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インデックスゼロの魔王  作者: あめたす


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第13話:黄金比の処刑場

第13話:黄金比の処刑場


 夜の帳を焼き切るような劫火が、背後で巨大な咆哮を上げた。

 シリンダー・シティの心臓部が融解し、鉄の街が文字通りドロドロと溶け落ちていく。その死に際の熱波は、数キロ離れた荒野に逃れた僕たちの頬を、乾いたナイフで削ぎ落とすように撫でていった。


「ジジ……」


 僕は、煤と涙で汚れた掌を見つめる。そこには、ジジが命懸けで守り抜いた「数秒」の残熱が、まだ皮膚の奥にトゲのように刺さっていた。あのアスファルトを焼く匂い、肉の焦げる音、そして最後に彼が浮かべた、数字では決して導き出せない微笑。

 隣では、ジャンが血塗れの胸をレオンに預け、肺を振り絞るような激しい咳を繰り返している。その瞳は、紅蓮に包まれた労働都市を見つめ、声にならない慟哭を湛えていた。失った仲間の数、守れなかった約束の重さ。それらが煙となって空へ消えていく。


「泣いてる暇はねえって言っただろ、セト。……あいつの覚悟を汚すな」


 レオンの声は、いつも以上に冷淡で、それでいてひび割れたガラスのような危うさを含んでいた。割れた遮光ゴーグルの破片を握りしめる彼の指先から、鮮血が滴り落ちる。彼はその痛みで、辛うじて正気を繋ぎ止めているようだった。誰もが、口にできない猛毒のような痛みを、それぞれの流儀で飲み込んでいる。

 見上げれば、漆黒の空に、傲慢なまでに白く輝く「アイアン・アイ」が滞空していた。

 世界のすべてを管理し、最適化の名の下に命を塵のように払い落とす、神の箱庭。あそこには、この地獄を「効率的な処理」と呼ぶ兄が待っている。


「行くよ。兄さんのところへ」


 僕は立ち上がった。泥にまみれた膝が震える。けれど、胸に刻まれた「0」という数字が、今は暗闇を刺し貫く確かなインデックスのように感じられた。

 中央統治府「アイアン・アイ」への潜入路を抜け、僕たちが足を踏み入れたのは、あまりに清潔で、シンメトリーな静寂が支配する回廊だった。

 壁は磨き上げられた白磁のようで、僕たちの薄汚れた影を、まるで排除すべき病巣のように鮮明に映し出している。


「気持ち悪いな、ここは。生きてる匂いがしねえ。消毒液と、死んだ空気の味しかしないぜ」


 ジャンが顔を顰めた。彼の言う通りだ。ここは、生命の瑞々しい揺らぎさえも「不純物」として濾過された、思考の剥製が並ぶ墓場だった。

 不意に、回廊の先で、一人の少年が独楽を回すように静かに立ち尽くしているのが見えた。

 アモンに仕える最年少の牙、神童ハル。

 彼は感情の摩耗した瞳で僕たちを一瞥すると、退屈そうに指先で宙に不可視の数式を描いた。


「ノイズが三つ。……いえ、二つの有機的な個体と、一つの定義不能な空虚ゼロですか。極めて非論理的ですね。なぜ、生存確率が 10⁻⁸%を下回る座標へ、自ら再配置されに戻ってくる必要があるのですか?」


「ハル、そこを退いて。僕は兄さんに――アモンに会わなきゃいけないんだ」


「兄様は今、お忙しいのです。世界を美しく、完璧な数式に書き換えるための最終演算……『人類補完プログラム』の実行に入っておられる。……あなたのような、血と泥に汚れた書き損じを、これ以上近づけるわけにはいきません」


 ハルが、無機質な音を立てて指を鳴らした。

 その瞬間、回廊の風景が「幾何学的」に変貌を開始した。


「空間を解体し、最適化します。あなたたちの醜い肉体も、この不完全な回廊も、すべて黄金比に基づいた美しい『立方体キューブ』のパズルの一部として再構成してあげましょう。それが、あなたたちが世界に貢献できる唯一の価値です」


 地面が立方体状に隆起し、僕たちの足場を物理法則を無視してバラバラに引き裂く。レオンが即座に反応し、崩落するブロックを蹴って僕の身体を強引に突き飛ばした。


「セト、ぼさっとすんな! こいつ、マジで俺たちを精密部品にバラす気だぞ!」


 ハルの指先が描く軌跡通りに、空間がレゴのように分解されていく。それは、どんな野蛮な暴力よりも冷酷な、論理による蹂躙だった。ハルにとっては、僕たちが叫ぼうが、内臓を零そうが、それは単なる「構成要素の配置変更」に過ぎないのだ。


「ああ……痛い、か。ジャン、痛いよね。ごめん、僕のせいで」


 断裂した床に叩きつけられた拍子に、ジャンの胸の傷口が大きく開いた。ドロリとした赤黒い血が、無機質な白い床に飛び散り、完璧な対称性を汚していく。

 けれど、その生々しく不吉な色彩を見た瞬間、僕の奥底で、生命の根源的なうねりが、どろりとした熱を持って暴れ出した。


「ハル、見てよ。この血の匂いを、あなたは『汚い』って思う? 予測を乱す、ただの『エラーデータ』だって思う?」


「……不快ですね。液体の飛散パターンが床の反射率を下げ、計算式を汚している。すぐに拭き取り、黄金比の静寂に戻さなければなりません」


「違うよ。これが生きてるってことなんだ! 不格好で、飛び散って、ちっとも綺麗じゃない。でも、これが僕たちの、ジジが守りたかった温度なんだ!」


 僕はわざと、ハルの網膜ディスプレイが弾き出した「安全な回避座標」を無視して、泥のついた靴で白磁の床を力任せに蹴った。

 転び、這いつくばり、不規則な――論理的には「無駄」でしかない軌跡を描いて彼に肉薄する。

 ハルの指先が、一瞬だけ止まった。予測不能な液体の飛散と、僕の「重心を無視した不格好な動き」が、彼の脳内のシミュレーションをコンマ数秒、確実に狂わせていた。


「なぜ……? なぜ、最短の最適解を選ばないのですか? その不規則な動きでは、次のクロックであなたの左腕は立方体に削り取られるはずだ!」


「正しくなくていいんだよ、ハル! 僕はただ、あなたの描いた冷たくて綺麗なパズルを、めちゃくちゃにしてやりたいだけだ!」


 僕が力一杯投げ飛ばした、ジャンの血と床の泥が混じった「汚れ」が、ハルの透き通るような頬を掠めた。

 完璧な幾何学の世界に刻まれた、たった一点の、生臭い泥。

 ハルはその汚れに震える指で触れ、まるで猛毒のウイルスに感染したかのように、生まれて初めて「困惑」という名の人間臭い戦慄を、その小さな肩に宿らせた。

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