琴箭、山海経について深慮すること②
叔均様!
どうして忘れていたのだろう。数年前の桃霞の一件のおり散々お世話になったあのお方。自分がどこでその御名をしったかといえば、他でもない、山海経ではないか!
その豹変ぶりに単福と雲長が顔を見合わせるのにもかまわず、琴箭はぶつぶつと考えに浸った。
「でも、なんで私は『それ』を読めたのかしら。だってウチにも確かに山海経はあったけれど、それは五山四海だけ······」
じゃあ大荒経は。いったいどこから迷いこんだ? 自分はいつそれを読んだの?
「······あー、姐さん?」
単福の心配そうな声で、琴箭はやっと我に返った。詫をして今の考えをつげると、雲長も思案げに眉間をせばめた。
「ふむう。これが儂と貴女の憶えちがいでないのならば、誰ぞ書を混入させた、ということになるかな」
少々難癖めいた推測だが、どこかに山海経を推戴、伝播する者がおり、伝播したい理由がある。単純に考えるならば、それはやはり、より多くの人々にこの書を読ませるためであろう。
だがそれをして何になるというのか。
たとえばその実行者が五斗米道ならば、みずからの神秘性を喧伝するためか。
ただ利用しているだけとしても、彼らはいつ、この書のもつ価値に気づいたのか。
そもそも、この両者の繋がりうる理由に想像がつかない。
「誰か仲介した者がいる? あるいはそれが張道陵老師、ということになるの?」
「あり得なくはねぇな。そのヘンな力を知って勢力拡大のために利したか、あるいは本人がこの書で力を得たか······」
「まてまて」
雲長は胡散臭くなりかけた話をひき戻すべく口をはさんだ。
「まるでお主らと話しておると、仙人だの神々だのが只の伝説とは思っておらぬように聞こえるではないか」
「······あーハハ、確かに。ちげぇねえや」
おもわず雰囲気にのまれてしまった単福が、照れくさそうに頭をかく。
そう、常人ならば、それがまともな反応というものだ。だがそれを『識って』いる琴箭にとっては、充分に考えてみるに値する問いである。これまでは不可思議な出来事に押されるばかりで思考が停止していたし、自身も悪い意味で慣れてしまっていた。
たがもう流されない。ふたりから貴重な糸口を与えてもらえたのだ。
そうこうするうち、ついに漆呉山がみえてくる。みなはふたたび登山を強いられることになり、たがい励ましあいながら山路をたどった。
結局、関雲長は自身の持ち場からここまで同道しきってくれた。だが彼が箕尾山の護り手としていたように、この神域にも護り手がいるやもしれぬ。
この先に待つのは、いったいどんな難事であろうかと、琴箭はひとり身構えるのであった。
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