鳳凰舞いおりて、すべての仙、夢幻の間にきえること
琴箭の絶叫がやけに大きく聞こえた。
「揺れが······止まった············?」
梅春は恐る恐るあたりを見回す。
揺れだけではない。これまであれほどに吹き荒れていた上空の強風も、紅蓮の溶岩も、蒸気も。すべてがあるがままに治まって、そして静かだった。
「お見事だ······」乙越が心底感嘆するようにつぶやく。
琴箭は足元をひたす、優しい青白い光をみおろす。
「──これは······」
そう。月塊、妖火の円陣だった。だがその規模はこれまでのそれとは桁違いだ。陣はなんと、神山まるまるひとつを包みこんで輝いているのであった。
「な······そんな? 我らの積年が··················」
たゆとう光を踏みしめ、月塊がゆっくりと歩んでくる。そしていまだ呆然とする山海経の前にたった。
「覚悟はいいか。ケジメはケジメだからな」
「··················」
ドッ、と月塊の拳が流麗に山海経の腹をとらえる。山海経は蒼い炎の塵となって散った。
「月塊······」
無言で立ち尽くす彼のもとへ琴箭は歩みよる。
だがどんな言葉をかけて善いのかわからない。ひょっとして自分たちがココへ迷い込みさえしなければ、彼はあの存在に手をかけなくて良かったかのではないか。そんな思いがよぎった。
「月······アンタ、それじゃあ······いえ······御免なさい」
「謝るならまだすこし早い」
ふり向くと乙越が、梅春とともに後につづいていた。
「彼がけじめを迫られるのはこれからさ」
「え?」
ギロリ、と月塊の目玉が乙越を睨みつける。
「──テメェ」
「············言いたいことは沢山あるだろうが、まずはやりかけのことが先じゃないかな」
クイッと顎でさす方を見れば、いままで風雲のために隠れていたのか、山頂、山海経のたっていたさらに奥へとつづく道が現していた。
この場を最奥とおもっていたが、どうやら違ったらしい。まるで道しるべの燈火のように点って舞っている蒼い靄の花弁が途切れているところをみると、その先はすこし下り坂のようだ。
その広場にはなにもなく、ガランとした空間が広がっていた。地面の、はるか昔におかれたのであろう石床には、陰と陽をあらわす八卦図が刻み込まれている。その崩れた割れ目からでた草がふく風に頭をくすぐられ、眼下にはただ雲海が渦を巻いてあるのみである。
その場にある唯一のもの。山海『境』の最最奥というべき場には一本の古金の巨剣が鍔のあたりまでぐっさりと突き刺さってあり、その柄尻の部分、すこしおおきめの丸い室になった部分に、ひと巻きの書がおさまっていた。
「······これが?」
「そうだ。山海経の本体、ということになるかな」
なるほど。では今まで暴れていた肉体は、いまの月塊とおなじくこの常世の風土をつかって作られていたのだろう。
「························」
「さて、どうする?」無言で巻物をみつめる月塊に、乙越は訊ねかけた。
「答えをきく前に告げておこう。ここで君がこの書を葬れば、君はせっかくの仙格を失うことになる」
············やっぱり。琴箭は唇をゆがめる。
「いま君の身体はここの岩石で出来ている。山海経が失われれば当然その力も失せる。おまけに妖としての本質も仙書を蝕んだことで薄れた。現世にもどっても、もう真っ当な妖とはいえまいな」
そうでなくても仙殺しは大罪だ、と彼は締めくくった。
そう······仙人に殺しは禁忌だ。まして仙が仙を殺すだなんて············。
なにも応えることなく、月塊は一歩踏みだす。
「私としては」最後の待ったをかけるように乙越が若干声を荒げた。「せっかく大望叶って、ふたりも仙の同志が増えたのだ。その両方を失ってしまうのは哀しいね」
「······フン。テメェの気分なんか知るか」
月塊はやっとボソリと返す。
「コイツはけっして止まらねぇだろが。なら共存は出来ねぇ」
月塊は光の戟をとり出す。くるりと回して柄尻のほうを書の収まる揺り籠へとかざす。
「あばよ······」
そう。いつだって、別れの時は唐突にやってくるのだ。
無言のまま山頂をおりた琴箭と梅春のまえに、予兆もなしにふわりと一羽の大鵬が舞い降りてきた。ふたりが驚きつつみると、それは五色の彩をその身に宿し、燃えるような紅い色をしている。
《お前が蔡琴箭ですか?》
なんと口まできいたではないか。
「貴方······ひょっとして鳳凰?」
まったくの当てずっぽうだったのだが、肯定のうなずきをかえした。
《いかにも、私は鳳凰。お前を迎えにきました》
「え? なぜ私なんかを」
《私は我が朋、叔均殿の願いをうけたのです。お前たちをあちらまで送って帰して欲しいとのこと》
「叔均様が!? それは畏れ多い············」
こわごわと琴箭は梅春をうながして鳳凰の背に乗る。羽毛は見た目よりずっと柔らかく、ほんのり暖かい。
だが発つまえに最後の心残りがある。彼女はいまだ沈んだままの月塊をみつめる。乙越かやんわりといった。
「彼は私が送ってゆこう。ここは入ってきた処より出る他ない。崩れてしまってはコトだからね、急いだほうがいい」
やむなく琴箭は鳳凰に頼む。鳳凰は優美な翼を広げると、一路南をめざして翔びたったのだった。
「やい。テメェは何でここにいるんだ?」
連れだって歩みながら月はトゲトゲしく訊ねる。
「安心しなよ。今回は過去の精算のためさ。とり忘れていたモノが気になることをしようとしていたのでね」
「······テメ。まさかなにか企んでるんじゃねぇだろうな」
「そう怒るなよ。企んだのはキミと再開する以前のことだ。張道陵が持っていたと知って興味を持ったのさ。だがどうも違ってね。いうなれば私は、アレの最後の記し手というに過ぎない」
「ケッ。カラんでんのにゃ違いねーだろーが」
月塊は忌々しげにもう一度乙越を睨んではき捨てた。
「信用してくれて良いのだよ? あれから占卜のトクイな仙に逢ってね。待てばかならず我がもとに仙が集まるとでた。だから後四百年ほど待つことに決めたのさ、私は」
具体的にはそうだな······唐王朝のあたりか、などと聞いたこともない国の名をあげる乙越の言葉を、しかしもう月塊は聞いてさえいない。
「私の通ってきた道で帰るかい?」
「冗談だろ、大きなお世話だ」
ぶっきらぼうに返す彼に、乙越はフッと笑む。
「ではまたいつか。そろそろ綻び始めたようだ。急ぐことだね」
では、と乙越は跡形なく姿を消した。
目にわかるほどの変化はない。だが心なしか。風や樹や、空が騒がしい。月塊はただ静かに、それを仰いでいた。
ありがとうございました。
次回投稿にて、「月琴伝・山海魔経」最終部となります。
舞台情報の一部を変更しました。




