第七話 追手
『土と血の王冠』をお読みいただきありがとうございます。
それでは、本編をお楽しみください。
沈黙を破ったのはロイクだった。
「騎士爵様が来てるってなら、事情を説明すればわかってくれんじゃないのか?」
ユルヴァンの顔を見ながら、ロイクは続けた。
「魔法使いだぜ? いくら奴隷だからって言っても魔法使いは保護対象なはずだろ?」
「ロイク、詳しいね」
「当たり前だぜ。魔法使いのことは行商人とかに聞きまくったからな」
その言葉を聞いても、ガルドの難しい顔は変わらなかった。
「確かに、今のユルヴァンが魔法使いとして扱われるなら、その理屈は通る」
「なら何が問題なんだ?」
ロイクが眉をひそめる。
ガルドはしばらく黙っていた。
「……正直に言えばな」
そう言ってガルドはユルヴァンを見た。
「俺も最初は、お前が本当に無事なのか分からなかった」
「え?」
「竜の核を取り込んだなど聞いたこともない。人間のままでいられるのか、それとも魔物になるのか。見当もつかなかった。最悪の場合、俺たちも無事では済まないだろうと考えていた」
ミレアも静かに頷いた。
「私はユルヴァンなら大丈夫だと思っていたけど……。それでも、実は怖かったの」
ユルヴァンは思わず言葉を失う。
「だが今は違う」
ガルドは続けた。
「こうして話しているお前は、瞳の色は違えど、少なくとも俺の知るユルヴァンのままだ」
その言葉にミレアの表情も少し和らぐ。
「だから俺は、お前を魔物だとは思わん」
ガルドはそこで一度言葉を切った。
「だが、だからこそ厄介なんだ」
苦々しく息を吐く。
「お前は魔物にはならなかった。だがその代わりに、竜の核と共鳴した魔法使いになった」
「……」
「そんな前例、俺は聞いたことがない。騎士爵様がそれをどう判断するかが読めんのだ」
「え。なんで……」
「確かにロイクの言ったことは、普通であればそうだろう。だが、爵位の低い騎士爵や男爵からしたら、必ずしもそうとは限らないだろう」
魔法使いという存在がこの世界において貴重であることは、ユルヴァンでさえ知っていた。ロイクの話を聞いて、むしろ騎士に保護してもらった方がいいとさえ思っていた。
ガルドは眉を寄せたまま、その場に腰を下ろす。
「魔法使いは、魔法使いになった時点で最低でも騎士爵位を授与される」
「騎士爵に……?」
ロイクがぽつりとつぶやいた。
「農奴でもそれは同じなんですか?」
ユルヴァンは前から思っていた疑問をガルドに聞いた。
奴隷騎士の話は正直なところ物語の話だけだと思っていたからだ。
「ああ。魔法使いになるのに身分は関係ない」
ロイクが目を丸くする。
「普通はあり得ん。だからこそ問題なんだ。なにせ、領主から見れば、新しい貴族が一人増えるということだ」
「それが問題なのか?」
「貴族同士というのは、必ずしも仲が良いものではない」
ガルドは笑いながらも、静かに続けた。
「場合によっては、自分たちの地位や影響力を脅かす競争相手になる」
「……つまり、騎士様からするとユルヴァンは」
ミレアが思わずユルヴァンの腕を掴く。
「保護する相手じゃなくて、邪魔な相手になるかもしれないってこと……?」
「可能性はある」
ガルドは重々しく頷いた。
「残念ながら、俺も騎士爵様に会ったことはない。だから人となりは知らん。ただ、かなり厳しいお方だという話は村長から聞いていた」
「なら、ユルヴァンのことも迂闊には相談できないな……」
ロイクも腕を組み考えている。
ミレアも俯いている。その空気をどうにかしようと、ユルヴァンは明るい口調で話を進めた。
「とりあえず、この場所からは早めに移動した方がよさそうだよね」
「……まあ、現状だとそうだな。俺たちは平民として身分を買わないといけないからな。そうだ! ガルドさんなら行くとして、どこにした方がいいとかあるか?」
するとガルドは顎に手を当てて考えこんだ。しばらくして、思い出すかのように場所を教えてくれた。
「随分と昔だが、子爵の街に行ったことがある。ダレンの街というんだ。そこがいいだろう」
「ダレンの街……? 聞いたことがないな」
「そうだろうな。この村から最初に目指すなら普通はベルーナだからな」
ベルーナ——それはユルヴァンもたまに行商人から話を聞く町だ。
僕も聞いたことはある。確か、この村の騎士爵も普段はそこにいる騎士らしい。
「俺もベルーナはやめた方がいいとは思っていたけどよ。すぐにばれちまうもんな」
「ああ。その通りだ」
ロイクは結構その辺もしっかり考えていたみたいだ。
「ねえ、お父さん。ダレンの街の方がいい理由は何でなの?」
「そうだな……。まず1つ目の理由は、この辺を治めているベルーナ男爵と、ダレンの街を治めているダレン子爵との仲があまり良くないことだ」
「子爵ってことは、ベルーナ男爵様より偉いのか?」
ロイクが首を傾げる。
「爵位だけ見ればそうだな」
ガルドは頷いた。
「だが重要なのはそこじゃない」
「違うのか?」
「ああ。ダレンの街はベルーナ男爵の領地の外だ」
ガルドは地面に枝で簡単な線を書いた。
「こっちがベルーナ男爵領」
続いて隣にもう1つ。
「そして、こっちがダレン子爵領だ」
「ああ、隣なんだな」
「そうだ」
ガルドは苦々しく笑った。
「そしてベルーナ男爵は昔からダレン子爵を快く思っていないらしい」
「仲が悪いのか?」
「いや。少なくとも俺が聞いた話では、ダレン子爵の方は気にもしていないそうだ」
ガルドは地面に枝を走らせた。
2つの領地を表す線。
その境界を強く叩く。
「つまり」
ユルヴァンが言葉を継ぐ。
「僕たちがダレン子爵領まで入ってしまえば、ベルーナ男爵は簡単には手を出せない?」
「そういうことだ」
そこでガルドはもう一本の指を立てた。
「そして2つ目の理由だが、ダレン子爵は平民から身を起こした貴族なんだ」
「平民から貴族に……それって魔法使いになったってことですか?」
ユルヴァンの目線を受けてガルドは一度うなずいた。
「そうだ、ユルヴァン。ダレン子爵は魔法使いとして身を起こし、戦争で功を立てて子爵位を手に入れたお方だ」
その言葉にロイクは興奮しているようだった。
「すげえ! 物語の話だけじゃなくて本当にそんな人がいるんだな!」
「ああ。平民から騎士になる者はいる。だが子爵まで上り詰めるのは別格だ」
ミレアはその話を聞いても少し心配そうだ。
「でもその子爵様も、ユルヴァンのことを快く思わないかもしれないじゃない?」
「そうだな。だが、ほかの貴族よりは理解があるだろう。それにダレンの街は近年景気がいい。移住者や出稼ぎも多く、人の出入りが激しい。俺たちが紛れ込んでも目立ちにくいだろう」
ユルヴァンはその話を聞いてしばらく考えた。
「ガルドさん。その町にしましょう」
「お、いいのか? ユルヴァン」
「ああ。今の話を聞くと最悪この村の追手が来たとしてもダレン子爵が僕たちを引き渡すとは考えにくい」
ロイクもうなずいた。
「そうだな。ガルドさんが最初に言っていた仲が悪いって話なら、わざわざそんなことしないだろうしな」
その二人を見ていたガルドは急に少し笑った。
「ふっ。お前たちは本当に農奴か怪しくなるな。知識も判断力も高い。そんな農奴は聞いたことがないぞ」
「それは、褒められてるんすよね? 俺はまあ……けど、ユルヴァンは本当にすごいとは思うぜ」
ユルヴァンはその言葉を聞いて、慌てて手を振った。
「僕はロイクと一緒にいたとき、色々と教えてもらったから」
「そうかあ? でも地頭がよくないとそうはならないぜ?」
すると、ミレアまでもユルヴァンを褒めはじめた。
「うん。ユルヴァンは薬の話とかもよく覚えているからすごいのよ!」
「うええ。まじか、あれも覚えているのかよ……」
すると、ミレアは腰に手を当ててロイクに詰め寄った。
「ロイクだってよく覚えてるとは思うけれど……。貴方興味ないこと以外覚えないんだもの」
「全部覚えられるかよ!」
「ユルヴァンは大体覚えているわ」
「いやいやミレア。僕は覚えているけど、実際に作ったことないからさ」
その光景を見ていたガルドの顔は、ここ最近で一番いい笑顔だった。
しかし、誰もそれには気づかなかった。
「ほら、とりあえず。移動するなら早く準備をした方がいい。本来は夜に移動したいところだが……この辺の夜は危ないからな。昼間に隠れながら移動するしかない」
すると、ユルヴァンとロイクは顔を見合わせてから笑った。
「ガルドさん。僕に任せてもらえますか?」
「何?」
「ユルヴァンは夜でも目が見えるようになったんだぜ!」
「……それは竜の力か? 代償があるんじゃないのか?」
ガルドの言葉を受けて、ミレアが今度はユルヴァンに詰め寄った。
「ユルヴァン! 目が赤いけど平気なのよね?」
「う、うん。特に目がおかしいことはないよ。ただ、前よりもよく見えるだけ」
「そう。それならいいけど」
その話を聞いていたガルドはそのまましばらく考えこんでいたが、最後には賛成して夜に移動することになった。
ミレアとユルヴァンは二人で周囲の薬草や食べられるものを探し、ガルドとロイクは狩猟に出かけた。
目的地であるダレンの街は森を大きく迂回して、川を2つほど越えた場所にあるらしい。その距離は大人の足で三日もかかる。
その前に長旅の準備はしておこうという話になった。
そして現在。
ミレアが森の薬草を探し、ユルヴァンは護衛として周囲を警戒していた。
「……この辺まで、薬草とかを取りに来るのは初めてかも」
「この辺は魔物がよく出るからね」
「でも、ユルヴァンがいるから怖くないわ」
「うん。任せて。前よりも多分強くなれたと思うから」
ミレアはかがんで薬草をとっていたが、顔だけを周囲を警戒しているユルヴァンに向けた。
ユルヴァンは、ミレアが何か言おうとしているのを聞こうと近づいた。
「どうしたの?」
「本当はね……不安だったの。ユルヴァンが魔物になってしまったらどうしよう、って」
ミレアは足元の薬草へ視線を落としたまま呟いた。
震える指先には摘みかけの葉が握られている。
その言葉を聞いたユルヴァンは、目を大きく開いた。
持ってきた短剣を持つ手が震えた。
「でもね、ユルヴァンなら大丈夫って思ってもいたの。それでも……もし魔物になっていたら、私はどうしたらいいのか分からなかった」
「……僕は魔物にはならないよ」
「うん。信じているわ。ユルヴァン」
その言葉はユルヴァンの心の中にいつまでも残り続けた。
オークとの戦いの時、僕は一瞬”竜の核”の方に存在を引っ張られていた。
ユルヴァンは自分がどういう状態になっていたか、正確に分析していた。
「大丈夫だよ。ミレアやロイクがいる限り僕は自分を見失わないから」
「……うん」
ミレアの笑顔を見ていると、不思議と胸の奥のざわめきが静かになっていく。
木漏れ日が揺れた。
どこかで小鳥が鳴いている。
ほんの少し前まで命懸けの戦いをしていたとは思えないほど、森は穏やかだった。
竜の核に呑まれかけたあの瞬間でさえ、最後に思い出したのはロイクとミレアの顔だった。
だから大丈夫だ。
少なくとも今は、そう信じられた。
その時だった。
ふと視界の端に何かが映る。
「……?」
ユルヴァンは反射的に顔を上げた。
遠い。かなり遠い。
森の向こう側。
木々の隙間を影が動く。
陽光を受けた鎧が鈍く光った。
遠い。だが見えた。
森の木々の隙間を縫うように進む集団。
数は六人ほど。全員が武装している。
「ユルヴァン?」
様子の変化に気づいたミレアが声をかける。
ユルヴァンは視線を動かさないまま答えた。
「人がいる」
「え……?」
「こっちに向かってるわけじゃない。でも武器を持ってる」
ミレアの顔が強張る。
二人は慌てて身を低くし、茂みの陰へと隠れた。
ユルヴァンは慎重に様子をうかがう。
兵士だ。間違いない。
だが、どこか違和感がある。
「村の兵士じゃない……?」
「分かるの?」
「うん」
ユルヴァンは目を凝らした。
茶色の外套ではない。肩から垂れている布は濃い青色。盾にも見慣れない紋章が描かれている。
剣を交差させるような模様と、その下に穂のようなもの。
少なくとも見覚えはない。
先頭を歩いている兵士が周囲に目を向けながら何かを指示している。
明らかに何かを探していた。兵士たちは時折立ち止まり、周囲を見渡している。
一人が森の奥を指差すと、他の兵士たちもそちらへ視線を向けた。
「行こう」
ユルヴァンは小声で言った。
「ロイクたちに知らせないと」
ミレアは即座に頷いた。
二人は気配を殺しながら森の奥へ引き返す。
幸い兵士たちはこちらに気づいていないようだった。
しばらくして。
狩りから戻ってきたガルドたちと合流すると、ユルヴァンはすぐに先ほど見た集団について説明した。
「六人いたんだ。全員兵士だった」
「騎士爵の兵か?」
ガルドが尋ねる。
ユルヴァンは首を振った。
「違うと思う」
「何が違った?」
「肩に青い布を掛けてた。それから盾に変な紋章があったんだ」
ガルドの表情が怪訝そうになる。
「どんな紋章だ?」
「剣みたいなのがあって、その下に麦の穂みたいなのがあった」
その瞬間だった。
ガルドの顔色が変わる。
「……何だよ」
ロイクが不安そうに尋ねる。
ガルドは数秒間押し黙った。まるで聞き間違いであってほしいとでも思っているようだった。
だがやがて重々しく口を開く。
「それはベルーナ男爵の紋章だ」
「ベルーナ男爵って……」
ミレアの顔から血の気が引いた。
「男爵様の兵士!?」
ベルーナ男爵——先程まで話をしていたユルヴァンたちの村の騎士爵の上役だ。
「なんでそんな人たちがここに来てるんだよ」
ロイクの声が上ずる。
ガルドも険しい顔のままだ。
「俺にも分からん」
「逃亡した俺たちを探しているのか?」
ロイクとユルヴァンは逃亡奴隷だ。それを捕まえるために来たのかもしれなかった。
「農奴が逃げた程度なら、動くのは騎士爵様までだ」
そう言うとガルドは腕を組んだ。
「つまり話が変わった」
ユルヴァンの胸に嫌な予感が広がる。
「どういうことですか?」
「あくまでも予想だ」
ガルドは静かに言った。
「だが騎士爵だけではなく、男爵にも何らかの情報が伝わった可能性がある」
「僕のことが?」
「あるいは失われた竜の核についてかもしれん」
一気に場の空気が重くなる。
誰も言葉を発しない。
竜の核。
その存在がどれほど重大なものだったのか、ユルヴァンはまだ完全には分かっていない。
だが男爵の兵が動くほどの何かが起きている。
その事実だけは理解できた。
「急いだ方がいいな」
ロイクが珍しく真面目な声で言った。
「ああ」
ガルドも頷く。
「予定を繰り上げる」
「今夜ですか?」
ガルドは首を振った。
「いや」
腰を上げながら続ける。
「今だ」
ガルドは森の奥を見つめた。
「男爵兵がこの辺を捜索しているなら、一刻も早くここを離れた方がいい」
風が木々を揺らす。
遠くで鳥が飛び立った。追手は確実に迫っている。
ユルヴァンは無意識に右手を握り締めた。
村を出れば終わりだと思っていた。
だが違った。追手はもう森の中まで来ている。
ユルヴァンは腰の短剣を握り直した。
逃げなければならない。
生き残らなければならない。
本当の試練は、これからだった。
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