【4】
花が届いた。薔薇ではない。アガパンサスだ。いくつか花言葉はあるが、「恋の訪れ」「恋の便り」が有名だろうか。「知的な装い」という意味もあるらしい。
まあ、それは良い。問題は届け先がヒルトラウトで、届け人がアイスナー辺境伯ギルベルトであることだ。
「お、おお……」
驚きのあまり変な声が出た。青っぽい花を抱え、ヒルトラウトは顔を引きつらせる。
「そう言えば、昨日、アイスナー辺境伯と一緒に戻ってきたわね」
母に言われて、ヒルトラウトは花束で口元を隠した。花のかぐわしい香りがする。
「否定は、しないけど……でも、脈絡がわからないわ。何もなかったもの」
たぶん、嫌われてはいないと思うし、どちらかと言うと興味を持たれていると思う。だが、それ以上のことはわからない。ヒルトラウトがアイスナー辺境伯をどう思っているかと言われても困るが。好きか嫌いか選べ、と言われたら好きな方だと思う。
「……まあ、きれいだからいただいておきなさい」
にこにこと言う母に何となく嫌な予感がしたが、深く突っ込まずヒルトラウトは「そうね」とだけ答えた。
「私は辺境伯のことをよく存じ上げないけど、横暴な方ではないのでしょ」
「……そうね」
どちらかと言うと生真面目で、ちょっと空気が読めない人だ。この花だって、変な意味はないと思う。
ひとまずそれ以上考えるのはやめて、母に連れられて知り合いのお茶会に参加した。母の友人が主催であるし、小さなものなのでヒルトラウトもついて行くことにしたのだ。
十人ほどの、本当に小さなお茶会だった。ヒルトラウトはひっそりとしていたのだが、それでもちくっと嫌味を言われた。今となっては、その嫌味が、妹と元婚約者の醜聞に起因するのか、アイスナー辺境伯の関係で反感をかっているからなのかがわからない。
嫌味を言ってきたのはヒルトラウトと同じくらいの年のお嬢さんたちであるが、母と同年代のご婦人がたもあまりいい顔をしなかった。貴族として、社交界からはじき出されるのは致命的である。
「ごめんなさいね。嫌な思いをさせたわね」
帰りの馬車の中で、母がヒルトラウトに謝った。ヒルトラウトは首を左右に振る。
「ううん。お母様のせいじゃないわ」
主催者の侯爵夫人も親切にしてくれた。それでも、ヒルトラウトは自分がどう思われているのか思い知らされた感じだった。
「気分転換に買い物でもして帰りましょうか」
母はそう言って街中で馬車をとめた。母が行こうと言ったのは服飾店であるが、
「ねえ、書店に寄ってもいい?」
「いいけど、すぐこっちに来なさいね」
「わかったわ」
書店と言う空間は落ち着く。整理された本を見ていると心が凪ぐのだ。書店に足を踏み入れると、すさんだヒルトラウトの心も少し癒される気がした。
店主に目礼して棚を見上げる。上の方の本は、頼めば取ってくれるだろうか。
歴史書や貴族名鑑、法律書、医学書などは屋敷の図書室にある。もう少し流れのあるもの、と言うことでヒルトラウトはアイゼンシュタット帝国貴族の所領に関する本を手に取った。ずしりと重い。片手で持って開こうとし、失敗した。
「っと、大丈夫か」
本を取り落しかけて自分も体を傾かせたヒルトラウトを支えた手があった。驚いて振り返ると、アイスナー辺境伯ギルベルトだった。
「あ、ありがとう、ございます……」
「いや」
アイスナー辺境伯はヒルトラウトを立たせるとその手から分厚い本を取り上げた。
「女性が持つには少々重くないか?」
「……私も手に取ってから思いました……」
ちょっと重かったかな、と。護身術をたしなんでいるとはいえ、ヒルトラウトの腕力は一般女性とそれほど変わらない。
アイスナー辺境伯は本のタイトルを見ると、「いいんじゃないか」と言った。
「私も、この手の本で勉強したものだ」
「はあ……そうなのですか」
ヒルトラウトは首をかしげた。一般的な貴族男性だと、ここで「女のくせにこんな本を読むのか」とか言ってくるのだが、やはりアイスナー辺境伯もちょっとずれていると思う。
「ところで君は一人か?」
さすがに、貴族令嬢が一人で出歩くのはどうかと思ったのだろう。アイスナー辺境伯が尋ねた。ヒルトラウトは首を左右に振る。
「いえ。三軒ほど隣のブティックに母がいます」
「そうか。では、そこまで送ろう。ところで、この本は買うのか?」
さらりと言われて、ヒルトラウトはあわてた。
「いえ! 一人で行けますから! まあ、本は買いますけど……」
注文すれば屋敷まで届けてもらえるが、やはり、自分の手で選ぶと言うのが良いのだ。って、そんなことではなく。
「だが、買ったところで持てるのか?」
「……一応、外に御者がいるんですが……」
至極まっとうな指摘をされて、ヒルトラウトは口ごもる。アイスナー辺境伯は「なら決まりだな」と勝手に決めたようだ。
「私が一緒の方が早いだろう」
「え、でも、辺境伯もここに御用があったのでは?」
「発注に来たついでに見ていただけだ。これと言って用はない」
きっぱりと言われてしまえば、ヒルトラウトも返す言葉もない。やっと絞り出したのは、
「ですが、辺境伯に荷物持ちをさせるわけには」
「君が持つよりは安全だ。それに、私は辺境伯家だが君は侯爵家だ。気にしなくてもいい」
貴族の爵位の順からそう述べたアイスナー辺境伯であるが、ヒルトラウトの見解は若干異なる。
「いいえ。あなたは辺境伯ですが、私は侯爵の娘にすぎません。それに、爵位こそヴァイデンライヒ侯爵家の方が上ですが、辺境伯はこの帝国にも数えるほどしか存在しません。存在としてはかなり貴重です」
辺境伯の名を持つ者は帝国広しと言えど片手で足りるほどしかいない。それを考えれば、辺境伯の方が貴重だ。それに、辺境伯はその名の通り辺境を守っている。アイスナー辺境伯領は東の国境だ。広大な領土があり、交易路が通っている。
ヒルトラウトの持論を聞き、アイスナー辺境伯は目をしばたたかせた。
「面白いな、君は」
「……面白みがないと言われるのですが……」
アイスナー辺境伯の感想に、ヒルトラウトは困惑気味に言った。彼は薄く微笑む。
「君の表面しか見ていない者は、そう思うかもしれないな」
自分はそうではない、と言う主張だろうか。それとも、ヒルトラウトの普段の態度が素っ気なさすぎる、ということを言いたいのだろうか。
「さて。三軒隣のブティックだったな」
「は、ああ……ええ……」
あいまいな返事をしてしまった。アイスナー辺境伯がさっさと本をカウンターに持っていく。さすがに、代金は自分で払ったヒルトラウトだ。
「ほ、本当に一緒に来るんですか?」
「何かまずいだろうか」
「ええっと……」
そもそも若い男女が二人で歩いている時点でもうだめな気がした。ヒルトラウトは有効な反論を見つけられないまま母のいるブティックまで来てしまった。ちなみに、三軒隣ではなく二軒隣だった。
「お母様」
「ヒルト? あ、あら?」
母は娘と一緒にいるアイスナー辺境伯を見て眼をしばたたかせていた。
「ええっと、母のエデルガルトです。お母様、こちら、アイスナー辺境伯ギルベルト様」
「初めまして、フラウ・エデルガルト」
「え、ええ! お初お目にかかりますわ、アイスナー辺境伯」
母のテンションが高い。
「娘がお世話になっているようで」
「いえ、私の方が世話になっているほどでして」
母と辺境伯のやり取りを、ヒルトラウトは不安げに眺めていた。しばらく話をした後、アイスナー辺境伯はヒルトラウトに本を渡した。ずしりと重い。受け取ってすぐ、ヒルトラウトは本をソファに置いた。
「それでは、また会えることを楽しみにしている」
「えっと、こちらこそ、ありがとうございました! あの、花も……」
思い出したので礼を言っておく。アイスナー辺境伯は微笑むと、「届いたのか。よかった」とだけ言った。その姿を見送ったあと、母がヒルトラウトに話しかけた。
「いい方ね、辺境伯は」
「……まあ、否定はしないけど」
いい人であると言う以上に、変な人であると思うのだ。
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