粧あつげしょうの遊女を十数人ずらりと並べて、当時流行り始めた三味線しゃみせん数丁すうちょう、けたたましく鳴らして、()()()()()()踊らせる。

「全く、ずうずうしいったらありゃしない。」

 松はかんかんだ。

「あんな高い楽器、うちが買えないのを承知しょうちで。」

 三味線は、当時(みん)から渡来とらいした三弦さんげんを改良した、最新鋭の楽器だ。目の玉の飛び出るような価格の楽器を数丁すうちょう並べて舞台に立たせるなんて、うしだてはさぞかし大店おおだなのお大臣かねもちと見た。

 松はあの音が嫌いだ。

 軽薄けいはくで、享楽的きょうらくてきで、何も考えていない音。

 まるで、武田の滅ぶ前の彼女の生活のように。

「うちの一座では絶対使わない、たとえ買えても。」

 それは同時に、彼女の一座が時代遅れになるかもしれない、ということを意味しているのだが。

 客も客だ。

 踊り子なんぞ、金さえ出せば夜のとぎも思いのままだと勘違いしている。

「えっ、ここの娘とは遊べない?ならいいさ、隣に行くよ。昼間顔見世(かおみせ)して、夜は()()()()お楽しみさ。木戸銭きどせん返せ!」

 つばいて出て行く者もいる。

 松の小屋は、日に日に客が少なくなっていく。

『天下一』と書かれたのぼりが風にはためく音も、何だか淋しげだ。



      挿絵(By みてみん)

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