常娥、大任をほしいままにし、天主、さらなる恨みを集めること②
「······ッ! 無駄グ。人風情がいくら寄ろうが、ワシを倒すことなどできんグ!」
またひとり、匈奴の兵を蹴り飛ばしたマヌラ仙は優雅に着地をきめる。
彼の言葉どおり、相手はただの独りとはいえ、生物を超越した獣仙。寡兵でとり囲んだ程度ではどうにもなるものではなかった。
「漢人に飼い馴らされ、地の神への敬意をうしなった愚か者ども! これ以上くるなら我が爪の錆と化してくれるグゥッ!!」
鋭く伸びでた爪は、その気になれば甲冑なぞ掻き切ってしまいそうな硬度に艶光る。さしもの匈奴兵らも一瞬唸ってたじろいだ。
が──
「ずいぶん威勢がよいな」
天上よりの声にみなふり仰げば、そこにはすべての元凶たる天主その人がいた。これにはマヌラ仙も喉の奥でうなり、ぎゃくに匈奴の兵はおおっ、と意気を盛り返した。
「捜したぞ。お前で最後だ」
目標完徹に疑いない天主のなかに知った気配を感じとり、マヌラ仙は瞳孔をひろげて牙を噛みしめた。
······雪華よ、麗しの人よ。お主もかグ············
ドサリ、と彼に正対して地を踏んだ天主に、マヌラ仙はジリと一歩退がる。
「──遁走は時の無駄だぞ。いくら主が逃げ隠れの名手とてもな」
「できれば解りたくはないが······残念グ。こうなったら············」
とマヌラ仙は袖の中に手をつっこむ。ズルリとなにかが引き出された。その手にあるは、岩をも砕く革の鞭である。
「月塊どもにも見せなかったワシの奥の手! こいつの出番グッッ!!」
月塊。その名をきいて天主の眉根にシワがよる。
「······上等だ。それでこそこの大地の守護者よ······!」
ボトリ。
獣仙の手にしていた鞭が音はかなく草のうえに落ちたことで、匈奴兵はようやく息をついて武器をおさめた。
「お迎えにあがりました、天主様」
そろって天主の前に膝をつく。
「大儀。そちらはどうか」
「「ハ、順調であります」」
天主はすこしの間をおいて言葉をつづけた。
「もうしばし待てと劉豹に伝えよ。ひとつふたつとり逃してまだ完璧とはいえぬ」
匈奴兵らは顔を見合わせてどうしたものかと案じたが、けっきょく天主の言に逆らうことなど出来ようわけもない。
黙って天主の飛翔をみとどけると、マヌラ仙のつれていた馬三頭をくわえ、一路東へと報せに帰ってゆくのだった。
······まだ足りぬ。力が、想いが。より強大になるために············!
天主がつぎに降り立ったのは、やはり起伏いがいは何も無い大草原の只中だった。
ここだ。現在よりざっと三百年の昔。単于・壺衍鞮の世。
王墓を暴いた烏桓への報復にでた匈奴は、漢へ介入への口実をあたえたばかりか、帰途に大雪害でおおくの民を喪った。これにより傘下にあった丁令、東西の烏桓に攻められ、結果、従属していた諸国にも背かれて、滅亡への分岐点となったのだ······。
天主は瞼を閉じると、なにかを捧げもつように両腕をあげた。
「······感じる。そなたらの無念、恨み、憎悪。すべて余に預けよ。かならずや果たしてくれよう。そなたらに替わり、余が······!!」
大地から不気味に湧きたつ暗流が、空を満たすように溢れかえる。そのすべてが、すがるように天主の周りへと集束していく。
叶う。この地に眠る匈奴の民の残滓をあつめれば、充分に。──いや、それ以上ともなろう······! かならずや我らが悲願、とげてみせようぞッ!!
ピクリ──
わずかに眉毛がゆれる。まぶたを上げると、そこはゆらめく虹彩の綾なす不可思議な空間。
もういくどとなく見上げてきた······
蔡琴箭はゆっくりと、乳白色の棺のような寝床から起きあがる。
あるき回ったところで、この空間には果てがあるのだけれど。そのかわり、いくつかある窓をひらけばかろうじて外がみえる。
いまだ朦朧とした目つきの琴箭は、馴染みの窓をあける。
そこに見えたのは、どこであろう、雪におおわれた偉大な高山の峰々であった。
更新が遅れがちで、まことに申し訳ないです。
なんとか最低一週間にいちどは更新できるよう頑張りますので、ひらに······
誤字を修正いたしました。




