賈 詡、琴箭の計を看破すること
カラリ、と竹簡の音をさせ、賈 詡は視線をあげた。
表で馬の息遣いが聞こえた。また間諜が報告をもってやってきたのだろう。丁度よい。
たちあがると縮こめていた長身をうんとのばして、床より一段たかくなった段座へ、ぞんざいにどかりと腰をおとす。
しばらくして入ってきた間諜は賈 詡に気づくと、慌てて礼をとり、懐より書状をとり出して彼にわたす。
午下りの白い光が後ろ背の窓より射しこんで、暗く埃っぽい室内をしずかに浮きたたせている。文机の脇においた燭台の灯りが、じっと屹立する間諜のかわりか、わずかな流れに身じろぎをした。
「なるほど、ご苦労。ひき続き頼む」
ハイ、と返して間諜が急ぎ足にでていくと、入れ違いになるように、赤霄が入ってきた。顎をなでながら何ぞ思案している賈 詡に目を留める。
「報告にはなんと」
うむ、と賈 詡はひと間おいてから顔をあげた。
「李傕の奴もまずまず狡い。北では袁紹に公孫瓚を、東では曹操に陶謙をあてて牽制させるらしい。爵位をくれてやるのだそうだ。そういう使い方は知っていたか」
「それだけ両者の勢いはつよい、ということでしょうな」
「であろう。いつかこのどちらかが陛下に絡んでくるかもしれんて」
だが、と賈 詡は赤霄をみあげてニヤリと笑う。
「なんと言おうがいま一番陛下に近いのは張大将よ。それは揺るぎはせぬ。そしてそのすべてはいずれ我が主の、甥御の張師雄(張繍)様のものとなる」
「まさに張師雄様こそ武門の主にふさわしき人物にございます」
赤霄も賛同の意をしめした。
「ところで、少々興味ぶかいことを耳にしましたよ」
賈 詡がもとの座にもどって腰をおろしたところで、赤霄は話をきりだした。
「いま李軍では、張大将にたいする不信感が高まっているらしいのです」
ほう、と賈 詡は読みながしている書状から目を離さずに相槌をうつ。
「なんでも西涼の馬騰と韓遂がふたたび長安をうかがう構えだとか。それに呼応して張大将が天子を奪うつもりだとの噂が」
「ふっ、なんだそれは」
思慮するにもおよばない、そんなものは戯言だと決めつけたような笑いだった。
赤霄はすこしだけ気を挫かれたようにたらした前髪をいじったが、
「まったく戯けたことで。いったいどこから出てきたものか」とこぼした。
「······出どころならば予想はつこう」
賈 詡は竹簡をおしやると、一帯の地図を机上にひろげた。
「いま馬騰や韓遂がうごけば西へと李傕の意識がむく。それすなわち、他への注意が薄くなるということだ」
赤霄はなるほど、と頭をあげる。
「では郭汜が何やら企んでいると?」
「それがひとつ。その噂は馬・韓と張大将が組んでいるという触れこみであったな」
赤霄がうなずくと、賈 詡は面白そうに笑んで顎をなでてみせた。どうもこれが機嫌の良いときの彼の癖のようである。
「張大将がこちらへ来られる目的は、紛うことなく李傕・郭汜の仲裁だ。ということは、それをされると都合のわるい連中がいる。それでふたつだ」
その言を素直にたどれば、郭汜、ないし李傕側が仲裁をありがたがっていないということになる。無論それがないとは言わないが、余計な流言をながしてまで阻止するほどのものであるか。
「つまり大将への噂の出処はまたべつにある?」
賈 詡は返事をすることなく、地図上の「長安」と記された地点をこつこつ指先でたたきながら呟く。
「周辺の諸将はおおむね朝廷に好意的だが、みずから攻め込んでくるような気骨も余裕もある者はいまい。遠方の袁本初しかり、曹孟徳しかりだ。
また、馬騰らもわざわざ虚勢をはる利はない。態勢のたて直し時ゆえ、敵の注意をひくだけ損だ。それにまことに兵を動かして陛下を抑えられたとして、その後は如何する? 李傕らが畏れいって攻め込まぬなどと本気で考えるはずもなかろう。
荊州、益州にも大志はなし······
ならば内だ。現在この都にある勢力はみっつ。李・郭、そして朝臣」
「では、朝臣ども?」
「かように白々しい内容は、大仰にいい立てることでかえって疑心をそそる。朝臣のなかでは楊彪、种 輯、荀攸あたりが候補だが、彼らは堅実な質だ。······違うであろうな。この流言、半端な才と自信が裏に透けてみえるとは思わぬか」
赤霄はほう、と、あらためて賈 詡を讃えるような目つきでうなずいた。
「では文和様は、これを蔡琴箭の仕業だと仰るのですね」
「その狙いは、天子をつれて長安を脱出し、洛陽へ還ること」
賈 詡は地図をそのままに、また新たな竹簡をその上にひろげた。
「李傕の目を西にむけ、東にある大将を牽制する。さらに李・郭両者を争わせた隙に、というところだな。はたしてそう手前勝手に事が運ぶか······観物だ」
「ふっ、お人が悪い。それをさせぬために我らがいるのではないのですかな」
ふたりが顔をあげると、いまひとり、将が隠れ家へと入ってきたところだった。
具足はつけておらず、衣などの身なりはまずまず立派である。腰にはひと振りの古式な拵えの剣をさげていた。
「泰阿か」
赤霄に泰阿とよばれたその将は、ニヤリと笑って返すと、賈 詡に主従の礼をとって腕をおろした。
「赤霄のいうとおり、いま李軍ではその噂で持ちきりですぞ。はたしてこのまま張大将を都へ入れて良いものか、李傕も考えておるようです」
「それはそれは。さぞかし、上手く事が運んでいると蔡琴箭もおもうでしょうな?」
「──そうなれば、よりふかく敵の心中を知りたいと思うもの。お主に誘いがかかるのも、そう遠くはあるまい」
ニヤリ、と泰阿は自身に満ちた笑みで口の端をゆがめる。
「その折こそ、俺の出番というわけです。見事お役に立ってみせましょう。この泰阿こと、李傕軍配下、楊定におまかせ下され」
賈 詡にひとまずの暇をのべ、ふたりは隠れ家の門をでた。
「さて、いましばらくは様子見か。ただ待つだけは肩が凝るわ」
「愚痴るなよ。麻姑様はあくまで人界の尺度で捌かれるおつもりなのだから」
「わかっておる。実際、お側づきとしては安心だしな。······まったく、これがもし天にバレでもしたらと思うと気が休まらんわい」
「そうならぬよう、いざとなれば我らがお支えするのだ。間違っても支配を怠るなよ?」
泰阿はハッハッハと笑って、腰に提げた古剣の柄をバシバシと叩いてみせる。
「誰にいうておるか。はばかりながらこの泰阿、武人にソッポを向かれたことはないわ」
登場人物と書き手との知力差がモロに······
あっしじゃあ賈 詡さんの切れ者っぷりを表現しきれません······




