第30話 安土
甲斐では武田の残党狩りが厳しいとのことだった。
武田本家が天目山で滅んだ後、織田信忠は甲斐全国に触れを出した。武田を裏切った者たちは織田の元へ来るように、従前の如く所領を安堵するというのである。
前も述べたようにこの時代、弱い主人を見限って強い主人に乗り換えるのは常識だったから、皆、先を争って織田軍の元へ参じた。ところが信忠はやってきた者たちを捕らえて斬ると、見せしめと称して甲府の町にさらした。信長が、敵とはいえ主人を裏切った家臣たちを憎んだ為と言われる。許されて所領を安堵されたのは、僅かに最初に裏切った木曽と穴山両家のみだった。
斬られた者の中には、勝頼を甘言でもって誘い、土壇場で裏切った小山田一族も含まれていた。奸佞な小山田一族が滅亡したことで、今更ながら武田を懐しみだした人々は溜飲の下がる思いがしたが、過酷な織田のやり口は後味の悪いものだった。
信玄の次男・竜芳、この人は盲目の為、僧籍に入っていたのだが、勝頼の死を聞いて自害した。
叔父の逍遥軒信綱も飯田城から逃れていたが、首を斬られた。
「許してくれるって聞いて、のこのこ出てくるなんて。」
松は遠慮無く評した。
「一族なんだから助かる訳ないじゃない。とんだ大間抜けよ、武田の恥だわ。」
途端に菊の平手打ちが、松の頬に炸裂した。
「痛いっ!何よっ、お、親にだって打たれたことなんか無いのに……。」
「叔父さまはね、叔父さまは」
菊は、はずみで尻餅をついた松の前に仁王立ちになり、眉を吊り上げ、息を切らしながら叫んだ。
「飯田城においでになる前、位牌を作ってお寺に収めてからいらしたのよ。絵の道具を私に下さったのも、もう絵なんか描くことが無いことをわかっていらしたからよ。そりゃ、あなたみたいに気の強い人から見れば、みっともない情けない最期かもしれないけれど、私にはほんとに良くしてくださったのよ。ほんとは絵描きになりたかったのに、武門の家に生まれたばっかりに……。私たちが綺麗な着物を着て、おいしい物を食べている間に、叔父さまは御自分のためではなく、父上の手足となって、雨風に打たれながら、鎧を血で染めて戦場で戦っていらしたのよ。し、死んだ人のこと、悪く言わないでよっ!」
勝頼たちの死を知らされても涙ひとつこぼさなかった菊が、初めて大声で泣いた。今まで押さえに押さえていた感情が、とうとう爆発したのだ。
「叔父さま、かわいそう……」
泣き喚く姉を、松は唖然として眺めていた。
武田に代わって甲斐に進出した徳川家康が執心したのは、武田の姫君、中でも松の行方だった。『姫狩り』と称されるこの捜索は、ただ単に家康の色好みの為ではなく、武田家の血を徳川家に入れることによって甲斐の覇権を正当化するためのものだったが、さすがに自分のお膝元を堂々、松が通っていくとは思いも及ばないようだった。
歩きに歩いて駿河湾に達した。そこには戦国の世が嘘のような、穏やかな春の海があった。
茶色い背中に真っ白な腹のハマシギが、寄せては返す波を避けながら、波打ち際をちょこちょこと走っている。砂に埋まっているゴカイなどを漁っているのだ。
父信玄や兄勝頼があれほど夢見た海。
高天神城を何度も攻略したのも、海の無い甲斐の領土に、どうしても海を加えたかったからだった。でも今、海にたどりついた菊たちに周りを見渡す余裕はなかった。
大人たちは、風の音にもおびえながら顔を隠すようにうつむいて黙々と足を急がせたが、子供たちは、初めて見る海に目を見張った。
水はまだ冷たかったが、わざわざ波打ち際を歩いては、裾を濡らしてはしゃいだ。中でも達丸は、水の面白さにすっかり魅せられてしまったようだった。波飛沫を頭から浴びて濡れ鼠になっても、一向海から離れようとはしなかった。太平洋の明るい日差しを反射して様々な色に変化する水の流れ、白砂の上に陰をさしかける緑の松、うちあげられて海草の上を忙しく走り回る蟹や舟虫、波に洗われて虹色に光る貝殻といったものに子供心にも深く感じるところがあったらしかった。
一行は遠江、三河と過ぎて近江に入った。近江に入ると京はもうすぐそこだ。
でも京に抜ける道の途中で、菊たちは見たくないものを見なければならなかった。
道は新しく出来た街に続いている。琵琶湖に近づくにつれ、両側に白砂が敷かれ、松と柳が交互に植えられた立派な街道になっていった。街道は綺麗に掃き清められ、小綺麗な茶店で憩う着飾った人々の姿が目に付いた。琵琶湖の東岸に面した、ほんの数年前には鄙びた小さな集落しかなかったその地は、安土という。
湖岸や堀外には、整然と碁盤の目のように仕切られた職人町や市場町が広がり、やや小高いあたりは、木の香も新しい家臣団の屋敷が立ち並んでいた。湖に面した安土山の山頂に城が築かれ、城下町を見下ろしていた。
それは、かつて誰も見たことの無い斬新、いや菊たちの目から見ると異様としか思われない建築物だった。
山の上に城を築くといっても、それまでの城はあくまで『屋形』と呼ばれる平たい建物だった。でも信長はそこに巨大な天主を据えていた。菊たちはもちろん城下から仰ぎ見ただけだったが、それでも、高さ六間の石垣の上に立った五層の建物は、遠くからでもはっきりとよく見えた。下三層は御殿で、その上に屋根裏階、八角堂、最上階には楼閣部が載っている。外壁は下見板に黒漆を塗ってあり、八角堂は朱漆で塗られ、最上階の外部の柱には金箔が押してある。屋根は瓦葺で、軒瓦は金箔押し、最上階は赤瓦で葺いてあり、抜けるような青空の下、陽に照らされて、まぶしいほど光って見える。八角堂の縁下の壁板には飛竜と鯱が描かれてあり、まるで中国の皇帝の住まいのようだ、と菊はかつて見た絵を思い出した。全体的に日本の建物ではない。唐様の御殿であった。
建築に携わった大工の中に城の内部を見た者もおり、何でも、内部の障壁画には三皇五帝や孔門十哲、釈迦と十大弟子など唐絵の主人公がたくさん描かれているという話だった。天守内の信長の居間の付書院にも瀟湘八景図のうち煙寺晩鐘の水墨画が描かれており、いずれの画も、狩野永徳が一門を指揮し、自らが筆を振るったということだった。画壇における狩野の地位は、もはや揺るがないといってよさそうだった。
信長のやることなすこと全て、派手で人目を引いた。この城を作る時も、巨大な石を美しい布で包んで、音曲で囃しながら引いていって、まるで祭りのような騒ぎだったというし、去年、信長を訪ねてきた南蛮の坊さんたちが城を去る際には、万灯を掲げて夜空に天守を浮かび上がらせたとのことだった。
菊たちの恐怖と嫌悪とはうらはらに、新しい町は活気に満ち、行き交う人々の顔は、今まで通ってきたどの町のそれよりも晴れ晴れとしていた。信長が行った楽市楽座で、人々は自由に商売を選び、好きなように物の売り買いが出来るようになったのだ。どの顔も、一旗揚げてやろう、この殿さまについていけば豊かな暮らしが出来るようになる、と希望に満ち溢れていた。
しかし、菊たちにとっては、長居は無用の町だった。
一行は先を急いだ。
瀬田の唐橋を渡って京に入った。
古来、『唐橋を制するものは近畿を制す』といわれ、壬申の乱以来、幾多の戦闘の舞台となり、父信玄が『武田の旗を立てよ』と言い残したこの橋を、一行は、やつれぼろぼろになって、まるで乞食の集団のように力ない足取りで、何の感動も無く渡っていった。




