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【完結】月琴伝  作者: 雲野 蜻蛉
山海魔経
219/403

琴箭、祭祀を断行すること②


 南禺(なんぐ)の神域はこれまでとは違い、山の頂にではなく、その懐ふかく分け入ったさきの窪地にあった。月塊が踏み入った退け口と似た地形であるが、こちらは落ち積もった葉や倒れた樹々の残骸がふかく地面をおおい、行路を困難なものとしていた。

 周囲は樹冠が密にして天光をふさぐ暗緑色のうちにある。たまたま気まぐれにとどく木漏れ陽だけが、濃くはあるがそれが陰にしか過ぎぬものだということを教えてくれている。


 念の為、剣で足の前をバシバシ払いながら単福がさきに立ってすすむ。先ほども大蛇(おろち)が二尾樹上から落ちてきて琴箭に玉に変えられたが、ちいさな(まむさ)などは草葉の下などに潜まれればなお厄介となる。これまでのことを考えてみても、用心するにこしたことはあるまい。さすがに老人子供をのせた荷車を先に発たせるわけにはいかない。


 琴箭は握りしめた鉄扇を注視する。先程の使用で、とうとう軋むような音をさせたその先端にはすこし欠けがみられ、いよいよその限界が近いことを告げている。

 これまでの神域では必ず護番がいた。妖獣が二体もいたことだってある。三度目は何が待ち構えるかわかったものではない。



「着いたゾ、ここのはずダ」


 萊萊の言葉で、一行は足をとめた。なるほど、もはや見慣れた感もでてきたいつもの祠堂がある。ただひどい荒れようである。建物自体は変わりないが、その周辺もやはり草、苔、落葉などが積もり、倒れた木からは妖しげな茸などが頭をもたげている。


「番は······いないようね」

油断なく左右に視線をはしらせた琴箭はつぶやいた。まず第一、護番の待合いらしき亭がない。


「······ならとっとと祭祀をやっちまおう」

単福も剣を納めると男衆に合図をし、自身も荷車に積んだ供物をとりにそちらへと足を向けた。



「止めておきなされ」



 突如声がした。

 ギョッとして全身の毛穴が開くように思いながら単福は剣を抜いてふり返っていた。


 さっきまでは確かに誰もいなかった! 降り落ちる木の葉の音にまぎれ気配を殺していたとでもいうのか。

 琴箭は息をのんで、祠堂のまえにたつ人物を睨みつけた。


 どうみても老人である。(まげ)も長い髭も白く、顔には皺がより、その薄黄の衣をまとった身体は細い。とてもそんな素早い動きのできるようには見えない。

 だが確かに、瞬きする間にあの老人は現れた。


「よしなさい。()の世を拡げるだけじゃて。よいことにはならん」

 老人はもう一度いった。老人らしい深みと弱々しさをかねた声。だがその容姿にはどことなく覚えがあった。

 ためしに、指をちょうど老人の顔をかくすあたりに持ってき重ねみる。


「──ひょっとして······大窓をくぐる前に集められた室にいた、あの仮面の人?」


なんだって、と単福も目をすがめてみやる。


「······おお、そうだ、たしかにそうだぜ姐さん」

「それがこんな処にいるってことは······」


 先回りしたか。

 おなじ日に出立しながら針路がわかれた柳らのように、好きな場所にあの大窓をつかって往けるのなら可能だろう。

 または、彼も護番としてここにいるのか。これまた、まったくの門外漢たる関・張ふたりがいるよりはよほど筋は通る。


 だが、もうひとつ。とても微々たるものであり、かつ、何故に彼がここにいるのかという理由の説明にはならぬが、尋常ではない振る舞いを納得するにたるだけなら説はある。琴箭はあえてそれを口にした。


「貴方は張道陵老師、ですか」

「!」


 皆、息を呑んでその老人をみつめた。老人は応とも否ともいわず、髭を撫でながらただ笑みを浮かべるのみである。

 スウ。その姿が突然霞がかったように薄れてゆく。


「待って! なぜ祭祀をしてはならないのです? 世を拡げるとはッ?」

 たが老師は答えない。そのまま呑み込まれるように木洩れ陽のなかへと消失した。森の中に静寂がもどり、ただただするのは鳥か獣の(さえず)りのみである。


「警告、のように聞こえたんだがね」


 単福は琴箭の隣にたって老師のきえた辺りを見下ろした。

「おもえば変だぜ。雲長や翼徳の旦那もみな、なんで護番は祠堂にかまうなって言うんだ、おかしいだろ」


 そう、おかしい。まして今度は仙人直々の忠告である。無視するにはそれ相応の勇気がいる。

「萊萊」

 琴箭は足元の萊萊を見下ろし問う。

「いいのよね。先に進むには祭祀をする必要がある、間違っていないわよね」

「当たり前ダ」萊萊は真剣な瞳でこちらを見上げてくる。

「間違ってナイ。昔の志願者タチだって、そうやって進んでいったンダ」

「············」

琴箭はしばし萊萊と見つめ合ってから、その瞳を転じ、荷車のうえにいる子供らにむける。


「······やりましょう。でなければ」


 報われないもの。

 そう。ここで止めるのなら、これまで喪った犠牲は何のためであったというのか。たとえ誰の玉言であろうと、それを思えば秤にかけるに値しない。

「······そうだな」

 皆、黙々と支度にとりかかった。



 祠堂の屋根瓦におちた葉をとりのぞき、その中に安置された竜身にして人面の石像のまえに、途中なんとか射止めた白き妖狗(いぬ)を供える。祭官役の萊萊により、今回もつつがなく、そして大した異変に見舞われることもなく、祭祀は終了した。



 これでとうとう長かった南山域を抜けられる。

 皆、期待よりも安堵、そしていまだのこる中山域踏破という難事への溜息をつきつつ、森を抜けにかかる。以降なぜか妖獣の襲撃はやみ、穏やかに南禺の麓を出でた。

 だかそこで、一行は全員目を見張ることになった。 


「これは──どういうこと!?」



誤字修正しました。

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