第68話 孤児
前田家は、尾張の織田家に仕えた土豪{小領主}だ。居城を荒子城といい、二千貫を領した。
永禄三年、城主前田利昌が死去した際、家督は当時の慣習に従い、長男の利久に譲られた。
これに待ったをかけた人物がいる。
主君、織田信長だ。
信長は、自分にとって『役に立つ』『出来る』人物を重用した。慣習などに囚われていては、天下統一という遠大な目標に到達することは出来ない。その考えは、臣下の家督相続にまで及ぶ。利久は、信長の眼鏡に適う器量の持ち主ではなかったらしい。
信長が前田家の惣領に推したのは、四男の利家だ。当時流行の長槍が得意で、『槍の又左衛門』との異名をとる剛の者だった。しかしいくら主君といえども、何らはっきりした理由も無く城主の挿げ替えは出来ない。そこで信長は、利久の家族関係に目を付けた。
利久は、同じ家中の滝川一益の甥、益氏の元妻を娶っていた。ところがこの女は、前の夫の子を孕んだまま嫁いできた。利久は心の広い人物だったのだろう、この生さぬ仲の子を跡継ぎにすることにした。信長はこの処置を糾弾した。
あたら名家を、みすみす他家の者とわかっている子に継がせようとは何たる不届き。家を成すものは血筋である、血統である。女に血迷うてか、何たる軟弱者め、と、ののしって家督を取り上げ、利家に継がせてしまった。
利久はあきらめて主君の言に従った。
しかし収まらなかったのは、その妻だ。
荒子城をいよいよ明け渡す前の晩、城の門の前で大きな火を焚き、その前で年取った巫女に祈祷をさせた。巫女は大声で呪文を唱え、踊り狂い、ついには神がかり、城中を回って調度品全てに呪いをかけて回った。
この門をくぐる者、この水桶を使う者、この鏡に見入る者、この城の新しい主に呪いあれ。
そして巫女は、かような仕儀に相成った原因は鬼じゃ、と男のような声で喚いた。
「くんくんくん、鬼じゃ、鬼じゃ、鬼の臭いがするわえ!鬼を探し出せ、鬼を捕まえよ!」
巫女は、庭の隅の木の陰に隠れて、震えている子供を指差して叫んだ。
「鬼じゃ、あやつには鬼が取り付いている。鬼を捕まえよ、鬼を追い払え!」
巫女は子供の頭の上で榊の枝を振り回した。が、次の瞬間、ぎゃっとすさまじい悲鳴を挙げて飛びのいた。小さな血飛沫が上がり、巫女の腕に一筋、刀の跡が走っていた。子供は隠し持っていた小刀を両手で握り締め、ガタガタ震えていた。巫女の中から一瞬にして神が去り、今はもうただの婆さんに戻って、腰を抜かしたまま、痛ぁい、痛ぁい、と甲高い声で泣いていた。
「私は……ほんとは居なければ良かった?」
子供の青ざめた唇から、震える声が漏れた。
「言わなかった。決して、お前を生まなければ良かった、とは言わなかった。でもあのとき、俺が『ほんとは居なければ良かった?』と聞いたあのとき、親たちは言葉に詰まった。俺はそもそも……生まれたということだけで罪があったんだろうか。俺が存在するというだけで、母は困惑し、義父は城を追われた。もう義父の元に居ることも出来なかった。俺は実父の滝川儀太夫{益氏}の元に転がり込んだ。実父も困惑した。既に新しい妻を娶り、子も居たからだ。血筋と家柄と身分で成り立つ社会で、その狭間に落ち込んだ者には、何処に行っても居場所が無かった。まだ元服も済ませていない子供だったから、一人で暮らすことも出来なかった。」
行き場のない慶次郎を引き取ったのは、大伯父の滝川一益だった。
滝川一益は、近江の国甲賀の出身で、家は代々、近江源氏の佐々木六角家に仕えていた。若い頃人を斬り、故郷を追われて放浪したが、柴田勝家の推挙で信長に仕官した。豪放でありながら知略に優れた彼は、めきめきと頭角を現し、織田の四天王と称せられるまでに出世した。
慶次郎は、この大伯父の館で育った。主は信長に従い、各地を転戦して、館には殆ど居なかったが、留守を預かる者や出入りする者もたくさん居て、慶次郎はその者たちに育てられた。信長の勢力が増し、一益の家中での地位が上がるにつれて、館は大きくなり、住人も増えたが、地縁血縁が基本の当時の慣習通り、甲賀出身の者が殆どだった。
甲賀は忍びの里だ。滝川の家は、上忍と呼ばれる忍者の元締めの家柄だった。慶次郎は彼らから、忍びの術の手ほどきを受けた。武具の扱いも覚えた。一益本人が鉄砲の名手だったこともあり、その麾下にも鉄砲その他、火器の扱いに優れている者が多かった。
強くなりたかった。
頼る者の無い一人ぼっちの少年にとって、信じられるものは己の力だけだった。
皆の前では明るく振舞った。嫌われてここを追い出されたら、もう行くところが無かったから。たわいない悪戯をしたり、人をからかったり、だが強さも陽気さも皆、本当の自分を覆う鎧だった。その下には闇を恐れてうずくまる子供が隠れていた。老婆の呪詛にうなされて飛び起きる夜の闇から逃れられるのは、刀や槍をふるって相手を叩きのめす瞬間だけだった。
恐怖を認めることはすなわち、人生に敗北するということだった。
それだけは出来なかった、絶対。
彼は恐怖に駆り立てられながら走り続けた。
成長した慶次郎は、その優れた武術と忍びの技を見込まれ、度々、探索を命じられた。
忍者というと、黒装束に身を包み、闇にまぎれて探索する者という認識が一般的だが、城の最重要の機密に迫るには、下級の忍びの力では及ばない。市世の情報探索は下級の者の仕事であり、上流社会の中に入り込むのは優れた技を持つ上級の者の仕事だった。
若き日の一益も自ら伊勢に赴き、城の中に入り込んで、とうとう伊勢一国を手に入れた。これが彼の出世の始めだった。
この頃、慶次郎は結婚した。
相手は、利昌の三男で、利家の宿老の安勝の娘だった。義父は家督を完全にあきらめたわけではなかったらしい。いや、義父というより、母の差し金だった。体調を崩していた母は、一人、出て行った息子のことを忘れていたわけではなかったようだ。母は、息子の祝言が執り行われたのを見て、安心してこの世に別れを告げた。
将来前田の家督が継げるはずだ、と義母にさんざん言い含められて、だから結婚したのだ、と後に妻に言われて、慶次郎は唖然とした。慶次郎自身は、家督のことなどもうどうでもよくなっていた。世の中のことを知るにつれ、強い者が勝つのだ、という信長の考えを受け入れるようになったからだ。しかし、それを条件に結婚した妻は納得しなかった。慶次郎の槍の腕は大したものだ、きっと戦場で手柄をたて、一家を起こし、ゆくゆくは前田の家督を取り返すことが出来る、と説得されて、会ったこともない男に嫁いだ妻は、慶次郎が地味な探索の仕事に使われているのを見て、裏切られたような気持ちになった。有名な美人だった彼女は、望めばもっと条件の良い相手に嫁ぐことが出来た。でも慶次郎の将来にかけたのだ。それなのに肝心の夫は殆ど家に居ない。機密を守るため、何処へ出かけるのかさえ教えてもらえない。長男が生まれたが、子育ても家の切り盛りも、彼女が一人でやってきた。生活を共にしない男女に、愛情が芽生えるはずも無かった。夫婦の仲は冷え切っていた。
そんな中、慶次郎は越後を訪れ、御館に入りこんだのだった。
長篠で負けて内部からガタガタになっていた武田は、信長にとって脅威でも何でもなくなっていたが、上杉は依然として油断ならぬ相手だった。先年、手取川で喫した手痛い敗北、千余人を討ち取られ、川に流された者その数を知らずといわれた大打撃、を、彼は忘れてはいなかった。信長は大勢の草の者を越後に送ったが、上杉の軒猿にことごとく、返り討ちにされた。そこで大伯父に呼ばれた慶次郎が、探索の任についたのだった。慶次郎は越後の情勢をつぶさに検分し、大伯父に報告し、一益はそれを信長に伝えた。
ところがここで、信長にとって思いもかけぬ事態が生じた。摂津守護有岡城主荒木村重が石山本願寺と通じ、反旗を翻したのだ。足元に火がついた信長は、もう遠国・越後どころではなくなった。大伯父は石山本願寺を後押しする毛利水軍との決戦を急ぐことを命ぜられ、腕の立つ慶次郎を呼び戻したのだった。
慶次郎は越後を離れた。その後も大伯父に従い、各地を転戦した。長男はすくすくと成長したが、顔を見る暇も無かった。妻との仲は相変わらず冷え切ったままだった。
天正十年、再び越後探索の命が下った。前年、越後は冷夏だった。夏だというのに雹が降ったのだ。当然、凶作である。兵が動かせるかどうか探索せよ、というのだ。信長の狙いは明らかだった。上杉が義兄の武田勝頼に援軍を出せるかどうか、知りたいのだ。そのとき慶次郎は、自分の心の奥に、どうしても忘れることの出来ないひとの面影があるのを知った。




