青い唇
タケルは、スイスイと進んで行くササラの後を、急いで追った。
横一列にズラリと並ぶ、ビジターサーファー達。
その前を、ササラは堂々とパドルで横切ったが、タケルはさすがに躊躇して、途中からササラと離れ、彼らの背後に周って遅れてパドルしていった。
ササラはそれが気に食わなかったらしく、
「なぁ〜んでそんな気ぃ使うんだよ。ほんっと、性格、変わりやがんの!」
と、軽蔑したように大きな声で文句を言った。
けれどタケルは、この挑発したような独特のしゃべり方にはもう慣れていたので、ただ苦笑いを返しただけだった。
ササラとしては、タケルに優越感を持たせてやろうと、自分がピークに先導してやった、という歪な親切心からしたことで、それを受け入れないタケルが不満なのだ。
それでもササラは、なぜかタケルにあれこれとお節介を焼きたがる。
その証拠に、タケルがようやく追いついてくると、波待ちしているピークの仲間に、嬉しそうに大声で告げた。
「大沼神社のボンボンの到来だぞ〜!」
すると奥にいた、タケルも知ってる中堅ローカルのケンジとショウゾウが、
「よっ!待ってました、伝説の鼻血マン!!」
「耳栓だけじゃなくて、鼻栓もしてきたか〜!?」
と、からかい、周りからドッ!と笑いが起きた。
タケルのことは全然知らなくても、約7年前にタケルが犯したローカル・ルールへの違反と、それに加えられた鉄拳制裁については、『鼻血伝説』として、この辺に来るサーファー達に、ある時はローカルの、またある時は一人のバカなビジターの武勇伝として語り継がれていた。
タケルは、久しぶりの冷やかしの歓迎に、真っ赤になって肩をすくめると、ただもう「こんちわ、ご無沙汰してました。あ、どもです」と、チリチリの頭をかきながら照れ臭そうに挨拶した。
そうしている間に、中途半端なセットが入ってきたが、みんなはそれは無視し、ピークは和やかな雰囲気に包まれた。
タケルにはいろんな呼び名があった。
『鼻血レジェンド』
『神社のボンボン』
『ミソノウさんとこのバイト』
『てっさんとこの元ライダー』
先の二つは、名前が勝手に一人歩きをしている感じはあるけれど、どちらも事実だった。
タケルは佐倉市内の、
『ある特有の言いにくい病に御利益がある』
ということで知られた神社の、跡取り息子だった。
しかしそれについては、初対面の女には決して言わないことにしていた。
そのことを知ると、たいていの女はドン引くか、過剰に興味を示すかで、後でベッドに誘いにくくなるからだった。
もちろん、『鼻血レジェンド』も言わない。
怖がられるから。
タケルが一番誇りを持って言えた、『酒々井のてっさんとこのライダー』は、もう名乗れない過去の自分だ。
『ミソノウさんとこのバイト』が、今のまぎれもないタケル自身だった。
そうこうしているうちに、今度は大きめのセットが入ってくるのが沖に見えた。
笑っていたみんなの顔が一瞬、引き締まる。
一本目は、丸川ローカルのベテランが乗っていった。
二本目は、ショウゾウが乗った。
三本目は、ケンジ。
お決まりの順番だ。ルールは今日も守られている。
タケルはその三人が、嬉々としてテイクオフして行くのを見送った。
この位置で波を越えながら後ろを振り返ると、その高さから堪らないスリルを感じる。
抑えようと思っても、体の奥から強烈な本能が突き上げてきて、『イカセテ、イカセテ!!』と訴え始める。
マテ!を言いつけられた犬のように、次のお皿を待つしかないのだけれど、もうどうにもこうにも、叩かれても蹴られても、ガマンしたくないっ!!
「イキたい?」
そんなタケルの心情を察してか、ササラが女のような口ぶりで訊いてきたので、タケルはうんうんうんうんうん、と強くうなずいた。
「途中で食い散らしてくんなよ」
「うん」
「最後まできっちりつないでけよ」
「うん」
「中で出さないでね」
「うっ!」
と、股間を抑えたタケルを見て、ササラは目を糸のように細めてニカッ!と笑い、次の順番を待っていた、タケルより少し幼い感じの男に声をかけた。
「コンちゃん、悪ぃ!次、タケルに一本譲ってやってくれる?」
すると、コンちゃんと呼ばれた男は振り返り、
「いいっすよ〜!タケルさん、次の2本目です」
と、気前よくタケルに順番を譲ってくれた。
もちろんササラにそう言われたら、年の若い彼にしてみれば断れないも同じというのもあるが、みんな、もうすでに大分満足しているらしく、ピリピリガツガツした空気は全然なかった。
「コンノ君、ごめんね。ありがとう!」
タケルは、もう遠慮なく、ササラ特有の強引な好意に甘えることにして、コンノという若い青年に素直に礼を言い、人懐こい笑顔を見せた。
彼らはしばしば、内輪でルールやゲームを作って波を楽しんでいた。
順番に一人ずつ行儀よく乗る場合もあれば、同じくらいのレベルの者同士数人でテイクオフを競ったり、その時の言いだしっぺにより内容は変わる。
そして、その日一番みっともないライディングをした者には、楽しいお仕置きが待っていて、その内容は口に出せないような恥ずかしいモノもあるので、みんな楽しみながらも結構真剣である。
なので、このゲームに混ざることが良いんだか悪いんだか分からないけれど、とりあえず確実に乗る順番が回って来るのだけはメリットと言えた。
次のセットの一本目の波を待っているのは、音鳴浜の通称『トナリ』ポイントをホームとしている、若いプロサーファーのヨウスケだった。
「良い波、来るように神様に祈って!」
と、気さくに声をかけてきたので、タケルはわざと神妙な顔をして、
「おおうなばらにあれますかみつどいにつどいたまい……」
と、もっともらしい事を口にし、大麻を振る真似をしたので、それを見てまたみんな大笑いした。
先輩ローカルたちも乗って行った後なので、変なプレッシャーを感じることもなく、タケルは次のセットを待った。
風は先ほどから、だいぶ落ち着きを見せていた。
そして水平線が、内側に押されるように、わずかに膨らみを帯びる。
それが今度は左右にサーーーーーーーッと引き延ばされるように見え、濃紺の、くっきりとした長い帯が視界に広がった。
「ありがと」
ヨウスケは、まるで本当に祈りが通じたとでも言うように嬉しそうに笑い、美しい波に向かってパドルしていった。
波は、あなたにずっと会いたかった、とでも言うように、両手を大きく広げ、ヨウスケを迎え入れた。
岸に向かって方向転換し、軽く数回、波を掻くと、ボードはそのままスムーズに斜面を滑り出し、波は後ろから優しく抱きしめるように、ヨウスケを包んでいき、タケルの位置からは見えなくなった。
次はタケルの波だ。
それは……
ヨウスケを運んでいった、優雅な波の精と双子のような、美しさと気高さに満ちた波だった。
タケルも、心の中で波に向かってつぶやいた。
『 あなたにずっと会いたかった 』
その瞬間、ハナコのことが頭に浮かんだ。
ずっとずっと会いたかった……
そしてタケルは、その青く冷たい唇に、ようやく触れることを許された。




