行方駅
シークレットガーデンの鉄の扉を飛び出すと、外にはスミレ色をした練馬ナンバーの軽自動車が待っていた。
ホナミはアヒルをその助手席に乗せると、ハナコに合図するかのようにクラクションを2回鳴らして車を発進させた。
後ろに砂煙を上げながら、 それでも細い未舗装の道をしっかり踏みしめ、危なげなく坂を登って行く軽自動車。
そして坂を登りきると、タケルに連れられて来た時と同じように、車を一旦停めてチェーンを外し、『私有地』の外に出て、またチェーンをかけるという手順を踏んで、来た時とは反対方向に向かって国道を走り始めた。
「駅まではどのくらいなんですか?」
「車なら5分くらいだよ。歩くと20分くらいかかるかな」
涼しげな目で前方を見つめながら、ホナミが答える。
20分なら歩けない距離じゃない……
「今度さ、またおいで。ボディボード、教えてあげるよ。楽しいよ」
「え!本当ですか!?……あたしにも、できるんでしょうか?」
「できるさ、やる気があれば」
「やる気……ですか」
「そう、なんでも」
ホナミはそう言うと、左にウィンカーを出し、 シークレットガーデンを出てから一つ目の信号を曲がった。 交差点の信号の下には『行方駅入口』と書いてあった。
国道から横に入り、濃い緑の繁る低い山に向かって少し走ると、 辺りは狭く区分けされた田んぼで、青く瑞々しい稲が生えていた。
そして古いタバコ屋と、駄菓子屋らしき店が並んでいて、 その先に踏切があり、小さな駅舎が見えた。
そこは無人駅のようで、周辺にはその2件以外は何も無く、賑やかな商店街も住宅地も無い。 ジュースとアイスクリームの自動販売機があるだけ。なんでこんなところにわざわざ駅があるのか不思議なくらいだった。
その駅舎の前に車を停めるとホナミは、
「あと5分くらいで電車来るから、見送るよ」
と言って、アヒルに車から降りるよう促した。
車から一歩外に出ると、カエルの合唱がうるさいくらいに響き渡っていた。
古い感じの駅だったけれど、一応磁気カードをタッチする機械は設置されていたので、 アヒルはカードの入った財布を機械に当てて中に入った。
ホナミはスタスタと改札を通り抜け、ぐるりとホームを見渡してつぶやいた。
「誰もいないね」
その言い方が、妙にアヒルの心を締めつけた。
「ホナミさん」
「ん?」
「あたし、本当にまた来てもいいんですかね?」
「ハナさん、名刺くれたろ?」
アヒルは黙ってうなずいた。
「ならいんだよ。ハナさんがあんたを好きだってことだから」
「そうなんですか?」
「そうだよ。誰でもあそこに出入りできるわけじゃない。あそこは限られた人しか入れない。特に……男には厳しい」
と言って、ホナミは笑った。
その時、線路を伝って、
…タタンタタン…タタンタタン…タタンタタン…
という微かな音が響いて来て、田んぼの向こうに見えていた低い山のトンネルから、電車がやって来るのが見えた。
そして踏切がカンカンカンカン、と目を覚ましたように鳴り始めた。
「アヒル」
ホナミは、いつのまにかアヒルのことを呼び捨てで呼んでいた。
「これはアタシの名刺。いつでも連絡しなよ」
「ホナミさん……ありがとう」
「ホナミンでいいっす」
「ホナミン」
アヒルが素直にそう呼ぶと、 ホナミは『それで良し』と言うように笑って右手を差し出してきたので、 アヒルはその右手をそっと握り返した。
ガタンゴトンガタンゴトン…ガタン…ゴトン…ガタン
プッシューーーーーーーーーーーッ
乗客がいないわりに長い編成の電車が、取り済ましたように無人の駅舎に入ってきて、ため息のような音を立て行方駅に到着した。
仰々しく扉が開いたけれど、誰も降りず、そして乗るのはアヒルだけだった。
車掌の、発車を知らせる笛が後方から鋭く鳴り響いた。
そして、電車は扉を閉じ、静かにゆっくりと動き出した。
プッシューーーーーーーーーーッ
…ガッタン…ゴットン…ガッタンゴトン…ガタン…ゴトン…ガタンゴトンガタン…
アヒルは扉の窓に額を付けて、ホナミに小さく手を振った 。
ホナミがそれに応え、こめかみに片手を当てて、まるで駅長のようにその手をサッと斜めに上げた。
アヒルはそれを見て思わず笑った。
ホナミも笑ったように見えたが、すぐにその姿は小さくなった。
電車がゆっくりとカーブを曲がる。
そしてついに、ホナミも駅も、見えなくなった。




