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【完結】月琴伝  作者: 雲野 蜻蛉
山海魔経
254/403

月塊、極地にたち仙となること


 邪魔者を葬りさると竜巻はゆるりとほどけ、わずかに山海経の衣を揺らして吹き去った。

 裾にのこったささやかな破れだけが、彼をまがりなりにも押し留められた者のいた証拠である。が、山海経はそれにいっとき目をやっただけで、フイとそらしてからはもう二度と省みることはなかった。


 ゴポゴポと熱を放ち続ける山頂に、彼は静かにたつ。その様はこれより外の世──現世にとっては不吉の先触れである。彼がこうしてただ、始原の聖地にいるだけで『山海境』の外界への侵食は加速してゆくのだ。




 ブスーッと、不満でも漏らすように瘴気が吹きあがってできた口に、なにかがヒョイと投げ入れられた。

 その蔓状のなにかは、青々としたその先が溶岩で焦がされ溶かされするたびに、切れるよりもはやく身を再生させ続け、割れ目をくって辛抱強く下へ、下へと延びていく。やがて。



 ボゴオッ!



 蓋をする岩盤ごとなにかを持ちあげたその蔓は、バラバラと破片をまき散らしながらも釣果を岩陰の安定した場へと運んだ。

 目測とは違うかなりの大きさにまで戻っているその荷物をみて、蔓を繰っていた人物は感心したように眉を動かす。


「ふぅむ。言動によらず、本当に抜け目がないというか······やはり存在力だけは一級だよ、お前は」


 釣られたその岩の塊は、さきほど確かにあれほどに崩されたにもかかわらず、はやくも人の形をとり始めている。そのことに釣り人は呆れ声をもらしたのだ。

 ふと視線が、心の臓のあたりに光る紫色の輝きに惹き寄せられる。逃れんとするように、またひとつ、ゴトリと岩が群れてその輝きを隠した。


「フ、なるほど? それがしぶとさの種か。こうやって身を維持してきたってわけだ。神仙の庭はさぞ劇毒だろう? え?」


応えることなくゴトゴト揺れている岩塊に、その者はまあいいさ、と笑む。


「どうせわが事績をこの手で摘むのは忍びない。見物させてもらおうさ。お前さんのもうひと暴れを」





 ガラッ。


 崩れさった足元の石が雲の上へと身を躍らせる様にゾッとして、琴箭は足をひっこめる。もしこんなところから落っこちでもしたら、死ぬまでに永劫の恐怖を味わうことになろう。それだけは御免だ。


「梅春さーん! そっちはどう?! 降りれそーう?」


 すこし離れた処で様子をみる梅春へ訊ねかける。だが、吹き狂う風にやっとたえて別方向を探っていた梅春も、青ざめた顔を横にふるのみだった。


「駄目です! とても降りられません!」



 ふたりは困り果て、また安全な樹木帯までひき返した。ここならば幾分か風の勢いも弱い。


「参ったわね。助かったのは良いけれど、これじゃあどうにも手がないわ。そもそもここはどこなのかしら」

「······おそらく、まだ異界の内なのではありませんか? たしかにあの『窓』はくぐりましたけど、現世にこんなところがあるなんてとても······」

「そうね。まあ、そう考えたほうが無理はないか」


 もっとも琴箭にしろ梅春にしろ、識っているのはあまねく天下のごくごく狭い範囲にすぎない。とても常人の足では及ばぬ処など、あちらにも捨てるほどあるだろう。


「······とにかく降りるなら、あの、ずーっと下に見える房があったじゃない? あすこにあるような階段を探すしかなさそうね」


 まあ仮にあったとして、それをつかう勇気がでるかどうかはまたその時の話にはなるけれども。




 まるで蚕が桑を食むように。

 いや、速度はそれ以上だろう。ふたつの世は混じり合う。

 家屋と岩山がくっつき、田畑と湖がまだらの奇怪な様相を呈する。妖獣と民は大混乱のなかはからずも出逢い、たがいを大いに怖れあう。

 ふたつ世の均衡はとうとう五分と五分のところまで及び、じきに常世が最後の杭を押し込むだろう。そうなれば一気に主客転倒し、ふたたび覆る保証はない。





 山海経は確実に手応えを感じていた。世の果てまで飛ばしでした意識を呼びもどす。

 もうすぐだ。ほんの少し前倒しとはなったが、ここまでこれた以上、もう手を緩める必要はない。このまま粛々と天仙の統治せし世をかえてやるのだ。

 だがその前に──



「······あれで手加減をしたつもりだった。私の手心は解りにくかったか?」


 ふり向くまでもない。強烈な怒りの気配を背後に感じていた。


「······わかってたまるかよ。俺は喧嘩を売ったつもりだったんでな」


 壮風に髪をたなびかせ、申し訳程度の衣をまとった月塊がたっている。その肌は赤黒くところどころ白熱し、幾筋もの痛々しい亀裂が走る。


「たしかに軟弱だとは思ったが······どうやって再生してきたのか、しつこいことよ」


「どうやってだろーが、テメェに教える道理はねえ。とにかくこうして戻った以上、もっぺん付き合ってもらうぜ」


「······何を。たしかに見上げた図々しさだが、右腕とて変わらず欠けたままではないか」


月塊は先のない右の肩先をみつめた。


「ああ、これか······」


 ツカツカと透明に艶びかりしている鉱石柱にちかよると、無造作に傷口を押しつける。

 そしてグイとふると、何と。柱が傷口と一体となってバキバキともち上がった。そうしてみるみる失われた右腕の大きさへと集約してゆくではないか。

 そのまますっかり鉱石柱を平らげると、月塊は金剛石の輝きをはなつ右腕をギシリとひと回ししてみせる。


「どうせなら上モノを······なんて欲張ってたのがまずかった。がま、思いもかけず拾えたのは幸運だったぜ」


スッ、とその肌が同化して、人のそれに変じた。


「······我が大地のものを盗むとは赦し難い。害虫ふぜいが」


 不快感をみせながら、山海経は横目で静かに、またも追いすがってきたその妨害者を観察する。


 ──とくに剛くなった感はない。むしろ妖気が薄まったような······。なるほど? 我が大地を糧としたことで臭味がきえたか。さもあろう。お前程度の妖では······


「?」


 ······待て。妖気が弱まったのではない? これは──

「······妖気を、まったく感じない?」



 その事実は、冷徹な山海経をすらおおいに怪しませた。


 試しに溶岩巨龍をうみだし、ぶつけてみる。

 だが。その巨龍は月塊にとどく前に、毛先にも触れられず、鎌首を力づくで抑えつけられたように急制動をうけ、ゴラゴラと崩れ落ちてしまったではないか。


「!!」


 この一撃で山海経(かれ)は悟った。この者はいまや、最も厄介な存在と成りつつあることを。



「おのれが······! 我がものを盗みたるだけでも度し難いのに、こともあろうにその力で······我が眼前で成ろうなどと! すて置かぬぞ!!」



 印を切り結ぶと、なにかに呼びかけるように、天高く両腕を突きあげた。



誤字を修正いたしました。

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