月塊、天主と遭遇すること②
はじめ、それは目の錯覚のようにもおもえた。熱にのぼせた時や、明るい光をみすぎたときに起こる、あれだ。だから月塊は、目をこすってもういちどそれをみた。
違うぞ、錯覚ではない。
喩えて言うなればそう──雪だ。
しろい小さな小さな粒が瞬いて集い、だんだんと増えてなにがしかの様を形成してゆく。
やがてそこに顕れたのは、人の形。背恰好はちょうど子供くらいである。馬弦よりはやや大きいだろうか。
だが、その風体はじつに異様であった。
まず肌がおどろくほど白い。人肌の白さというには度が過ぎてしろく、もはや青白い。
黒い髪は頭上の髷でまとめており、鼻も口もちいさく、眼中にうく金の瞳ばかりギョロギョロとしている。
まるで身体に芯がとおっていないかのように、ふらふらとつねに左右にゆれていて、ぜんたいに気配は希薄なくせに、それでいて、どこか目を離せないような圧倒的存在感をはなっているのだった。
身には匈奴の衣服をまとっている。なれば同族なのだろうが、馬弦はゾワリと身の毛がよだつのを抑えきれない。
自分のしる限り、同年代にあんな奴はみたことがない。あんな特徴的な奴、ひと目みればまず忘れるわけがないだろう。
妖者のたぐいか? だが妖気は感じない。というか、なんの気配も感じられない······。
月塊は念のため、馬弦と里人をさがらせると、腰に下げていた二本のうち、鉄鞭をひき抜いた。
「そこで止まりな。なんなんだ、お前は······?」
「お前こそ何だ」
その、足のほうからすっぽりと絹の袋でもかぶっているかのような生成りは、通りはするが見た目どおりの弱々しい発声をした。
「なぜ、お前みたいなのが此処にいる。なぜ······今······」
······なんだコイツ。
ともすれば身を乗りだしがちな馬弦をおし戻しながら、月塊自身、なにか得体のしれぬ恐ろしさを、その生成りから感じはじめていた。
北地に棲む俺の知らないなにかなのか? だが相変わらず、妖気も仙気も、それどころか生気も感じられねェ。
それがこれ程恐ろしいことだとは············。
「じゃ、いいや。問いを変えるぜ。······なにしに来やがった」
ユラリ、とその生成りはまた横にゆれる。
「······散歩にきた、と思ってた。でもいまわかった」
ちいさな口をさらにすぼめる。
『お前を視るためだった』
「!?」
ふり返る暇もない。
背後に冷気を感じたとおもったら、痛烈な拳撃が背骨を砕かん勢いで放たれ、月塊をふきとばす。
まるで爪先ではじかれた小石のように。
つぎの瞬間、彼の体は石と目地で築かれた牆壁をたやすく突き破って、はるか前方の草原に盛大に土煙をたてていた。
背後で腰を抜かす者らには一顧だにすることなく、生成りは一步ふみだすと──そのたった一步をおろす間に月塊の眼前に現れている。人間業ではないことはもはや明らかだった。
「······ッつつ······」
「······思いだしたぞ、なまえだ。俺は天主」
「······天主だぁ? ずいぶんと御大層な名だな」
「意味なんか知らない。······劉豹らはそう呼ぶ」
「劉豹? ······誰だよソイツは」
身体をもちあげながら、月塊は、天主と名乗ったその化物を睨みつける。
「······左賢王?」
「左賢王······ってな、匈奴のか」
月塊の言葉を遮るように、ユラリ、と袖があげられ、右手を突きつけていた天主はうすい眉根をしかめた。
「お前、ウルサイ奴だな。問いばかり······どうなのか。俺と遊ぶ勇気あるのか?」
「えらく暇にみえてるんだな、俺は。
······まぁいいや。奴らんトコにお前みたいなのがいるとなると話は違わぁ」
ペッ、と月塊は砂まじりの唾を吐き捨てると、ズイと鉄鞭のさきを天主にむけて突きつける。
「いいぜ。ただし相手は俺かぎりだ。はき違えんなよ」
誘いをうけ入れられたにもかかわらず、天主は鼻を、フン、とだけいわすと袖をならして型をなぞり、腕をひろげて低く低く身構えをとる。
どうやら素手で闘る気らしい。わるいがこっちは得物をつかわせてもらうぜ······!
トンッ、と踏みこむと、一步、二歩と天主はみずからに回転をくわえ勢いにのって蹴りをみまう。
月塊がこれを鉄鞭でうけると、たちどころに衝き上げるようにまた蹴り。
得物を持っていかれそうになるところを、月塊右に薙ぐと、天主、これを沈みこんで躱す。と、同時に相手の足許を乱しにかかる。
月塊、ひねりをくわえて身体を投げだし前方へのがれ、獣のごとく四肢でもって伏せたところへ天主の執拗な蹴りが追撃する。
が、それより疾く月はヒラリと後方へ宙返りでのがれ、膝立ちまで態勢を挽回し、次撃をまたも鉄鞭でうけ切る。
グググッ、と押し込みながらたちあがらんとする月塊の圧力に、天主、たまらず拳を繰りだす。が、それも月塊が逆抜きにはなったもうひとつの剣におし留められる。
「······!」
「······どぉした。もう終いかァ?」
「······フゥ······ッ······!!」
ミシリッ、と音がなった。かと思うと──
「なッッ?!」
あろうことか右拳がもう一本飛んでくるではないか。
月塊たまらず、右辺の攻をいなして半身をとり、ためらわず逆手のまま剣先を天主の首元をねらって突きたてる。だがそれも、あらたな左手の白刃取りによって押し止められた。
「んなッ······?」
わさわさと自由自在に天主の全身を移動する別口一対の腕に、さしもの月塊も顔をひきつらせる。
このあまりの異様ぶりが、馬弦以下、里人たちにも、かの者が自分達とは本質からしてちがう「なにか」であることをはっきりと告げていた。
「?」
馬弦は目を凝らす。
天主のたっている所からメリメリとなにかが土を割ってでる。あれは······草か?
そう。まるで今、あらたに芽吹いたように、瑞々しい若草がもの凄い勢いで成長しているのだ。
ホントになんなんだこの野郎は······。いままでに遭ったこともない空恐ろしさを感じるのは何故だ······?
じわじわと恐怖がしみ込んでくるようだった。
だか、初見に相対した恐怖に戸惑っているのは、そのじつ月塊だけではなかった。相対する天主も、月塊に対してまったくおなじ感情に囚われていたのである。
「······なんなんだ······! なんなんだお前ッ······! どうして······!!」
突如絶叫すると、悔しくてたまらぬといったように、初々しく生えてきたばかりの若草もろとも、地面を掻きむしりはじめる。これに呼応して、その足元から立ち昇ってくるものがあった。
──冷気!!
月塊が反射的に跳ぶと、地走りとともに氷が噴出した。真一文字にのびたその冷気は、一気に土壌を凍りつかせてしまう。
天主の様子に、月塊またも躱すが、今度は天主も腕を休めることなく、しかも他二本の腕までもつかって地を掻きむしり続けた。
あれよという間に天主を中心とした放円状にすべてが凍結し、一種の結界と化す。
「うわぁっ!?」
「きゃああッ?!」
すさまじい速度で地を割っていく氷は、とうとう里の外壁を崩し、さらに奥へと侵食してゆく。
「──てめェッ!!」
月塊、大号すると自らの重さをまし、溢れる氷を踏み砕きながら背後より迫る。
興奮で狂気じみた貌でふり向いた天主が、
「ヒャホ!!」
と一撃すれば、さらなる獣の牙のごとき氷床が、前のものを砕き割ってあらわれる。
「んオオオッッ!!」
逆の手を土中に突っこんで返すと、そこからも氷の棘をもった顎がせり上がり、まるで狼の口にとび入る獲物のように、前後から身を浮かせた月塊を挟撃した。
「あッッ!!」
メキィ、ゴリゴリガリィッッッ、と、重量ののった氷同士が衝突する音がして、あり余る冷気とともに砕けて散った。
──だがそこに月塊の姿はもはやない。あるのは、手にしていた二本の刃。
「!?」
とっさに背後を護らんとした天主の背を重く振り抜かれた蹴りがとらえ、初手のお返しとばかり彼を氷円の外まで吹きとばしたのであった。
「──月塊、大丈夫っ?」
馬弦が駆けよってくるのに応え、月塊は息をつきながら立ち上がる。
危なかった。
奴の術は本物であった。なんとか急所をとらえることで砕くことには成功したが、なけなしの武具とても代償としては安いものであったろう。
地に転がる鉄鞭はグニャグニャにへし曲がり、剣は粉々に割れてしまっている。
ゴソリ、と吹きとばした者の身動ぎに、月塊は集中をとり戻す。
「······くも······」
面を伏せたままの天主は何事かつぶやいていたが、不意にグリッとこちらへ向ける。その表情は心根そのまま、憤怒の激情に彩られていた。
「よくも······! よくもッ······!! よくもッッ······!!! 復讐してやる! 復讐してやる!! 復讐してやるゥゥッッッ!!!」
いうが早いか、現れたときのように白い霞となり、やがて細かな一粒一粒となって、いずこへなりと消え去ったのであった。
「······ったく。あれも天仙どもの入れ知恵なのかよ」
まったく、なんたる「ありがたき温情」か。
解決せねばならぬ大問題のさらなる追加に、月塊は深々とため息をつくのだった。




