二家令、命をうけること
淳于毌逢山。
北山域最後の山にして、山海経の統べる異界の総本山ともあたう山。その最奥、たどり着いた信徒も弟子も、許されたものしか入ることのできぬ処に、宮がある。
ひろい踊り場からは清すぎるほどに澄んだ湖がのぞめ、蓮の花が四季を問わずに咲き誇っている。頭上は天蓋におおわれ日も差さぬというのに、といぶかる必要はない。その空間は光に満ちている。なにか、眠気をいざなうほどにやわらかな光に。
宮はひろい湖をはさんで対岸にふたつあり、それぞれを湖をつっきるように一本の屋根なし回廊がつないでいる。
手前側の宮の階段を、ひとりの弟子がのぼり来る。
年の頃は二十歳ほど。きっちりと髪を結い上げていたが、前髪のあたりはまとめきれず下がるままになっている。日にはあまりやけておらず、その顔は白い。まだのびていない髭がかたちよく鼻下から顎までをおおっている。
「お呼びでございますか、旦那様······」
男は辞儀をして、奥座におわす主の言をまつ。
その主は奥座に瞑想するかのごくとく目を閉じ座していたが、そっと口をひらいた。外見に似合わぬ若々しい声で。
「······裏窓が破られた。なにか異物が混入したようだ」
男はピクリと顔を伏せたまま片眉をあげる。
裏窓。終南山の懐におかれた、もしもの時の出口である。もっとも彼の授けられた記憶にあるかぎりそんな大事はあったことがない。現在はもっぱら弟子たちが司隷方面へと用事で抜ける際に利用することがほとんどである。
「そこは檮杌を置いたはず。彼は特級の妖獣。真でございましょうや······」
「所詮は又聞きの『伝承・模造』では程々だった。そういうことなのだろう。······とはいえ、お前の言うとおり、あれを下すほどの者なら看過することはできぬ」
「妖獣らに見つけ次第狩るよう指令を出しますか······?」
うむ、と主はうなずいた。
「ときに、模写は」
「つつがなく」
ここで意外な、じつに意外な名が主の口にのぼった。
「蔡琴箭は如何か」
男は顔を上げ、拱手したまま明確に答える。
「そろそろ南山の端にさしかかろとしております」
「······まだそこか。何百年も待ったのだ、今さら焦ることもないのだが······はやるな············すこし枷を減らすか」
「では『白蛇』にそう指令いたします、老師······」
主は暗がりの奥座からすっくと立ち上がる。
空間をつつむ柔らかな光がその輪郭を浮き上がらせ、湖からかえる煌めきが、その三色で彩られた白い御面を照らしだした。
ちょうど同じ頃。
大荒海域のうちにある屋敷で、侍女は主の呼び声をきいた。進みでると、その家の主は静かに命じる。
「真鶏を。言伝があるといってな」
侍女はただちに真鶏様をさがしにとびだしていった。
──ピクリ。
ともに進む誰ひとりとして、その音は聞こえなかったはずだ。誰も聞こえない音。それは人にとってのことで、妖獣には耳に馴染んだ言霊である。
きこえた音はふたつ······
萊萊は自分を抱く琴箭の顔をみつめ、わずかにその目をほそめた。
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