1 事件
連休に植物園に行くなんてつまらないと思っていた。父さん曰く、ウチの市出身の「ワタナベなんとか」っていう有名な植物学者を称えて作ったものらしいけど、正直僕は大人しく展示を見てお勉強、ってガラじゃないし、いつもみたいにタケルたちとサッカーした方がいいやって。
「あら、洋介が静かに展示を見てるなんて意外。たまにはいいでしょ? こういう静かな場所も」
ワタナベなんとかという博士の集めた標本の数々に見入っていると、母さんが話しかけてくる。
「それよりさ、母さん。すげえよ、この人。草を挟んだ新聞紙で家の中いっぱいじゃん。普通なら「家が汚くなるから研究やーめた!」ってなりそうなのに。父さんが尊敬するだけのことはあるね」
「うん。お母さんもこんなに家に標本がいっぱいだったら正直嫌になるかも。研究って本当に凄いのね」
植物園の中は連休だというのに僕たち家族以外はポツリポツリとしか観覧者がおらず、だからこそ落ち着いて見れた。僕は館内に植えられ、よく手入れされた植物たちよりも、どちらかというと「ワタナベなんとか」……へえ、渡邊健三というのか。その渡邊博士の研究への情熱にちょっと感動した。
母さんは僕を微笑ましそうに見た後、より一層顔をほころばせて、少し離れたところにいる姉ちゃんに視線をやった。
「でも良かったあ。久しぶりに家族みんなでお出かけできて」
「うん。姉ちゃんがまさか一緒に来るって言うなんて思わなかった」
「相変わらず口数は少ないけど、大きな一歩ね」
まあ、正確に言えば「家族みんな」ではないんだけどね。という言葉は飲み込んだ。僕ももう小学校高学年だ。言ってはいけないことの分別はつく。
姉ちゃんは何故か中学に上がってから、別人のように大人しくなり、さらに父さんとは一切口を聞かなくなった。父さんは「激しめの反抗期だ。いつかまた話せるようになるさ」と苦笑いしていたが、内心はショックを受けていたことだろう。母さんが嗜めても、僕がキレてもまったく聞き耳を持たず、姉ちゃんは頑なに父さんを避けた。僕からすると、父さんは地元の中学校でも「いい先生」「こんなに分かりやすく数学を教える先生はいない」と有名らしいし、よくいる「娘に嫌われる脂ぎったオヤジ」という容姿でもない。家族に怒鳴ったこともないし、仕事から帰った時はいつも僕たちと遊んでくれた。そんな父さんを嫌うなんて正直我儘だと思う。今日は父さんが顧問をしているバレー部の試合があるらしくて、急遽来られなくなったから姉ちゃんはついてきたのだろう。
まあ、絶賛反抗期中の姉は放っておいて展示でも見るか、と僕は目の前のパネルに視線を戻す。渡邊博士の家族写真。綺麗な奥さんと、僕くらいの歳の娘が1人。この人にも家族がいたのか。研究者の家族ってどんな感じなんだろうか……と1人で想像を巡らせていたその時だった。
母さんが、いきなり僕の腕を後ろから掴んできた。
「ちょっと、何するの母さ……」
不機嫌に振り返ると、先ほどとは打って変わって強張った母さんの顔が目に入ってきた。
「洋介。洋介……」
僕の腕を握っている母さんの手は、痙攣しているのかと思うほど大きく震えていた。
「警察の人から電話。お父さんが」




