【16】
アイスナー辺境伯視点。
なぜこうなった? 現実逃避気味に、ギルベルトは思った。ルートヴィヒが睨むように、自分がヒルトラウトを泣かせてしまったのだろうが、原因が分からない。いつも明朗で飄々としているところのあるヒルトラウトだから、余計に動揺してしまった。
ヒルトラウトとルートヴィヒをヴァイデンライヒ侯爵家に送り届けたギルベルトは、そのままルートヴィヒに誘われて邸宅にお邪魔していた。応接室にはルートヴィヒとギルベルトのみ。ヒルトラウトが兄は何をする気か、とばかりに不審げに見ていたが、ルートヴィヒに言われて部屋に戻ってしまった。どちらにしろ、女性の外出着は動きにくいため着替えなければならないし、泣いたので化粧が流れ、顔もなかなか面白いことになっていた。
「私が首を突っ込むことではないと思いますけど、辺境伯、妹……ヒルトのことが好きですか?」
「あ、ああ……そうだな」
まさか妹から散々「ヘタレ」と言われているルートヴィヒからそんなことを聞かれようとは。と言うことは、ギルベルトは彼を上回る「ヘタレ」だと言うことか。
「じゃあ、愛していますか?」
「そうなのだと思うが……」
少なくとも、妻にするならヒルトラウトがいいな、と思う。すると、ギルベルトの返答を聞いたルートヴィヒがバンバンテーブルをたたいた。
「あのですね、私もあなたもそうですけど、あの子もはっきり言わないとわからないタイプです。好きなら好き、振るならきっぱり振るで、はっきりしてください」
「……君は自分がうまくいったから強気だな……」
思わず恨みがましく言ってしまった。ルートヴィヒは悪びれもせず、「そうですね」と認めた。この辺り、ヒルトラウトと似ている。
「誰に手引きされた思惑だろうが、私はうまくいったからいいんです。それよりも、私は妹のことが心配なだけです!」
「……いや、泣かせてしまったのは申し訳なかったが、原因不明なんだが」
「……まあ、俺、いや、私にもあの子の思考回路は若干謎ですが」
兄にも謎と言われるヒルトラウトはどうなのだろうか、と思わないでもないが。
「まあとにかく、一年前のことがあってからあの子はこういうことに関しては消極的です。あの子に触れる権利が欲しければ、辺境伯から動くべきかと思いますが」
まあ、ルートヴィヒに言われるまでもなく、そのようなことを女性側に言わせるのは男として沽券に係わる気がする。
というか。
「もしかして、君は聞いていたのか?」
馬車の中で、ギルベルトはヒルトラウトに「公然と触れる権利が欲しい」と言った。それを聞いていたのかと思ったが、ルートヴィヒは「なんのことですか」と眉をひそめたので、ただの偶然だったらしい。それにしてもすごい偶然だが……。
「……しかしだな。私と彼女は九歳も離れているし、私には結婚歴があるんだぞ」
「九歳差なんて、貴族ではよくあることでしょう。それに、ヒルトだって婚約者を実の妹に寝取られた経験があります。ほんっとに、あの子は……!」
先ほどからヒルトラウトを「あの子」と呼んでいるルートヴィヒだが、この時の「あの子」はもう一人の妹のことだと思われた。
「……ヒルトは、婚約者だった男のことが好きだったのではないのか?」
「いや、別に、とはっきり言ってましたね」
「……」
それもなかなか酷な話である。たぶん、政略結婚だし、と割り切っていたのだろうが、しっかり者のヒルトラウトのクールな姿ばかり見ていたのなら、愛嬌があると言うその妹の方に惹かれる心理はわからなくはない。わからなくはないが。
「そこまで不誠実にはなりたくないものだ」
「それ、ぜひうちの末の妹夫婦に言ってやってください」
ルートヴィヒが真剣な表情で懇願してくるので、ギルベルトは肩をすくめた。ルートヴィヒも肩を竦め、言葉を続けた。
「まあ、正直な話、少し焦っているところもあるんですよねぇ。私とギーゼラが結婚するのは来年になるでしょうし、ヒルトはギーゼラと仲がいい。嫁小姑戦争なんて起きないでしょうけど、居づらいとは思うんじゃないかと」
「ああ……」
貴族女性の結婚は早い。十代のうちに結婚するのがほとんどだ。来年には十九歳になるヒルトラウトは、兄夫婦と共に居づらいと思うかもしれない。そして、兄にすら思考回路が謎だと言われる彼女が、何を言いだすかわからない。女子修道院に入る、と言いだすのはまだ序の口。どこぞの爺さんの後妻に入る、などと言いだしかねない。
もし、この場にヒルトラウトがいたなら、「さすがにそんなことは言わないわ」と顔をしかめただろうが、あいにくと、ヒルトラウトへの印象をほぼ同じくしているギルベルトとルートヴィヒの二人しかいなかった。
じっとルートヴィヒがギルベルトを睨む。ギルベルトは居心地悪そうに顔をこわばらせたが、何となく言いたいことはわかる。
「ヒルトも別の男の元へ行ってしまうのかと思うと、寂しい気もしますが……」
「ルートヴィヒ、心の声が漏れているぞ」
ギルベルトも人のことは言えないが、ルートヴィヒも結構シスコンをこじらせている気がした。いや、ギルベルトは性格をこじらせているのだが。
「引き留めて申し訳ありませんでした」
「いや。私が悪かったからな」
謝るルートヴィヒに、ギルベルトはそう返す。ルートヴィヒは「まあ、そうですね」と目を細め、次にヒルトラウトを泣かせようものならどうやり返してやろう、と言う気持ちが透けて見える。妹たちにからかわれていようと、ルートヴィヒは法務官で、頭の良い青年だ。やると言ったら本当にできそうだ。
「……気を付けよう」
ギルベルトも彼女を泣かせるのは本意ではない。彼女が何故泣いたのか、原因不明なので気の付けようもないのかもしれないが……。
帰る前にヒルトラウトに会いに行った。ギルベルトが来るとは思わなかったのか、ヒルトラウトは室内着で完全にくつろいでいた。化粧を落とし、髪を緩く束ねていると、しっかり者の彼女も少し幼く見えた。
何度かヴァイデンライヒ侯爵家を訪ねたが、ヒルトラウトの私室に入るのは始めてだ。彼女らしい落ち着いた部屋だが、少女らしい可愛らしさもある。
「今日はすまなかった」
「へ? いえ、楽しかったですけど……」
きょとんとヒルトラウトは小首をかしげた。少しずれたヒルトラウトの応えに、ギルベルトは苦笑を浮かべた。
「気にしていないのなら、私も気にしないことにするが、いいか?」
「……」
じっと上目づかいでヒルトラウトがギルベルトを見上げる。さすがのギルベルトも彼女がわざととぼけたのだとわかった。彼女がその話題に触れてほしくないのなら、ギルベルトもそうすべきだ。
「いや、私も楽しかったからな。また付き合ってくれるとうれしい」
「えっと、それは」
戸惑ったようにヒルトラウトはギルベルトを見上げる。そう言えば、自分もそうだが、はっきり言わないと通じないのだった。
「ああ、つまり……君を口説きたいんだが」
一瞬眉をひそめたヒルトラウトだが、次の瞬間後ろに後ずさろうとした。ギルベルトはその前に彼女の手をつかむ。
「冗談が過ぎます!」
「冗談ではないな。色よい返事が欲しいものだ」
と、普段の彼から考えられない流れるような動作で彼女の指に口づけた。ヒルトラウトが震えるのがわかる。
ルートヴィヒと話して思ったのだが、ヒルトラウトは強めに押さないとうなずいてくれなさそうだ。なら、柄ではないが押してみるべし。
「それでは、また会おう」
何とか年上の威厳を保って顔を赤らめたヒルトラウトと別れたのだが、帰りの馬車に乗りこんだギルベルトははあ、と息を吐いた。
「慣れないことはするものではないな……」
恥ずかしさで死ねそうだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これ、決着がつくのだろうか…。
ちなみにお兄様は24歳であった。




