第46話 子供の四季
商いのほうはさっぱりだったが、菊の望みどおり、子供たちと過ごす時間は劇的に増えた。客の来ない菊の店先は、近所の子供たちにとって格好のたまり場になったからだ。世が世なら帯解きを済ませ、一段と大人っぽく姫君らしくなる年頃の督姫も明姫も真黒に日焼けして、男の子のように竹馬に乗ったり高足に乗ったりしていた。達丸も二人の従姉妹たちの後を必死に追いかけて走り回っていたが、こちらは色白く、痩せて身体も弱く、熱を出しては市中の武田法印{医師}のところで世話になり、菊の小さな巾着{財布}もますます痩せていくのだった。
庶民の子は、子供といえども立派な稼ぎ手だった。だがやっぱり子供は子供で、仕事の合間に、遊びに遊ぶ。独楽をしたり、小弓で鳥を射たり、蛇をいじめたり、吠える犬に石を投げたり、はたまた闘鶏を見物して、時には参加したりもしていた。
菊も子らに混じって夏の祭り見物に行ったりしていたが、端午の印地打ちだけは達丸の参加を許さなかった。大人も参加して容赦なく石飛礫を投げてくるので、こんなことで怪我をしたり、下手すると命にかかわるのは、まっぴらごめんだったからだ。
ともあれ、子供に混じって遊んでくれる暇人はそうそういない。おまけにこの年はたびたび洪水が起きるほど雨が多く、達丸たちに風邪をひかせるのが嫌なばかりに皆を家の中に入れて遊ばせたりしていたものだから、菊はすっかり懐かれてしまった。
「あのおばさん、子供好きなんだよ。」
というわけで店先は、揚羽が、
「これが皆、巾着持ってる客ならばね。」
とため息をつくような大盛況だった。
最初、よそから来た得体の知れない一行に用心していた近所の者たちも、子供たちが入り浸っている様子を見て警戒を解いたようだった。そういえば最近は子供の相手をしてくれる大人が少なくなり、赤ん坊の世話は小さな女の子たちの仕事になったようだった。
「いえね、昔は工事っていうと、いつまでに作れなんていうのは無かったんですけどね。」
赤ん坊の母親が言う。
「織田さまの工事はいつまでに作れって期限を切るようになさるんでねえ。それからっていうもの、期日どおりに仕上げるのが当たり前になっちまいました。皆、忙しくて子供の相手をしてる暇が無くなっちまいましてね。可哀相だけど、上の子に面倒見させるしかありませんのさ。」
菊の店先を託児所がわりにするのはさすがに悪いと思ったのか、そのうち、手土産代わりに、饅頭や瓜などを持ってくる者がぽつりぽつりと現れ始めた。
「これ、母ちゃんがどうぞってさ。」
「有難う。何もお返ししないっていうのもね。」
菊は、一向人気が無い商売物の扇を差し出した。だが子供は首を振って、もじもじして受け取らない。
「あら、御代はいいのよ。お返しだから。」
「違うよお。そんなお上品な絵は、おいらんちに合わねえよ。」
「え?」
菊は扇をぱちりと開いて、絵柄をつくづくと眺めた。
なだらかな山の端にかかる月、その麓に立つ三重塔の黒々とした影。
我ながら、なかなかの出来栄えだと思ったのだが。
そういえば、扇の絵柄はこんなものだと思い込んでいた。客が何を思ってその扇を買い求めるのか、思い及ばなかった。
この子たちのような市井に住む人々が、扇に求めているものは何だろう。
「じゃあ、どういうのが合うっていうの?」
子供はもじもじしながら思い切って言う。
「あのさあ、好きなもの、描いてくれる?」
「いいわよ。あなたにあげるんだから。」
「じゃあさ、シロとブチ、描いておくれよ。」
「うえっ、あの、ばっちい犬、描くの?」
横で地紙を折っていた揚羽が素っ頓狂な声を上げた。
呼び名どおり、シロは白犬、ブチは斑犬だ。もっともあんまり汚れて、両方とも色も定かでなくなりつつある。
躑躅ケ崎に居たときには、犬を見ても、別にどうとも思わなかった。だが戦場を通ったとき、犬が屍骸を食らっているのを見てからは、あまりいい感情を抱けなくなっていた。でも都にいる犬たちは、躑躅ケ崎にいた犬たちと同じ、のんびりした日々を送っている。都から戦火が消えて長いんだな、と思ったものである。
誰の飼い犬というわけでもないみすぼらしい野犬だが、どういうわけだか子供たちに懐いて、一緒に駆け回って遊んでいる。序列があるらしく、シロのほうが強くて、吠え掛かると、ブチは腹を地面にくっつけて背を低くして首を捻じ曲げるようにしてワンワン吠える。しかし、その尻尾はシロの機嫌をとるように地面をぴたぴたと叩くのだ。そのさまがおかしいと、子供たちは何かとシロをブチにけしかけていた。
菊は言われるままに犬を描いてやることにした。左に身体を伸ばして唸るシロ、真ん中の下部にこんもりと岩を描き、右に首を捻じ曲げて吠えるブチ、右の上部に土坡を置いた。子供は喜んで何度も礼を言って、扇を大事に抱いて帰っていった。それを見た他の子たちのうらやましがることといったら無かった。
翌日から菊の元には、餅だの野菜だの果物だのが、ひっきりなしに届けられるようになった。それと同時に店先には、蛇だの蛙だの亀だのカブトムシだの犬だの猫だのを抱いた子供が列を作るようになった。
菊は頼まれたものは何でも描いてやったが、ある子がうちで飼っているという御自慢の、艶々した立派な角を持つ大きな黒い牡牛を引っ張ってきたときには、さすがに腰が引けた。自分の祖父母が住む家を描いてほしいと頼まれて、半日かけて太秦まで行き、藁葺きの田舎家を描いてやったこともあった。




