琴箭、ひとり霧中へと消ゆること③
人をひとり、捜しだす。それがいかに難しいことか。
平時でさえ困難というに、ここは道理さえ通るかどうかという異界。まして、いまや広さとておさおさ浮世に千差はなかろう。そんななかを、あのお転婆は妖獣一匹とふたり連れで徘徊しているというのだからこれは始末に負えない。
月塊には、とにかく上から影でも見えはせぬものかと必死に目を凝らすより手はなかった。
だが、途上で従わせたデカい蝙蝠はなかなか言うことをきかないし、いまや片輪の身となっては尚更御するのに難儀する。せめてまだあの妖馬・孰湖が逃げずにいてくれたら少しは勝手もきいたろう。つくづく悔やまれた。
ちなみに西山域最後の神域となった羭次山の祠堂には、手をつけずそのまま放っぽってきた。
あんな苦い決闘のあとではそんな気にもならぬし、だいいち叔均らに対しての疑念は彼のなかにももち上がっている。一片とて迷いがうまれたうちは、さして己の求めることでない以上、くそ真面目に従う気にはならなかった。
いまの月塊にとって第一なのは、自分の片腕を奪った天晴な男に託された約束のほうであり、それが己の知己にもかかわってくるともなればなおのこと。
そんなわけで、彼はすっぱりと罰当たりな祠堂への冒涜を放りだした。
いったん地上を見下ろすのをやめ、月塊は頭をひっこめて舌打ちをする。
そもそもなんでアイツは、こんなワケノワカラン処に潜りこんでいるのだ。
彼にとって、記憶のなかにある蔡琴箭は、自分を冀州までひっ張っていった十かそこいらのままだ。
いや、もちろんあれから時がたっていることも、彼女がもはや童ではなかろうことも理解はつく。つくのだが、どうしても想像のほうが追いつかなかった。
そもそも人の成長という変化は、自分にとって性急にすぎるのだ。昨日まで鼻をたらしていた童が艶やかに、あるいは逞しくなり、たちまちにして髪を白くして目の前から去ってゆく······
ゆえに人とのそれなりに密な交流というものを、いつの間にか避けてきた。そんな自分にとって、久方ぶりにどういうわけか、やむを得ず関わってしまった人が蔡琴箭という女だった。
いうなれば、ただそれだけ。気まぐれにも程がある関係に過ぎない。が、それでも、か······
気をとりなおした月塊は、ともに載せた葛の籠から毒々しい色の実をひとつとって蝙蝠のまえにポーンと放ってよこすと、ふたたび地上へと瞳をこらす作業にもどった。
まったくこれはどういうことか。何がどうしてこんなことに。
息を急かし萊萊は必死に目を凝らし、自らの身も省みず声をあげる。
もう二度と謀らないとそう心に誓ったのに。小憎らしいけれど、最後に相通じたアイツに必ず北山域へとつれてゆくと約束したというのに。
水こそ嘘のように勢いを緩めたが、あたりは相も変わらぬ濃霧で、目も、耳も、匂いさえきかぬ。いっさいの感覚が遮断されてしまったいまの彼女は、まったくの無力であった。
萊萊はもう何度目になるかわからぬ呼び声をはりあげた。
「琴箭ぇン! 返事しロぉ! 何処行っちゃったんだヨゥ、琴箭ぇンッッ!」
だが、生物の吐息のごとく蠢くふかい霧の向こうからは、いかなる声も問いかけにこたえることはなかった。




