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黒羽天 ─愛憎の退魔少女─  作者: 壱原優一
第1章 異界学校迷宮
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迷宮から迷路へ 不穏な気配

 観音開きの扉を抜けると、そこは音楽室だった。


 中央奥には高価そうなグランドピアノが鎮座し、左右の壁にはかの有名な音楽家たちの肖像画が並んでいる。

 机はない。

 椅子のみが教室の後ろに積み重なっている。

 授業のたびに生徒たちが各々それを持ってきて、適当に座る形式だったのだろうか。

 あるいは床にはカーペットが敷いてあるから、下に直に座ったのかもしれない。


 今や異界となってしまったが、その構成要素は、かつて多くの生徒たちに親しまれていた学校だ。

 その名残が随所に感じられて、ほたるはしんみりとした気持ちになった。


 しかしながら、いつまでも哀愁に浸っているわけにもいかない。

 広々として隠れる場所もピアノの影の他にはなさそうだが、上からの襲撃もありうる。

 ほたるは薙刀をしっかりと握りしめて警戒を続ける。


 しばらく雲雀と共に室内の調査を続けてみたが、敵も現れなければ目ぼしい情報もない。

 今回も外れのようだ。

 あの廊下から三つの部屋を通り過ぎたが、ここのところ同じ調子だ。


 ほたるは適当な椅子を二脚ほど引っ張ってきて、その一方に腰かけた。


「休憩も大事だよ?」


 雲雀にも座るよう促すと、さっさと次に向かおうとしていた彼女に


「さっきもしたと思うけど……」


 と不服そうな言葉を投げかけられるが、ほたるは、はにかんで、


「いやー、あはは……ランニングのが今頃足にきちゃって」


 と釈明する。

 だがそれは嘘だ。

 疲れていると言うならば雲雀の方がよっぽどだ。

 先程からふらふらよろよろと、足元が覚束ない所を見せている。

 しかしそれを指摘しても素直に休まないだろう、指摘されること自体嫌がるだろうと考えた、ほたるなりの方便だった。


 雲雀が「はあ」と溜息を吐いて腰を下ろす。

 真に嘘が下手なのは、雲雀なのか、ほたるなのか。


 もう一度大きな溜息を吐く雲雀を見て、ほたるは袖から取り出した飴玉を差し出した。

 疲れた時には甘いものが良いからと、常に持ち歩くことにしている。


 一度断られているから、また受け取らないかもしれない……との懸念もあったが意外にも雲雀はそれを手に取って、包装紙の中から現れた紫色の玉を口に放り込んだ。


「ぶどう味」


 艶々とした紫色を頬に溜めて彼女が呟く。


「うん。最近ハマってるんだ」


 そう答えて、ほたるもまた飴玉を口内へと投げいれた。


「美味しいわね、なかなか」

「でしょー」


 右頬から左頬へ、左から右へと玉転がしを楽しみながら、甘露となった唾液をも舌の上で転がす。

 甘味が喉を伝い胃へと落ちると、ほうっと温かくなる。

 みるみる小さくなる玉を最後まで砕かずに舐るのが、ほたるの流儀だ。


 一方で雲雀は、ある程度の間は口内に溜めていたが、突然に「ガリガリッ」と噛み砕いた。

 苦笑いを浮かべる相方のことなど気にも留めずに「バリバリッ」と続ける。


「んふふ」

「……どうしたの?」


 趣向の違いはあれど、気に入ってくれたのだと感じて、ほたるは嬉しくなった。

 ただ、それをそのまま告げるのはなんだか恥ずかしい。


「ううん、ちょっと思い出し笑い」

「そう。なら、いいのだけれど」


 呆れた風の雲雀は、椅子に深く座り直す。


 飴玉の効果は充分にあったようで、二人の間には緊張感の代わりに、放課後のような弛緩した空気が漂いだしていた。

 それを読んだかのように、ピアノも緩やかなメロディを奏で始める。

 それはかの有名なベートーベンが作曲したピアノソナタ第14番の第一楽章であった。

 通称“月光”と呼ばれるそれは、聞けば聞くほどに、月明かりに照らされた湖畔を情景を思い起こさせる。


 このような場でなければ、波音にくるまれて眠ってしまいたくもなるほどに穏やかで心地よいメロディなのだが、生憎と雲雀は元よりほたるでさえも、奏者不在の名曲を聴き続ける趣味はなかった。


 先に動いたのは雲雀だ。

 立ち上がると同時に二挺拳銃を構えて連弾を放つ。

 やはり怪異のようで、その効果は充分にあり、ピアノは不協和音を生んで沈黙した。


 出番のなかったほたるは浮かしかけていた尻を、また椅子に戻した。


 瞬間、──ぽろろん、壊れたはずの鍵盤から再び音が奏でられる。


 ぎょっとして目を見開き、雲雀の傍へと駆け寄ると、彼女は焦った様子もなく淡々と引鉄をひき続けた。

 尚、旋律は止まることなく流れ続けている。


 ほたるは一旦攻撃をやめさせて、ピアノに近寄ってみる。


「危険よ」


 そう言って掴む彼女の腕を優しくほどく。


「大丈夫だよ、多分」


 鍵盤を観察するも、白と黒が微動だにせずに楽曲は流れている。

 では内部の機構はどうかと見てみれば、やはり不動のままだ。

 そうなるように破壊したのだから、自然な光景だ。

 しかしながら、耳は曲を捉えて離さないのだ。

 奇怪極まる。

 もっとも、それが彼女たちの生きる世界なのだが。


「うーん、どうしましょうか」


 雲雀に意見を訊ねると、彼女はわけもなく「もっと徹底的に破壊するのは?」と答えた。

 ほたるは苦笑いを浮かべて、


「ここまでやっても止まらないんだから無駄じゃないかな」


 と言葉を返す。


「だからもっとバラバラに。原形がなくなるくらい。無駄かどうかは、後で決めればいいわ」


 有言実行と言わんばかりに、雲雀が引鉄に指をかける。

 思わずほたるはそれを遮った。


「ここは移動しましょうよ」

「どうして?」


 雲雀の瞳に強い意志の光が灯っている。

 今はその更に向こう側に、別の何かを見つけられそうだ。

 それが何か知りたいとは思う、けれどほたるは止めることを優先する。

 なんとなく嫌な予感がしていた。


「ただ音楽が流れるだけだよ? いたずらに体力を消費すべきじゃない。特に雲雀ちゃんは」

「これが貴女の言うところのラスボスだったら?」

「見ればわかるよ、違うって。妖気もか細いものじゃない」


 雲雀が不満そうなまま、銃口を下げる。

 それで一安心したものの、先ほどまでの和やかな雰囲気はどこかへと消し飛んでしまっていた。


 ほたるは、喉に小骨が刺さっているような気持ちを抱きつつ、音楽室を後にする。


 そこは少し前に駆け抜けた廊下とは大違いだった。

 およそ十数歩も進めば曲がり角だ。

 右へ曲がったかと思えば、すぐに左へと曲がらせられる。

 それからすぐに左へと曲がり、右に曲がる、そしてまた右へ。

 時々丁字路もやってきて、そこでの選択を誤れば行き止まりに至る。


 ほたるはその昔に両親に連れられた巨大迷路を思い出していた。

 あの頃はブームだったが、廃れてしまった。

 この学校も廃れたという点では似ている。


「……ドア」


 雲雀の指摘に視線を下へとやると、床に嵌め込まれた木製の戸があった。

 初めてのパターンだ。

 学校の構造こそ奇妙なれど戸は通常に壁にあったのだが、足元の板はどちらもくすんだ色をしていて、この薄暗い廊下では大差なく映っている。

 もしも、ほたる一人だったなら見逃していたかもしれない。


 彼女を後方に下げて、薙刀の切っ先を使い引き戸を開ける。

 その向こう側には真っ赤な絨毯が敷かれている。

 どうやらこの戸は、どこかの天井に繋がったようだ。

 このように床が木でない教室はそう多くないだろう、音楽室しかり特殊な教室に違いない。


 ほたるはひょいと穴へと跳び込んだ。

 難なく着地し周囲を見渡すと、図書室らしかった。

 しかし、本棚が規則正しく並ぶ普通の図書室とは違う。

 本棚は隙間なく左右に列を作り、通路を形成している。

 さっきまで以上に迷路らしい様子だ。


「雲雀ちゃん、来ちゃダメ!」


 その異様さから静止の言葉を投げかけるが……既に彼女も跳び下りてしまった後のことだった。


「変な図書室ね」

「あぁ、うん……」


 雲雀の感想に曖昧な笑みを浮かべてから、ほたるは上へと視線を遣る。

 天井の戸は遥か遠いが、もしかしたら自分が上に残れば薙刀で引きあげることもできたかもしれない。

 ほたるは内心で後悔しつつ、軽率な雲雀の行動にも憤りを感じずにはいられなかった。

 だが予め忠告しなかった己が悪いし、一息で跳び下りたりせずに頭だけ突き出して覗く手だってあった。


 なんにせよ今は反省をしている場合ではない、切り替えが肝要だ。


 頭を振って、雲雀に向き直ると彼女は棚から抜き取ったのであろう本を読んでいた。

 眉根を寄せて難しそうな表情を浮かべている。


「なに読んでるの?」

「この辺りの本棚、全部クイズ本よ。ほら」


 手渡されたそれは“クイズ王”という如何にもなタイトルだった。

 ほたも試しに本を開けると、木星の重量を問われる。


「……わかる?」


 脇から覗きこんでいた雲雀に半笑いで訊ねると、彼女はやはり眉根を寄せて首を横に振る。


「だよねぇ」


 本棚に返して、また別の書籍を手に取る。

 今度はナゾナゾだ。

 クイズは知識を問い、ナゾナゾは知恵を問う。


「雲雀ちゃん、黒い犬と白い犬のどっちが大人しいと思う?」


 にんまりと笑みを浮かべて問いかけるが、


「黒」


 即答された。

 答えられないだろうと思って出した問題が解かれると、自分で考えたものでなくとも悔しい。


「どうして? 勘はなしだよ」

「黒い犬と書いて“黙る”だからよ」


 理由も完璧だった。


 ほたるはがっくりと項垂れて本を元に戻した。

 お返しとばかりに雲雀が別の書籍を手に取り、謎かけを口にする。


「目は四、鼻は九、口は三。では耳は?」

「えっ!? ……うーん、ちょっと考えさせて」


 しばらく頭を抱えて悩んでみるも、一向に「これだ!」という答えは浮かばない。

 その間、雲雀はと言うと、ぱらぱらと本を流し読みしている。

 意外にもナゾナゾは得意らしく、先ほどのように眉を歪ませる様子はない。


「うー……降参です、降参!」

「目は視力だから四、鼻は嗅覚だから九」

「あ、兆!」

「正解。結構面白いわね、これ」

「んふふ、小学生に戻ったみたいですねー」

「……そうね」


 雲雀の表情が微かに曇ったように見えたのは、ほたるの気のせいだろうか。


「さて、そろそろ行きましょうか」


 切り替えるようにそう言われては、何も訊くことはできないのだった。


 ようやく歩き始めたものの、廊下とはまるで勝手が違うことに、すぐ気付かされることになる。

 別れ道から別れ道へ、そして行き止まりへ。

 雲雀は壁にぶち当たる度に、苛立たしげに地面を蹴る。

 ほたるもまた本当の迷路に迷い込んでしまったようで、焦燥感が募るばかりだ。


 本棚の壁を登ることも考えた。

 棚の上に立てば迷路の全体を見通すことも可能だろうし、ともなれば何か分かることもあるかもしれないからだ。

 が、しかし、実際に足を掛けると拒絶されるように弾き飛ばされた。

 ほたるがやってみても、雲雀がやってみても同じことだった。


 どうやら道を外れることは許されないらしい。


 仕方なくまた歩く。

 十字路に行き着く。

 とりあえず左に曲がる。

 迷路攻略の定番法に左手を壁について歩くというものがある。

 それに従ったのだ。

 時間は掛かるだろうが、ヒントのない現状では着実だろう。


 また行き止まりだ。

 だが今までと違って本棚ではなく、白い壁だった。

 いやそれだけではない、マスが描かれている。

 縦と横にそれぞれ三つのマス目。

 壁の中央に手のひらほどの大きさで描かれており、遠目からでもよく見えた。


「何かしら、これ」


 頭にハテナを浮かべながら小首を傾げる雲雀に、ほたるは近くの棚から抜き取った本を渡す。


「ほら見て、これ魔方陣の本だよ」


 その一冊だけではなく、一面に似たような書籍が収められていた。

 手渡されたものを雲雀は顎に手をやりながらパラパラと捲っていく。


「でも数字はないわよ? 魔方陣ってマス目に書かれた数を、縦横斜めで足して、その合計が同じってやつでしょう?」

「どこかに別にあるのかも」

「この果てのない図書室で探せって? それで脱出できるのかしら?」

「わからないけど……。次の扉が見つかれば一番なんだけどね」


 むすっとした表情の雲雀を、少しでも慰めるつもりで笑みを返した。

 そしてまずは近場を探すつもりで棚に向かった途端に、背筋に冷たいものが走る。

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