第54話 解剖
こう言って励ましたものの、ジョヴァンニも菊の絵をこのまま放っておくつもりはなかった。
ルネサンスを経たこの時代、リアルな人物像を描くために必要不可欠といわれた知識が解剖学だった。今に残るダ・ヴィンチの精緻な人体解剖図を見てもわかるように、当時の一流の画家は皆、解剖学を学び、人体の構造についての正確な知識を持っていた。
(彼女の疑問はもっともだ。だが、女に解剖学を教えるわけにはいかない)
それは本国で禁止されていることだった。女性画家がいないわけではなかったにしろ、功成り名を遂げた彼女たちですら解剖学を学んだわけではなく、裸を描くことも禁じられていた。人間の肉体の構造を知らずに描かれたその絵は、文字通り絵空事だった。
ジョヴァンニは悩んだ。さんざん考えた末、菊を連れて行ったのは河原だった。
西国では大きな戦が続いており、河原には相変わらず避難民や流れ者が住む掘っ立て小屋が軒を連ねていた。
その陰には見捨てられた人々の死体があった。
病死した人、行き倒れた人、そして刑死した者の首。
ジョヴァンニは、死体の上にとまった烏を追い払った。この辺の烏は人を人とも思っていない。羽を大きく広げてステップを踏むようにとんとんと飛び退りながら、菊を眺めて威嚇するように口をぱっくり開けて、カア、と鳴いた。
(又、ここに来ちゃった)
武田が滅んでからというもの、慣れっこになった風景だけど、と菊は考えて、
(いや、やっぱり馴れない)
げっそりした。
ようやく河原から逃れることが出来たと思ったのに。
坊さんたちが死者を弔っていた。ジョヴァンニは彼らに挨拶した。施粥の鍋を出していたときに知り合った方々です、と菊を紹介した。
「解剖学を女性が学ぶのは、教会では違法なのです。そこでこの方たちに、事情を話しました。あなたの絵の勉強の、力添えをしてくださるそうです。」
ジョヴァンニは菊に死体を片付け、弔う手伝いをするよう命じた。そして様々な年齢や大きさや形の身体を示しながら、どのような骨格や筋肉のつき方になっているかを説明し、よく観察するように言った。
「日本では、弔いの手伝いをするのは身分の低い人々の仕事だそうですね。上流階級の人間だったあなたが、気おくれするのは無理もないことなのでしょう。しかしながら」
ジョヴァンニは言った。
「あなたが本当に私たちの絵画を学びたいならば、本当の絵描きになりたいというならば、あなたは人間の真の姿を知らなければならない。日本人の常識も捨てなければならない。やめるやめないはあなたの自由です。」
菊は黙々と亡骸を集めて、ジョヴァンニの講義を受けた。たくさんの薪も集めた。坊さんたちが祈りを捧げ、火をつけた。餓死した内臓は空っぽで、風雨にさらされて軽くなった身体は思いのほかよく燃えた。日はすっかり傾いて辺りは薄暗くなっていた。祈るジョヴァンニの傍らで、菊も合掌した。燃える火にあかあかと照らし出される菊の横顔を見て、ジョヴァンニは彼女が決してあきらめるつもりなどないことを知った。
翌日、ジョヴァンニは、菊の目の前で絵を描いた。
厚板に白い下塗りをしっかりと施した上に、セピアで輪郭線を引いていく。ジョヴァンニの筆が引く線は丁寧で的確で、無駄が無い。落ち着いたモノクロームの色調の中に聖母子の姿が現れていく。
「これはあなたに教えてきた『直描き』とは違います。」
ジョヴァンニは筆を止めて言った。
「この絵はあなたに、絵の技法を教えるために描いたものです。だから、ここで筆を置くことにします。」
でもこの未完成の絵の、デッサンの正確さ、典雅な聖母の表情はどうであろう。
これほど完成された美というものを、菊はいまだかつて見たことが無かった。
「これは絵の具の透明性を利用する昔ながらの技法です。このあと透明な緑や赤を平らに塗って立体感を出していきます。輪郭線や肉付け、描写も、あなたに教えてきたものとは違う風に描いてみました。このように人物や風景の描き方ひとつとっても様々な方法があります。この国にもたらされる聖画は極端に少ない。お手本とされる絵が限られているため、模倣される絵も似たりよったりになってしまう。それがあなたには窮屈なのかもしれませんね。もちろん、聖画である以上、教会の教えに忠実であるのは絶対条件ではあります、が。」
本国では教会の力は絶大だ、どんな有名な画家も教会の意向に沿うことなく絵を描くことは出来ない。でもここは、本国から遥か遠い極東の国だ。
「この国にはこの国なりの表現の仕方というものがあるでしょう。日本人であるあなたは、日本人に訴えかける絵を描くことが出来るはずです。どうか、これからは自分を信じて、自分なりの絵を描いていってください。あなたなら出来るはずです。」
この言葉は、とジョヴァンニは思った。
誰かの受け売りだ。
そんな風に思い始めたのは、菊が自分の無作法を改めてロドリゴに謝っているのを見たのがきっかけだった。
ロドリゴがその朝、同僚に殴られて虫の居所が悪かったのだ、と反省すると菊が、私はその方のことはよく存じませんが、と前置きしてから言ったのだった。
「日本人はただ単に報酬を目的に仕事をしている訳ではないのです。」
菊は、それは勿論、お金が無いと生活は出来ませんが、それだけでは満足出来ないのです、と付け加えた。
「皆、自分の誇りのために仕事をするのです。たとえ使用人でも、店や家のためにどうしたらよいのか、考えながら働いています。そうでなくてもこの厳しい世の中、誇りが挫けることが多々あります。でもそんな中で、どうしたら自分を支えていけるか、ただ生きていくためだけでなく、自分を支える『よすが』として仕事をしているのです。」
(そういえばあの男、ヴァリニャーノも、日本人は他のアジア人と違って名誉を重んずる。教会の中での地位もただ使用人に留まっていては満足出来ないであろう、階位が上がることの出来る仕組みを作る必要があると主張して)
反対するスペイン人たちと争っていたのだった。
率直かつ積極的で自己主張が強く、理屈で争うのが好きなスペイン人と、表立って人と争うのを好まず、曖昧な態度をとり、情緒に流されやすい日本人の相性は、最初から最悪だった。日本人の美徳である謙遜や謙虚さは、スペイン人にとっては自信の無さや無能さの表れとみなされた。宗教を、思想や教義によらず形式や儀礼でとらえる日本人の行動は全く不可解で、主体性の無さやずる賢さの表れだとスペイン人に思われた。反発しあう両者の間で、崩壊寸前だった布教を立て直したのがイタリア人のヴァリニャーノだったのだ。
日本の会社は、たとえ能力が無くても地位や肩書を持っていれば上司として部下に指示が出来るが、イタリアの会社はわざと組織を曖昧にしておいて、本当にリーダーシップがある人が仕切れるようにしてあるという。
ヴァリニャーノは歴代の教皇やイエズス会の総長から厚く信頼されており、その期待に十分応えうる能力を持った人だった。彼は、異色の文化にあっては、相互の対話こそが理解の道だと確信していた。誤った優越感に陥ることなく、異国の文化を学び、理解し、尊重することが、必要だとして、学校を作り、相互の交流を深め、日本人にも同等の身分と機会を与えることによって、キリスト教を日本の土壌に根付かせようとした。彼の『日本人の手で日本の教会を』という考えは、異端ぎりぎりの危険を孕んでいて、日本やアジアにいる同僚ならびにローマにいる上長たちにとって驚き以外の何物でもなく、少なからぬ非難と攻撃の的となった。でも彼は闘士だった。優れた頭脳を駆使して、あらゆる困難を乗り越え、戦っていることを、ジョヴァンニは次第に理解するようになっていった。
あの男は日本人を贔屓しすぎる、というスペイン人の会員たちの意見に賛成してきたはずなのに。その自分があの男と同じことを日本人に言い、あの男と同じやり方で仕事をしようとしている。
(それは自分とあの男が……)
いや、違う、そうじゃない。
スペイン人はこの国をただ批判し、日本人を非難するだけだった。何の仕事もしなかった。
だから、正確には、
(それは自分もあの男も、この地で本当に仕事をしているから)
ジョヴァンニは初めて、自分とあの男の共通点を見つけた。
一方、菊も思った。
慎ましやかで、それでいて格調高い、このような絵を私も描けるんだろうか。




