第47話 千駄櫃
扇は要らない、という子もいた。そういう子は、新兵衛の作る紙の飾り物をもらって喜んで帰っていった。
大和新兵衛は、甲斐では帳簿などをつけていた侍だった。地味で大人しく、目立たない男だったが、辛抱強く穏やかな性格で、何より手先が器用だったので、菊が扇屋の仕事を手伝うよう選んだのだ。
揚羽は、新兵衛が暖簾に腕押しで頼りない、とぶつぶつ言っていたが、揚羽みたいに遠慮の無い性格の女の言うことも大人しく聞いている新兵衛は案外、割れ鍋に綴じ蓋というものではないか、と菊は密かに思っていた。
扇が売れないので当然、新兵衛も暇だった。でも働き者の新兵衛は手を休めることなく、扇に使って余った紙で、こつこつと紙の飾り物などを作って、店の片隅に並べていた。女の子などは、かわいらしくちょっと気の利いたその飾り物のほうを欲しがるのだ。
「郷里で老人たちが仕事の合間に作っていたものを、見よう見まねで再現してみたのです。」
菊が褒めると、新兵衛はぼそぼそと言って、はにかんだように笑っていた。
菊が絵を描いているのを間近に見ているうち、達丸も筆を取るようになった。小さな手に手を添えて、筆の持ち方などを教えているうち、菊は胸が熱くなった。
(父上……)
幼い日、自分も父に手を添えてもらって筆の持ち方を教えてもらったっけ。
父・信玄は多趣味な人だった。詩作の他にも、忙しい仕事の合間を縫って、弟の逍遥軒には及ばなかったものの絵を描いたり、仏像を彫ったりしていた。菊の絵の才を見抜いて、叔父の逍遥軒に指導を請うてくれた。戦をすれば鬼神の如き人だったが、家庭にいるときは妻を愛し、子供を可愛がった。
(一番上の兄とは不幸なことになってしまったけど……『家』というものさえなければ、兄は死ぬことはなかった)
子を育てるということは、もう一度人生を生き直すということかもしれない、菊は思う。自分の幼い日のことが走馬灯のようによみがえってくるからだ。
(私は子が生まれなかったばかりに上杉を飛び出し、ここまで流れ流れてきたけれど)
でも、もう嘆くまい。
自分の子であろうとなかろうと、子供は自分が何者で、どうやってここに来たかを教えてくれる。
ある日、菊は、子供ばかりの列の中に一人の若い娘が混じっているのに気が付いた。
娘は周りが子供ばかりなので居心地が悪そうだったが、ようやく自分の番が来ると、ほっとしたように頭を下げて、手にした銭を差し出した。
「いつも平助がお世話になってます。私、平助の姉の、あむ、といいます。」
平助というのは一番最初に犬の絵を描いてやった子供だ。
「あの犬たち、いつもこの辺をうろうろしている野良犬でしょ?とってもよく描けているってあの子、大喜びで。寝る時だって離さず、枕元に置いているんです。」
「あら、そんなに喜んでいただけて嬉しいわ。」
菊はほっとして言った。
「私もいいなって思ったんです。だから今日はお願いに参りました。何でも望みのものを描いていただけるんですってね?」
「ええ、もちろんですとも。」
「実は、私の絵姿を描いていただきたいんです。」
なるほど流行の、赤みの強い色鮮やかな茶に染めた可愛らしい『辻ケ花』{当時の着物の一種}を身につけ、精一杯おめかししているようだ。
初めてのこととて硬くなりがちな娘の表情を和らげるため、菊は話しかけながら描いていった。最初緊張していたおあむも段々気がほぐれてきたのか、何故描いてもらいに来たかを話し始めた。
「私、言い交わした人がいるんです。でも彼、行商人で、しょっちゅう地方を旅していて、今度も半年ばかり地方へ下ることになって、それで私の絵姿を持っていってもらおうと考えついたんです。あの人、口が上手いから、いえ、根は誠実な人なんですよ、でも櫛や鏡を商っていて、商売柄、女の人の相手をすることが多くって。京の商人はモテるっていうから。」
おあむは目のふちを染めて唇を噛んだ。勝気そうな娘だ。
確かに、と菊も思う。
甲斐に居た頃、京から下ってくる品は憧れの的だった。自分はまだ子供だったから商品にばかり目が行ったけれど、
商人を恋ゆるかや 千駄櫃を恋ぬるか
と流行り歌にもあるように、その品物を運んでくる垢抜けた商人に夢を見る女だって居るだろう、ましてその商人が独身の若い男だったとしたら。
二、三日して扇が出来上がり、おあむは喜んで受け取ったが、その翌日、今度は若い男を伴って現れた。
「こちらは小六さんです。あの扇を見せたら大層気に入ってくれて、ぜひお話をしたいって。」
おあむは赤くなりながら、婚約者を紹介した。
特に目立つところもない、いたって平凡な男だが、物腰が柔らかく、如才ない。
松が言うには、美男美女がモテるかというとそうでもないんだ、案外、一見目立たず平凡な人のほうが、人気があったりする。皆、自分の手の届く範囲で、少しでも人よりいいものを手に入れようとするものだから。
小六は言葉巧みに菊の扇の出来栄えを褒めた後、本題に入った。
地方へ行くと、皆、都の流行を知りたがる。自分も持てるだけの物を持っていくのだが、何しろ遠い道のりを身一つで行く旅だ、持てる物にも限度がある。何か都の風俗を知らせるような物、それも軽くて持ち運びに便利な物が欲しい。
「そこでこの扇です。都の風俗を描いて売り歩けば、売れること間違い無しです。」
なるほど、商才にも長けているようだ。
(おあむが心配するのも無理ないかも)
そのおあむが言う。
「あの扇、友達にも見せたんです。そうしたら、自分も絵姿を描いて欲しいっていう人が何人かいて……今度、連れてきますね。」
菊は小六の要請に応じて扇を描くことにした。売れるようならばもっと注文を増やすし、小売仲間にも扱うよう声をかけてみるという。小六は新兵衛が作った紙細工にも目を留めた。
「お祭り好きの織田さまが京に入られてからというもの、民の間にも自分たちで祭りを行うことが流行っているのです。あの紙飾りは祭りの飾りにちょうどいい。私の仲間にその手のものを商っている者がおります。今度、見せてみましょう。」
織田信長のおかげ、というのも皮肉な話だったが、菊の商売は飛躍的に広がった。小六の読みは正しかった。菊の扇はまず地方から売れ始めた。
当時、日本は経済の興隆期にあった。地方領主の下、ばらばらだった日本が、織田政権、それを継ぐ豊臣政権の下、統一されていくに従って、地方に芽生えた新しい産業は、特産品という形になって地域間で流通するようになった。物の流れは人の交流を促す。地方から入ってくる人の群れは京の名産品を買い求め、又、地方へと戻っていく。菊の扇はその流通の波に上手く乗ることが出来たのだ。
「結局、私が田舎者だから」
菊は揚羽に言ったことがある。
「都の人が気づかない都の良さやおもしろさがわかるんだと思うわ。それが地方の人たちの好みにぴったり合ったのね。」
新兵衛の紙細工も引き合いがあり、時として注文がさばききれない程だった。菊はよそに働きに出ていた者を幾人か呼び戻し、扇屋の仕事を手伝わせることにした。又、店に遊びに来ていた子供たちのうち、年がいっていて、気が利いて信頼出来る者を選んで、小僧として使うことにした。




