東遷の銅鑼なりて、董承、さえぎられ慨嘆すること
なんとか監視の隊をふりきった天子一行は、その後は見咎められることもなく、右扶風をぬけ長安圏にはいった。
だが入城することは念頭にない。このまま野外の隠し家──渭水北岸の諸県はすでに張済の手がまわり受けいれを拒否された──へとより、そこで黄河をわたって北は河東方面へまわり込みつつ、洛陽をめざすというのが一味の考えであった。
まずは本隊が先行し、琴箭、楊彪ら朝臣が追いつく。そうすることで、ひとつには李傕らの目をくらませ、ひとつには華陰の手前で軍をとどめる張済の網をのがれることができる。
当然速度はおちるうえ危険は増すことになるが、どのみち東路をおさえられている以上、廻り道は避けられぬのだ。そういう意味では徐晃らが駆けつけてくれたのはまだ吉兆といえる。
董承、徐晃らは油断なくあたりに目を配りつつ出来るかぎり足をはやめて、やっと隠し家へと近づいた。
「様子をみてまいる。徐らはここで待て」
念のため、董承は隠れ家の様子をたしかめに単騎で近づいていった。
「む」
なにやらおかしい、と董承のはりつめた神経が異変をしらせた。辺鄙で寂れた処であるはずの向かう先に、朦々と土煙がたっているではないか。まるでおおくの人馬が留まっているようである。
胸中が騒いだ。これはいったいどうしたことだ。
と、傍らの木陰からふいにひとりの男がとび出して董承の馬の横に膝をついた。みれば隠れ家の警護においていた兵士である。
「これはいかにしたことだ。なぜお前は持ち場を離れている」
いささか気を荒げていう董承に、変装のため農民そのものの恰好をしたその兵は頭をさげていった。
「申し訳ございませぬ。しばらく前より近辺に匈奴どもと思われる一団が侵入、周辺を荒しております。それを追ってきた長安の兵が邸に営をかまえてしまったのでございます。他の者は偽装がばれぬよう下働きに遣われるしかなく、私のみ、将軍がたのお越しをお待ちしておりました」
「なんと!」
董承はおもわず天を仰いだ。のっけから何という不運か。これではこの先の道程が思いやられてならぬ。
だがなってしまったことは仕方がない。これも李傕らの政事のなせる悪業ということだ。匈奴とて、長安周辺の警備がこうも緩まなければ侵入しようなどとは企てなかったろう。
「致し方ない。隠し家は放棄する。お前達は討伐の兵が帰るまでそのままに勤めよ」
はっ、と頭をさげると、兵はもときた道を戻っていった。
念のため、この周辺に隠れ家は三軒ほど用意していたが、長安の兵のみならず匈奴までが跋扈していては、とても帝を護りとおすことはできない。かといって、一気に黄河を渡ることも叶わない。
だが、けして董承は焦ってはいなかった。たしかに理想どおりとはいかなかったが、なに、隠し家の用意は北面だけではないのだ。東面にも目くらましをかねたものが五つ六つは用意がある。琴箭や楊定らの兵と合流したのち、あらためて北進をうかがえばよいのだ。
ところが、である。
念のため状況をたしかめようと各所に検分の者を走らせたところ、そのいずれもが焼けたか、あるいは不逞の者どもの根城と化していることがわかった。
「ああ、何ということだ。天は我らを嘲笑っておいでなのか······」
懸命な努力がこうまで裏目では、董承は天を仰いで慨嘆するよりほかなかった。
だが諦めるなどという選択は断固としてない。絶対にだ。董承は必死に己を奮いたてる。
「このまま行く。断じて退かぬぞ、絶対にだ」
彼は徐晃をよんで命じた。
「忠達(琴箭)に遣いをだすのだ。隠し家は使えぬゆえ華陰へとむかう、ただちに追いついてこいと伝えよ」
東へと進みだした一行を、遠目より見つめる目があった。
赤霄はさもありなん、とばかりに笑みを口元にうかべ、馬に合図をだす。
「見上げたものだ、そうこなくてはな」
想定どおり、すべては賈文和の手の内にあり。そういうことなのだ。
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