琴箭、石胎箴緯にふれること③
それはつまり、いま目の前にあるこの書は、漢帝室の秘宝のひとつといってよいものではないか。
自分がどんな顔をして伏完をみあげたかわからない。伏完はすこしあきれ顔でうなずいて、さっさと読むよう促している。
手が震える。こんな事態の最中にまで書に心を奪われるとは、もはや自分は中毒──否、変態にちかいのではないかと心配にすらなるが、今はそれもどうでもいい。
琴箭は深呼吸すると、黄色く染めぬいた泊書を手にもち、するすると開いた。
「石胎箴緯はその昔、洛陽の宮殿を増設する際に地中よりみつかったと伝え聞く。
大岩が邪魔なので動かそうとしたら、なんと勝手に割れ、なかにはそれらの金文字が記してあったのだそうだ。それがいくつもみつかり、これは人の手によるものではない、天の遣わしたものだ、とな。
内容は時代々に漢室にとって不利益となるであろう行動が予言されておる。つまりそれさえ侵さねば、漢に降りかかるであろう危難を除くことができる、というのが学士たちの意見であった。時がくだるほどに箴言の数は増してゆき、そしてここだ」
伏完は琴箭の読んでいた一歩後の部位を、指でトンとさし示す。
「孤狼、禁門をやぶらんとす」琴箭は声に出して読んだ。
「けして容れるなかれ。天道、西に傾く。のち、佞臣ほしいままにし、天道、光輝に身を灼かん············」
これが現状を予言しているのだとしたら、孤狼、とは董卓のこと。禁門をやぶるとは、彼を何進大将軍が洛陽へ招聘したことか。天道とは陛下とその政事であり、西に傾くとはこの長安への遷都であろう。すれば佞臣とは李傕・郭汜。
だが。
「光輝に身を灼かん············つまりこれが、陛下の病だと伏様はお考えで?」
ウム、と伏完。琴箭はじっと考えこむ。
「しかし光輝に身を灼く、とは。なにやら病の暗示にしては少々······」
「もちろん我らとて信じきっている訳ではない。ないが、陛下がそう信じておられる。であるならば、これを護ることで少しでも善いほうへ事がむくかもしれぬだろう。どのみちこのままではおれんのだから」
せめても、ということなのだろう。
「得心いたしました」
琴箭はシュルシュルと書を巻いていった。
「もどり次第、楊様と話をつめることにいたします」
宮をでると、すでに董承が隊を率いてまっていた。無言で部下の後ろへ乗るよううながす。
琴箭も無言でうなずきを返すと騎乗し、一行はまた長安へむけて馬を走らせるのだった。
琴箭をのせた騎馬隊が去った後。
郿宮の屋根から慌ただしく鳥の群れが翔びたった。そのはばたきに混じって明らかにそれと違う影が、追うように東へと瓦を鳴らして姿を消したことには、誰も気づくものはいなかった。




