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【完結】月琴伝  作者: 雲野 蜻蛉
石胎箴緯
277/403

賈 詡、琴箭の計を看破すること


 カラリ、と竹簡の音をさせ、賈 詡は視線をあげた。

 表で馬の息遣いが聞こえた。また間諜が報告をもってやってきたのだろう。丁度よい。

 たちあがると縮こめていた長身をうんとのばして、床より一段たかくなった段座へ、ぞんざいにどかりと腰をおとす。

 しばらくして入ってきた間諜は賈 詡に気づくと、慌てて礼をとり、懐より書状をとり出して彼にわたす。


 (ひる)下りの白い光が後ろ背の窓より射しこんで、暗く埃っぽい室内をしずかに浮きたたせている。文机の脇においた燭台の灯りが、じっと屹立する間諜のかわりか、わずかな流れに身じろぎをした。


「なるほど、ご苦労。ひき続き頼む」


 ハイ、と返して間諜が急ぎ足にでていくと、入れ違いになるように、赤霄(せきしょう)が入ってきた。顎をなでながら何ぞ思案している賈 詡に目を留める。


「報告にはなんと」


 うむ、と賈 詡はひと間おいてから顔をあげた。

「李傕の奴もまずまず(こす)い。北では袁紹に公孫瓚を、東では曹操に陶謙をあてて牽制させるらしい。爵位をくれてやるのだそうだ。そういう使い方は知っていたか」


「それだけ両者の勢いはつよい、ということでしょうな」


「であろう。いつかこのどちらかが陛下に絡んでくるかもしれんて」


だが、と賈 詡は赤霄をみあげてニヤリと笑う。


「なんと言おうがいま一番陛下に近いのは張大将よ。それは揺るぎはせぬ。そしてそのすべてはいずれ我が主の、甥御の張師雄(張繍)様のものとなる」


「まさに張師雄様こそ武門の主にふさわしき人物にございます」

 赤霄も賛同の意をしめした。



「ところで、少々興味ぶかいことを耳にしましたよ」


 賈 詡がもとの座にもどって腰をおろしたところで、赤霄は話をきりだした。


「いま李軍では、張大将にたいする不信感が高まっているらしいのです」


ほう、と賈 詡は読みながしている書状から目を離さずに相槌(あいづち)をうつ。

「なんでも西涼の馬騰と韓遂がふたたび長安をうかがう構えだとか。それに呼応して張大将が天子を奪うつもりだとの噂が」

「ふっ、なんだそれは」


 思慮するにもおよばない、そんなものは戯言だと決めつけたような笑いだった。

 赤霄はすこしだけ気を挫かれたようにたらした前髪をいじったが、

「まったく戯けたことで。いったいどこから出てきたものか」とこぼした。


「······出どころならば予想はつこう」



 賈 詡は竹簡をおしやると、一帯の地図を机上にひろげた。


「いま馬騰や韓遂がうごけば西へと李傕の意識がむく。それすなわち、他への注意が薄くなるということだ」


赤霄はなるほど、と頭をあげる。


「では郭汜が何やら企んでいると?」

「それがひとつ。その噂は馬・韓と張大将が組んでいるという触れこみであったな」


 赤霄がうなずくと、賈 詡は面白そうに笑んで顎をなでてみせた。どうもこれが機嫌の良いときの彼の癖のようである。


「張大将がこちらへ来られる目的は、紛うことなく李傕・郭汜の仲裁だ。ということは、それをされると都合のわるい連中がいる。それでふたつだ」


 その言を素直にたどれば、郭汜、ないし李傕側が仲裁をありがたがっていないということになる。無論それがないとは言わないが、余計な流言をながしてまで阻止するほどのものであるか。


「つまり大将への噂の出処はまたべつにある?」



 賈 詡は返事をすることなく、地図上の「長安」と記された地点をこつこつ指先でたたきながら呟く。


「周辺の諸将はおおむね朝廷に好意的だが、みずから攻め込んでくるような気骨も余裕もある者はいまい。遠方の袁本初しかり、曹孟徳しかりだ。

 また、馬騰らもわざわざ虚勢をはる利はない。態勢のたて直し時ゆえ、敵の注意をひくだけ損だ。それにまことに兵を動かして陛下を抑えられたとして、その後は如何する? 李傕らが(おそ)れいって攻め込まぬなどと本気で考えるはずもなかろう。

 荊州、益州にも大志はなし······

 ならば内だ。現在この都にある勢力はみっつ。李・郭、そして朝臣」


「では、朝臣ども?」


「かように白々しい内容は、大仰にいい立てることでかえって疑心をそそる。朝臣のなかでは楊彪、种 (ちゅうしゅう)、荀攸あたりが候補だが、彼らは堅実な質だ。······違うであろうな。この流言、半端な才と自信が裏に透けてみえるとは思わぬか」


 赤霄はほう、と、あらためて賈 詡を讃えるような目つきでうなずいた。


「では文和様は、これを蔡琴箭の仕業だと仰るのですね」

「その狙いは、天子をつれて長安を脱出し、洛陽へ還ること」


 賈 詡は地図をそのままに、また新たな竹簡をその上にひろげた。


「李傕の目を西にむけ、東にある大将を牽制する。さらに李・郭両者を争わせた隙に、というところだな。はたしてそう手前勝手に事が運ぶか······観物だ」



「ふっ、お人が悪い。それをさせぬために我らがいるのではないのですかな」


 ふたりが顔をあげると、いまひとり、将が隠れ家へと入ってきたところだった。

 具足はつけておらず、衣などの身なりはまずまず立派である。腰にはひと振りの古式な(こしら)えの剣をさげていた。


泰阿(たいあ)か」


 赤霄に泰阿とよばれたその将は、ニヤリと笑って返すと、賈 詡に主従の礼をとって腕をおろした。


「赤霄のいうとおり、いま李軍ではその噂で持ちきりですぞ。はたしてこのまま張大将を都へ入れて良いものか、李傕も考えておるようです」


「それはそれは。さぞかし、上手く事が運んでいると蔡琴箭もおもうでしょうな?」


「──そうなれば、よりふかく敵の心中を知りたいと思うもの。お主に誘いがかかるのも、そう遠くはあるまい」


 ニヤリ、と泰阿は自身に満ちた笑みで口の端をゆがめる。


「その折こそ、俺の出番というわけです。見事お役に立ってみせましょう。この泰阿こと、李傕軍配下、楊定におまかせ下され」




 賈 詡にひとまずの(いとま)をのべ、ふたりは隠れ家の門をでた。


「さて、いましばらくは様子見か。ただ待つだけは肩が凝るわ」

愚痴(グチ)るなよ。麻姑様はあくまで人界の尺度で(さば)かれるおつもりなのだから」

「わかっておる。実際、お側づきとしては安心だしな。······まったく、これがもし天にバレでもしたらと思うと気が休まらんわい」

「そうならぬよう、いざとなれば我らがお支えするのだ。間違っても支配を怠るなよ?」


 泰阿はハッハッハと笑って、腰に提げた古剣の柄をバシバシと叩いてみせる。


「誰にいうておるか。はばかりながらこの泰阿、武人にソッポを向かれたことはないわ」



登場人物と書き手との知力差がモロに······

あっしじゃあ賈 詡さんの切れ者っぷりを表現しきれません······

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