第53話 聖画
羽柴秀吉はこの夏、前年から普請を進めていた大坂城の新邸に入った。
建設中の天守閣は外観五層・内部十階で、三国無双といわれているという。障壁画は安土城も手がけた狩野永徳が筆を振るったが、人目を引いたのは何より黄金の茶室だった。三畳敷の組み立て式で持ち運びの可能なその内部は、小物に至るまで全て黄金で出来ており、秀吉夫妻の寝室も黄金製だという噂だった。
菊は、ジョヴァンニの下で油絵の具にまみれて四苦八苦していた。
信虎にわけもわからず連れて行かれ、ジョアンに哀れまれて、つい、かっとして逃げ出したものの、独りになって冷静に考えてみると、日本人の絵師誰一人として手がけたことのない南蛮画の技法を身につけるのは決して自分にとって損ではないと思い始めた。狩野の番頭の言うとおり、大和絵や漢画を下積みからコツコツ修業してきた者に、今の自分はどうやっても勝ち目は無い。だったら、誰も描いたことのない絵を描けるようになったほうが良いのではないか。そう思って始めた南蛮寺通いであった。
ジョヴァンニは優しく穏やかな人柄ではあったものの、教師としては厳しく容赦がなかった。彼には画家の養成を急ぐ事情があった。
イエズス会は最初、ローマから舶載の聖画を送らせていた。しかし船は、途中何度も寄港する。ゴアで、マカオで、聖画は奪い合うように間引きされて、日本にたどりついた時にはもう殆ど残っていない状態だった。貴重になればなるほど、日本人は舶来品を欲しがった。
ルイス・フロイスはこの頃、
『聖画五万枚は必要です。』
と手紙で書き送っている。
この問題に抜本的な解決を施そうとしたのが敏腕の巡察師ヴァリヤーノで、日本での組織的な絵画教育を計画し、それによって送り込まれてきたのがジョヴァンニ・ニッコロだった。だがジョヴァンニは日本に来てからというもの、長い航海の無理がたたり、病に冒され殆ど床についたままだった。
更にこの年の六月、イエズス会にとって困った事態が起きていた。
スペインの船が初めて日本に来航したのだ。
平戸に来航したこの船は約二ヶ月停泊しただけで帰っていったが、フランシスコ会の宣教師が二名乗っていた。
当時、世界の海を支配していたのはスペインとポルトガルだった。両国はローマ法王を介して世界の海を二分した。日本はその取り決めによってポルトガルの領分となり、ポルトガルの援助を受けているイエズス会が独占的に布教を行うことになった。これはポルトガルの王家の後継者が絶え、スペイン王フェリペ二世がポルトガル王を兼ねることになっても変わらなかった。しかしその後、条約がもう一度結びなおされ、日本のほぼ西半分がスペインの領分となることになった。
これに異を唱えたのが例によって、ヴァリニャーノだった。彼は日本を、いわばイエズス会の温室のような存在にしておきたかった。
『日本人は、仏教徒が諸派に分かれて争いを繰り返しているのにいい加減うんざりしている。』
彼は書いている。
『キリスト教徒も又、諸派に分かれて争いを繰り返していると知ったら、どう思うだろう?』
彼はスペインを後ろ盾として日本布教を企てているフランシスコ会、ドメニコ会の日本上陸を何としても阻止したかったのだ。
日本にキリスト教の、いや、イエズス会の教えを根づかせよ。それには日本人に与える大量の聖画や聖書がどうしても必要である、だが。
イエズス会の希望の星であるはずの菊は、身についた画法がかえって災いして、なかなか西洋画の画法を自分のものに出来ず、苦労していた。ジョヴァンニも、その腕を見込んで選んだだけに、彼女の進歩が遅いことに意外な思いだった。
日本の絵も西洋の絵も、修業はまず、先達の模倣から始まる。彼女は叔父の教えを受けた経験から、きっと洋画も簡単に自分のものに出来ると思っていた。でもその考えは甘かった。なぜなら、日本の絵と洋画の様式が根本的に違っているからだった。
例えば、皴法とよばれる岩の描写にしても、山や崖の凸凹を描くのに、日本の絵は墨線を多用するが、洋画は明るい色を加えることで表現する。東洋画における墨線の役割が全く無い、というのが菊のまず一番戸惑った点だった。油絵の具にも馴染めなかった。色を積み重ねていくと、いつの間にかべっとりと重苦しい絵になってしまう。
当時流行のマニエリスム{ルネッサンスからバロックへの過渡期の表現方法}の決まりきったパターンと、人物のどう見ても不自然なポーズにも悩まされた。
「こんなふうに手を曲げるなんて」
ある日、菊は思いきってジョヴァンニに訴えた。
「どう見てもありえません。これでは掌と手の甲が腕に逆にくっついているようだわ。」
ジョヴァンニは版画を眺めながら言った。
「あなたの言うことは正しい。でも、これは理想美なのです。」
「理想美?」
「この世には無い、でも、あらまほしきもの。それが理想美です。我々の住む世は残念ながら完全ではない。悲しみと怒りの支配する、欠けた世です。でも、いつかは完璧な幸せと希望に満ちた世にしたい。そのような願いを表した絵なのです。確かにこの絵は大仰だ、首を傾けてしなをつくって、不自然ではある。それは、半世紀ほど前、現実主義的な絵が流行った裏返しでもあります。人間は現実ばかりでは息苦しくなることもありますからね。聖像はある意味、人間の理想ですから。同じ様式で、同じ画像が墨守されていくのもやむをえないことなのです。」
「私はやっぱり、絵を描くのには向いていないんでしょうか。時々、自信が無くなってしまうのです。妹には、何、贅沢言っているの、お店で扇が売れて、一族が毎日食べていける、それで何が不満なのって叱られるんですけれど。」
「何をおっしゃるのやら。」
ジョヴァンニは菊の目をのぞき込んだ。
「あなたは誰よりも絵を描くことが好きなんでしょう?あなたの絵からはあなたの心が伝わってくる。あなたは、あなたのままでいいのです。」
菊は呆然とし、ジョヴァンニの言葉をかみ締めた。
嬉しかった。
妹の松と違って要領の悪い菊は、褒められることが少なかった。
唯一得意な絵を描いていても、お姫さまの道楽としか見なされることなく、父と叔父以外の人からは鼻もひっかけられなかったのに。絵を描くことで褒められるなんて。
ジョヴァンニは続けた。
「あなたは、この国では女の絵師はいない、手慰みで描いている者を除けば、とおっしゃいますが、あちらでは違います。Spagnaの宮廷画家にはソフォニスパ・アンギッソラという女性がいます。教皇からも注文を受けて描いています。ラヴィーナ・フォンタナという有名な女性の画家もいます。」
よほどの身分でない限り、西欧においても、女が社会的に認められる可能性は、ほとんど絶望的と言ってもいいほど低い。中世には修道女たちが聖像の制作にたずさわっていたが、それはあくまで無名の集団による、工房的生産だった。ルネサンスに至ってようやく、個人の才能をもって男性と同じく名声と富を掴もうとする女性芸術家が出てきたのだ、とジョヴァンニは説いた。
「だからあなたも、もっと自分の絵に誇りを持ってよいと思います。」




