第80話 白い鳥
慶次郎の謹慎は結局、三日と持たなかった。
店の前に派手な衣装で陣取って、人が通りかかると、締め出しを食っているわけを即興の歌にして、朗々と歌いながら、扇を開いて悠々と舞う。店はたちまち、黒山の人だかりとなった。
菊より先に、揚羽がキレた。
相変わらず、菊にくっついて南蛮寺にやってくる。
菊が教会の仕事をしている間、あちこち探検して回る。いや、ただ見て回っているだけでない。
「だっ、だめです、何、引っ張り出してるんですかっ?」
いつの間にか、工房の倉庫にまで入り込んで、中に置いてある物を取り出して、しげしげと眺めていたりする。
「これは何だ?」
慶次郎が広げているのは、畳三畳ほどの正方形の布の四隅に綱を結びつけた物だった。
ジョヴァンニはものも言わずに、慶次郎の手から布をひったくった。
一番奥に隠してあった物を、よくもまあ、目ざとく見つけたんだろう。
「上手く隠してあったけど、絵の道具じゃないんじゃないのか?」
痛いところをついてくる。
それに……いつからタメ口?
「何だっていいじゃないですか。あなた部外者でしょう。」
「これは帆布だ。風を受けるための布だ。それに綱が付いている。でも、ここに海も湖も無い。」
慶次郎は頓着しない。
「川で使うのか。いや、船が無い。」
一人で考察を進めていく。
「じゃあ、この辺で風があるのは何処か。それは……。」
ジョヴァンニは観念して言った。
「お察しのとおり、これは空を飛ぶものです。」
「凧か?でも、骨と尻尾が無いと、上がりにくいだろう?」
「逆です。下に下りる物なのです。」
あんたが時計の修理をしているところを見せてもらったことはあるが、と慶次郎。
「ほんと、何でも出来るんだな。」
「この綱の先に物を結びつけて、落とします。布が風を受けて膨らみ、地面に激突することなく、ふんわりと着地するという仕組みです。」
慶次郎は興味をそそられたようだ。
「すごいな。試したことはあるのか?」
「無いです、まだ。」
「じゃ、やってみよう。」
布を抱えて早速、外へでていこうとするので、ジョヴァンニは慌てた。
「ちょっ、ちょっと、やめてください。人に見られたら私が困ります。」
「なるほど、上長には内緒ってわけだな。」
慶次郎はニヤリとした。
「ンじゃ、行くぞ。」
布を抱えなおした。
「えっ?」
「あんただって試したいだろ?」
「私の話を聞いてなかったんですか?」
「折角作っても、飛ぶかどうかわからないんじゃ、宝の持ち腐れだろう。」
「ですが……。」
「一度、試してみればいいじゃないか。見るも無残な結末で終われば、こいつはおしゃか、あんたもきれいさっぱり忘れることが出来る。この場所に又、新しい秘密の品を隠すことも出来る、だろう?」
(なんて強引な)
結局、慶次郎に押し切られて、鴨川のほとりに来てしまった。
でも、本当に試してみたかったのはジョヴァンニであることも事実だった。
古い本で見た図面を基にして作った物だが、本当に飛ぶんだろうか。
慶次郎が責任を持つと言ってくれたおかげで今日は、いつも供をする同宿も居ない。
慶次郎の供の弥助にも手伝わせ、土手の上に布を広げる。綱の先に河原に転がっている流木を結びつけた。
最初は軽い物、そして徐々に重い物へ。
気候の変わり目で、やや風が強い。抜けるような青空の下、葦の茂みがざわざわと鳴っている。
布は何度も宙を舞った。
上手くいかないときは、何故上手くいかないか考え、工夫する。
慶次郎が述べる意見は素人ながら、いや素人だからこそか、なかなか的を射たもので、ジョヴァンニもいつしか夢中になり、日が西に傾いているのにも気が付かなかった。
「旦那さま、もうお帰りになりませんと。」
弥助が土手の上から声をかけた。
「よし、今日はここまでだ。又、明日な。」
慶次郎は、ジョヴァンニを手伝って手早く流木を外しながら言う。
「あんた、おもしろい奴だな。ただの教会の絵描きかと思っていたが。」
「いえ、もうお終いにしましょう。」
我に返ったジョヴァンニが呟いた。
「姫君が、あんたたちの教会では上長の命令は絶対だと言っていた。神に仕えるのに差し障りがあるからというわけか。」
「それもあります。」
いや、それよりも。
「今日は……楽しすぎたから。」
何のために日本に来たのか。
それは、あの男を追うためだ。
こんなことをして遊んでいる場合じゃない。
でも今日一日、教会のことも、絵のことも、あの男のことさえ忘れて過ごした。
何という開放感に満ち溢れた一日であったことか。
青い青い空に広がった白い布は、ジョヴァンニの心の中で今も、大きな白い鳥のように自在に羽ばたいている。
「あれはもう少し工夫すれば、人間も飛べるんじゃねえか。」
教会への道をたどりながら、慶次郎が言う。
「人間……。」
そこまでは考えていなかった。
ジョヴァンニはたちまち、その考えに夢中になった。
(人間が乗って飛ぶならば、もっと浮力を安定させなければ。それには、ただ布を大きくするだけじゃだめだ)
「じゃ、又明日な。早くやすめよ。」
教会の前で、慶次郎は、ジョヴァンニに布を返すと、きびすを返した。
「あっ、だからもう、実験はしないって……。」
ジョヴァンニが叫ぶのも気にせず、手を振りながら去っていった。
教会を出入りする信者たちがじろじろ見るので、ジョヴァンニは慌てて布を抱えなおして工房に戻っていった。
菊は、ジョヴァンニが慶次郎の姿を見るとそわそわし、連れ立って外出するようになったのに気が付いたが、全く不釣合いな二人が、何で気が合うようになったのかは、さっぱりわからなかった。
それも何だか人目を避けているようだ。
でも、二人が仲良くなるのに文句を言ういわれは無いだろう。
(ジョアンが勉強のために山口に行っているから)
菊は思った。
(お師匠さまもお淋しいのよ、きっと)
菊はこの頃、南蛮寺から頼まれた絵を完成した。
この絵が何を描いたものであるかは今日、記録には残っていない。しかしその絵を見た教会関係者の感想が、二、三残っている。いずれも、その作品がローマで作られたものと区別しがたいほど巧みだと驚き、褒め称えるものだった。
今日の研究によると、菊たち日本人画家の作品は、ついにヨーロッパ絵画の本質である合理主義、つまり解剖学的知識や陰影法の本質を教えられることなく、お手本とされた僅かな画をそのまま、型として学んだとされている。これは僅かな時間で、急激に増えた信者に配布するための画を量産するため、又、イエズス会の方針、『日本をキリスト教の他の宗派に触れさせることなく、ただイエズス会のみの指導の下に置こうする』などにより、やむをえない結果だった。
しかし菊は、少なくとも素人目には区別のつかない作品を完成させることに成功した。
又、菊はこの頃、キャンバスのみならず、日本人にとって馴染み深い屏風の形式で、様々な作品を描くようになったと思われる。
地図や都市図のみならず、西洋人の生活や日本の港に入る南蛮船、西洋の戦争や王侯貴族など、日本に入ってきたほんの僅かな小さな手本を頼りに描かれたとは到底思えないような、ダイナミックで大規模な作品が生み出されるようになっていった。
菊の絵は、他の画学生の作品と共にローマへ送られた。途中立ち寄る港で、海外の教会の神父たちにも見てもらったが、いずれも絶賛の嵐だった。
画学生たちを指導したジョヴァンニの名声は高くなった。
インドに居るアレッサンドロ・ヴァリニャーノからも手紙がきた。
それにはジョヴァンニの努力を褒め称えると共に、遣欧使節団がローマに入り熱烈な歓迎を受けたこと、そして帰国の途についたこと、使節の帰国の際には、自分ももう一度、日本へ行くかもしれないことが書かれてあった。
ジョヴァンニは自分が褒められるより、ヴァリニャーノが日本へ来るということのほうが嬉しかった。
日本に来たときには、ちょうど行き違いで会うことが出来なかった。
もしヴァリニャーノの言葉がお世辞でなければ、今度日本に来たとき会ってくれるだろう。
(さあ、来い)
ジョヴァンニは心の中で呼びかけた。
(お前に会うのをずっと待っていたんだ)




