ひとつ、ヨロシクお願いします
タケルは、相変わらずイカめしい軍人のようなオジサンの後ろを静かに通り、波待ちポジションをミドル寄りに下げてから、少しづつ右へ右へと移動して行った。
そして、そこからまた状況チェック。
このデカ波の中、波待ちはしているけど、実際には怖気付いて波に乗ろうとしない人も多い。
なのでそういった人を見付けて引いていけば、ピークじゃなくても、どこにいれば乗れる確率が増えるかは読めてくる。
今日、タケルはどうしてもカガミハマのチューブに入りたかった。
1年ぶりにここの女神に、体ごとスッポリと包まれたかった。
頭の中で、『もしピークから乗った誰かがしくじって、 仮にあそこからテイクオフして、こんな波だったらあんな波だったら……』と、そんなことをムズムズ想像し、波のパターンを見極めながら、チャンスの到来を辛抱強く待った。
そして、波待ちを始めてから数回目の波の群れがやってきた。
一つのセットの波数は3〜4本。そしてその中で、良い形になる波は、最初の一本目と二本目くらい。あとは無駄にデカくて捕まりやすい。
その予想通り、一本目のまとまりの良い波に、ササラが乗った。
ササラ君、行った……!!
美しい波の肩がグンッと張り、長身で細身のササラの頭上を、ゆっくりと、透明な女神の優雅な指先が覆い始める。
ササラは、その磨き上げられた爪に触れないよう、重心を低く抑えた。
タケルの黒い瞳が、一瞬、ササラの表情を捉える。
切れ長の目をした、いかにも残忍そうな顔の男だったけれど、 快感至極と言った様子で、その表情は拍子抜けするほど無邪気に見えた。
ショルダーがグイグイと引き上げられて、巻波を形成していく。
サーファー達は、今や完全な形となった青い空洞の中のササラを、羨ましそうに横目で見ながら、しかし邪魔にならないよう大急ぎでその波をパドルで越えていく。
タケルも他のサーファー達と同様に、波の中のササラを見送った。そしてすぐに振り返り、その行方を波の背から確認する。
すると、岸に向かってずっと右の方で一瞬、大きな飛沫が舞い上がり、
白いボードの裏と長い手がひるがえるのがチラリと見え、 すぐにまた見えなくなった。
視線をピークに戻すと、今の一本でだいぶ動きがあった。
乗って行ったササラの他に、数名の姿が消えていた。
そしてすぐ次にやって来た二本目が、またさらに男心をそそる、見目麗しき波だったので、それを狙ってかなりの人数が、今まさに突進していくところだった。
それを見て、タケルは反射的に三本目に挑む決断をした。
競い合うサーファー達の誰が、この美形な女神サマと追いかけっこを始めるかは見届けず、その波を誰よりも速く越え、次の三本目にわずかな期待を賭けた。
来い!!
が、ご対面したのは、やはりデカイだけがが取り柄の食人鬼!?
一瞬、チッ!と鼻の横にシワが寄ったが、脳より先に延髄が、『GO!』と指令を出していた。
タケルは直感でテイクオフのポイントを定めると、くるりと方向転換し、ボードの先端を岸側のやや右寄りに向けた。
背後に迫る波の壁。高さも水量もあり、既にその頂点が白く牙を剥いていて、バックリと食いつかれるのは明らかだったので、今タケルと張り合い、その波に挑もうとするサーファーは誰もいなかった。
『 ひとつ、よろしくお願いしますっ!!!』
きわどい位置からテイクオフ。 素早くボードに立ち上がる。
早い波。捕まる前に、ノーズは右下方に向けて、青い斜面を滑り出す。
が……
スピードが付く前に、あっという間に白い乱杭歯が追ってきて、ザンッ!ザンッ!!と、タケルを噛み砕こうと頭上から降ってきた。
目の前の明るい景色は遮断され、 青い口の中にあっけなく閉じ込められる。
食人鬼の、透けてさざめく太い食道の中は、出口は無くても身を屈めればまだ進めた。
けれどそれもつかの間、半透明の胃壁が、今度は拷問部屋のように上から横からしだいに狭くなり、 タケルはついに居場所を失い……
バグウゥン・・・・
危険を感じ、ボードを前に蹴り出した直後に、鈍い破裂音を身体で聞いた。
次の瞬間、揉みつぶされるような水圧を受けながら波に巻かれ、回る、回る、もう、久しぶりに縦にも横にもグリグリに転がされ、いいように痛ぶられた後、最後は口の端からペッ!と吐き出された。
「プハッ!!」
タケルは海面から顔を上げると、大きく息をついた。
そして犬のように頭をプルプル振ると、ボードを手繰り寄せ、体勢を立て直して再び左回りに迂回しながらアウトに向かった。
久しぶりに強烈に波に巻かれたおかげで、 なんだか緊張で硬くなっていた身体も心も、いっぺんに解れたようで、タケルの顔には自然とニヤニヤした笑みが浮かんでいた。
さすがハナコに『天性のドM』と呼ばれた男である。
目が覚めたような気分で、最初に波待ちしていた辺りに戻ると、そこにはササラが、同じようにニヤニヤと薄笑いを浮かべ、タケルの事を待っていた。
「下手っクソ!!」
再会のあいさつは、その一言と、
「なんだ、おめーその頭は? スズメでも飼ってんのか??」
だった。
しかしその1年前と少しも変わらない、口の悪い歓迎がタケルは嬉しかった。
「この頭、女には評判いいんだけどなぁ〜」
「へっ!?ホントかよ?東京の女ってのは、どっかおかしいんじゃねーのか?」
と言って、薄い唇を横に大きく開き、とうもろこしのように歯並びの良い歯を見せて笑った。
そんなササラの横にタケルも並んで、ボードに跨り一息ついた。
ササラは、クセのない素っ気なく伸びた黒髪を両手でかき上げた。
タケルは、親子によってスズメだのオニだの言われた濡れた巻き毛を、クシャクシャと手で掻きほぐした。そして首を回しながら独り言のようにつぶやいた。
「久しぶりのリーフで、やっぱ調子狂ってんのかな〜」
そんなタケルを、ササラはしばらく黙って見つめ、言った。
「……酒々井のてっさんが、心配してたぞ。 あいつ、ちゃんと自分のサーフィンやってんのかなって。御園生さんとこの店なんて、行かないほうが良かったんじゃねーかって……」
「あ、てっさん、今日来てたの?」
『酒々井のてっさん』とは、タケルの実家のある佐倉市の隣の、酒々井町でサーフショップを営む、 山田哲郎という元プロサーファーで、高校生だったタケルにサーフィンを一から教えてくれた、昭和のイケメン師匠だった。
夷隅にも、名前の知れたサーフボードのシェイパーである、てっさんと呼ばれる男がいて、 二人ともカガミハマの岩礁の波を溺愛し、しかも仲が良かったので、ローカルからは『酒々井のてっさん』『夷隅のてっさん』と、 地名で呼び分けられ、親しまれていた。
「こんな日に来ないはずあんめーよ。もうとっくに昼前に帰ったけどな。おめー最近、全然連絡もしてねぇんだって?」
「うん、、、なんかやることいっぱいあって、しばらく実家にも帰ってねーから……」
タケルは決まり悪そうに言った。
「女のケツばっか追っかけてねーで、ちゃんと義理欠かねーようにしろよ?」
「うん……気をつけるよ、ササラ君、ありがと」
タケルは4歳年上のササラのことを、いつもササラ君と呼んでいた。
「お、おめー、、、そういうとこだけはいつも素直過ぎて気持ち悪ぃんだよ!!」
ササラは言いたいことをズケズケ言い終えると、ボードにうつ伏せ、 わざとタケルに水をかけてパドルを始めた。
「さ、行くべ」
「え?」
「え?じゃねーよ。こんなとこいたってしょんねーべや。早くこっち来いって!」
ササラは振り返ってそう言うと、残忍極まりないステキな笑顔を浮かべて、タケルをピークへ促した。




