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【完結】月琴伝  作者: 雲野 蜻蛉
山海魔経
241/403

梅春、深所をのぞきみること③


 ふと前をゆく明かりが不意に途切れたことは、大いに梅春を慌てさせた。こけつまろびつしながらも可能なかぎりのはやさで謝伸へ追いすがっていくと、突き当りへとでた。

 正面には重そうな扉が、薄暗がりのなかに(こわ)らしくあり、その壁伝い、ずーっと右奥まで続くその先にもやはりもうひとつ大扉があって、そこより先は真の闇がひろがっていた。


 おもわず躊躇った梅春は泣きそうにりながらとって返し、正面の大扉をみつめてから、意を決して開けようと試みた。が、扉は外見どおり重くて、とても彼女の手には負えぬようだ。弱りはてて左はとみれば、どうやらそちらにも道は続いている。

 すがる思いでそちらへと進む。しばらく進むと、道はさらに真っ直ぐ延びるものと右へ折れるものとに別れた。

 迷ったあげく、まだ明るい右へとすすむ。下は相変わらずゴツゴツとしており、やや上り坂となっているらしく、過って転べばどんな怪我を負うやらわからぬ。

 突然暗道がきれ、ひろい空間へと出た。そこで梅春はようやく安堵のため息をついた。


「謝伸さん······」


 前を灯火をかかげて歩くその背は、彼のもので間違いない。彼女は希望をとりもどし、大胆に足を速めて一気に追いつかんとした。



 ザン! 



「──!!!!」


 思わず息を呑み恐怖で立ち尽くした。


 そこにうかびあがっていたのは、顔、顔、顔!

 いったいどれだけいるのか、とんでもない数の人が一斉にこちらへと顔を向けた音!


 灯りに浮かぶその面にはやはり如何なる表情もみられない。まるで死者の眼たるそれでただじっと、さながら偉人の講義をまつ熱心な学門徒のごとく見つめてくるのだ。

 そう見えたのは彼らの前に文机と文具がならんでいたからだが、そんなことよりも、とにかくその様は血も凍りつくほどの恐怖を梅春にあたえた。目をむきながらも必死に口元を抑えてなんとか悲鳴を圧しころす。もし声を上げていれば洞内全域に響き渡っていたことだろう。


 文字どおり凍りついたように彼女がそうしていると、やがて注視にも飽きたか、虚ろなる文人らはゆるゆると頭を下にむけ、何か書きつけるらしき作業へと戻っていった。どうやら襲ってくる気も、とり抑える気もないようである。

 謝伸のほうは何か気がかりはあるまいか、と灯りで周囲を確認してから、また歩きだし、このおぞましい大広間を抜ける洞道の奥へと消えた。

 梅春は恐怖のあまり喉をついてくる吐き気を一心に堪らえながら、よろよろと足をうごかす。すっかり不可解な恐怖に呑み込まれてしまったいま、その心中からは淡い、なにがしかの期待なぞとっくに吹き去っている。いまやとにかく謝伸にはぐれぬようにするので精一杯だ。


「! !?」


 と、まるではかったように、謝伸の姿が消えた。たしかにこちらへ入ったはずなのに! 右を向いても左を向いても、彼の姿も、彼が掲げもつ灯火の明かりもみえない。まったく忽然として闇に解けるようにして消えた。



 ザン──ザン──ザン────



 なに? なに? なにか近づいてくるの!?



 ザン──ザン──ザン────



 その不吉な音ははじめ、とおくさざ波のようにもつれて響きあいながら、それでも確実にこちらへと圧しよせ、近くまで来たときにはもうどうにもしようのない現実の災いとなって彼女に迫ってくるのがわかった。


 足音! 足音だ! それも大勢の! 一糸乱れぬ整然とした!!

 もはやどこからと聞き耳をたてる必要もない。その音は左右からこちらをとり囲むように迫ってくる!


 気が気ではなかった。梅春は狂ったように暗がりの壁を叩いてまわり、扉と思しき感触を探り当てては押したり引いたりしてみるが、無常にもびくともしなかった。そうこうするうちにも足音の群れは確実に近づいてくる。



 ギィィィ──



 もはや騒音ともいえる地を踏む音の中で、その木の軋みは、さながら天のお告げのごとくに聞こえた。まったくよくぞ聴こたものだ。彼女が心から望んでいた音だからであろう。

 すぐ近くに灯りの筋がもれ、誰ぞ出てくるのがわかった。梅春は慌ててその開いた扉の陰へととびこむ。半狂乱になりながらとはいえ、それは良い判断だった。


 中からでてきたのは、謝伸ではなかった。

 どこか文官然とした男で、顔はやはり無表情、身には役人の着るような衣をつけ、掲げもった四角い盆の上に大量の紙をのせている。

 とにかく逃れるには今この時よりない。梅春はもう構わず、こちらに折れてきた男の足下をすり抜けると、ひとりでに閉まり始めた扉より室内へころがりこんだ。

 すぐさま壁際へとへばりつき、早鐘の心の臓はうつままにさせながら、部屋のなかに血走った目を走らせた。


 そこは灯火で照らされた、上等な一室だった。先程のひろいだけの穴蔵とはちがい、まるで一流の建物のなかのように整えられており、床もレンガが敷きつめられて真っ平ら、天井も壁も漆喰(しっくい)と彩られた木材できっちり装飾してあった。

 やはり文机と座がしつらえられ、そこには恰好こそバラバラだが無表情で統一された面々が、無心に筆を走らせていた。数はそれほどおらぬようで、ざっと八人ほどだろうか。几帳面に切りとられたようにならぶ座には、空席もよっつほどあった。

 梅春はじっとそれらの動きをみていたが、やはり動きだす気配はない。ひとまずか細く息をついてたち上がろうとした、その時、


 ドン、ドン、ドン!


 背をもたせている壁にまでひびくような振動をさせ、扉が出しぬけに鳴った。


「!!!」


 もはや委細なぞ構ってはおれぬ。梅春は泣きながら奥にみえる反対側の扉へと駆けた。勢いあまっていちばん角にあった座の文机を蹴ってしまったが、そんなことはどうでもいい。一心に扉へむしゃぶりつくと、なけなしの力をふりしぼって体を預けた。

 ありがたいことに、まったくありがたいことに。

 扉は静かに開きはじめた。どうやら内からなら開く仕掛けだったか、梅春の力でもどうにかなるようだ。 

 しゃにむにぶつかるようにしてそれを開ける。その先はやはり洞道であったが、こんどはきちんと灯りがある。その片側に点された様には見覚えがあった。

 梅春は喜び、あとも見ずに脱兎のごとく駆けに駆け、洞道を抜けでてもなお足をゆるめることなく、皆のいる小屋へと逃げもどったのだった。




 小嵐のような闖入者、梅春が去ったかの部屋。

 彼女に机を蹴飛ばされた座の男は、愚かしくも、そこにはない机上の上に向けて墨を滴らせていたが、ようやく気づいたらしく、ゆるりと立ち上がり、机をまた元のように整えると、ふたたび筆写を再開させる。

 こんどは邪魔がはいることなく無事にそれを終わらせると、そのながい巻物の最後にこう記して作業をむすんだ。



 写主  衛仲道──


無理でした。

私には恋愛劇とかホラーとかは書けませんです······

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