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黒羽天 ─愛憎の退魔少女─  作者: 壱原優一
第1章 異界学校迷宮
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ダッシュ! ダッシュ! ダッシュ!

 廊下は前も後ろも、その先が見えないほどに長い。

 一直線に続いている。

 対して横幅は常識的で、二人で並んでもまだ余裕が結構ある。

 薄暗く、足元を照らすのは等間隔に並ぶ緑色の非常口灯のみだ。

 窓も同様に並んでいる。

 右手にも左手にも、胸のあたりから天井にまで突き抜けるようなガラスが嵌め込まれている。

 ただしその向こう側には闇黒が広がっていた。

 その為、窓ガラスには二人の影が映り込んでおり、まるで“鏡の間”に居るようでもある。

 本家のような煌びやかさや荘厳さは欠片もなく、陰気さと埃臭さだけが充満している。


 歩き始めて十分が経とうとしていた。

 家庭科室から出てきた際の戸の他に、出会った入口はない。

 窓は開くだろうか、と思い手をかけたりもしたが、びくともしなかったし、当然のように銃撃も斬撃も効かない。


 進むか退くか、それが問題だ。

 戻って先の戸口を使えば家庭科室以外の場所に出るだはずだ。

 しかし、もしかしたらそうではないかもしれない。

 あーだこーだと話し合った結果、絶対に違う場所に出る保証もない以上は包丁の嵐に戻る可能性はない方が良いとなった。


 更に歩みを進める。

 会話は少なくはないが、椿坂から雲雀に話しかけてくることが多い。


「雲雀ちゃーん、銃見せてくれません?」

「どうして」


 訝しく思いながら訊きかえした。


「いやー、退魔師の方で拳銃使ってる人って珍しいから。単なる興味です」


 雲雀は立ち止まって、じっと彼女を見つめる。

 ただ悩んでいるだけだったのだが、ほたるは拒絶されていると感じたのかもしれない、慌てたように付け加える。


「あ、いえ、無理にとは言いませんよ! 武器は命綱だもんね」


 そう言われてしまうと、かえって雲雀としても貸しづらいような気になって、


「……代わりにその薙刀も見せてくれるなら」


 と条件を提示した。

 すると彼女は「どうぞどうぞ」と簡単に命綱を渡してくる。

 軽い巫女だなという感想を抱くが口にはしなかった。


「おっ、おぉ、なんか吸われてる。変な感じー」


 霊力を吸い取られるという未知の経験に、彼女はどこか楽しそうだ。


 雲雀はとりあえず刃を観察してみる。

 鈍色に輝くのみで、持ち主の言うとおりに何の変哲もない。

 すぐに飽きる。

 次いで柄の方に視線を下げる。

 朱色で綺麗なものだ、艶もある。

 物持ちが良いのか、ただあまり使用していないのか。

 傷一つない。

 全体的にずっしりとした重みがあって頑丈そうである。

 まだ椿坂は拳銃を眺めていた。仕方なく雲雀が薙刀をまじまじと観察していると、一つ気付いた。

 柄の、刃に近いところに彼女の名前が掘られている。


(小学生か!)


 内心でだけ雲雀はツッコミをいれた。


「はい、ありがとうございます」


 満足した彼女と再び得物を交換する。

 興味があると言うならば、試射しなくてもいいのかと雲雀は訊ねるが、それには首を横に振った。


「巫女として銃器はちょっとね」

「モデルガンだけれどね」

「それでもだよー」


 雲雀には巫女のこだわりはよくわからない。

 薙刀よりも扱いやすいだろうにと、そう思った。

 彼女のそれはモデルガン故に反動もほぼない為、非力な子供であっても十二分に使える代物なのである。


 そしてまた二人で歩き始める。

 本当にこの廊下は長いものだ。

 未だ先は見えないし、新たな扉も見当たらない、もしかしたら無いのかもしれない。

 やっぱり引き返そうにも、その時はとうに過ぎてしまったように思えて、どちらからも口に出すことはなかった。

 ただ歩く、前に向かって。

 薄暗い廊下を歩く一歩一歩が、床板を軋ませる。


「そう言えば」


 雲雀の脳裏に先ほどの会話が蘇る。

 包丁の襲撃で半端になってしまった、ラスボスの話だ。


「さっきの話の続きを、まだ聞いてなかったわ」

「ん? ……あぁ、ラスボスの。いえ、簡単に倒せればいいなぁ、って。そう思っただけです」

「そうね。どんな相手か、まだわかってないものね」

「……はい。やばい相手だったら、素直に逃げましょう」

「ええ。こんなとこで死にたくは、ないものね。絶対に」


 絶対に。

 そう繰り返す雲雀の瞳に強い光が宿る。

 椿坂がそれを見て、何を思ったのか。

 この時の雲雀は知るはずもない。

 見られていたことにも気付いていない。


 ギシギシという二人分の足音が重なる中に、雲雀はふと違和感を覚えた。

 もう一つ不鮮明な音が混じっている。

 最初はただの気のせいだとも思ったが、何度目かに確信して、純白の袖を引く。


 彼女も気付いていたのか、雲雀と顔を見合わせるとこくりと小さく頷いた。


 足を止めて耳を澄ませる。

 前方か後方かはまだ判然としない上に距離も遠いようだが、確かに音が聞こえる。

 足音だろうか。

 雲雀が「一人ね」と言うと、椿坂は「二人だよ」と答えて目を瞑る。

 耳に神経を集中させているのだろう。


「後ろから」

 と彼女が告げる。


 しかし雲雀は前方へと銃を向ける。


「どうかしらね」


 確証が持てずにいた。

 濃密な緊張感に包まれて、雲雀の眉根が強く寄る。


「三人」


 巫女が人数を釣り上げると、


「いや、四人ね」


 雲雀もそれに続いた。


「五人じゃない?」

「六……いえ、もっといる!」


 この時になると、足音は点ではなく帯となって、二人の耳にはっきりと届くようになっていた。

 二人が歩いてきた方向より、歩の重奏が迫りつつある。

 サバンナを駆けるヌーの大群が出すそれだ。


 雲雀は拳銃をそちらに構え直す。


 薄暗い影に覆われた廊下の果てより、その集団が姿を現す。

 非常口の場所を示す緑色の明かりに照らされて、先頭集団がぼんやりと浮かび上がる。


 それらをしっかりと両の目で捉えた時、雲雀の足は逃げるように前へ向かって駆け出していた。

 椿坂も同様にした。


 二人の退魔師が時折後ろを気にかけながら、長い廊下を全力で走っている。

 じわじわと距離を縮めつつある追手に、背筋が凍るような思いだった。


「やだー!」


 椿坂の絶叫が反響する。


 彼女らを追うモノは、皮膚を剥がれ臓物を剥き出しにされグロテスクな様相を呈していた。

 彼らは学校の、主に理科室、あるいは保健室に生息し、多くの生徒に人体模型と呼ばれて親しまれている。

 夜の学校を徘徊している、と噂されることもある彼らだが、今はそのような生易しい表現は適さない。

 ランニングしている。

 手のひらはピンと伸びて、熟練の走者の貫録が漂う。

 十体どころか、数えきれない程に集まり、ひしめいている。

 マラソン大会の序盤のように、団子状態だ。


「ああも大量にいるとっ、流石に気持ち悪いわね!」

「包丁の方がまだマシだよね」

「それはっ、どうかしら?」


 逃避行が始まってから十五分。


 その間、全力で走り続け既に息も絶え絶えな雲雀の一方で、椿坂は余裕の呼吸。

 巫女は幼い時分より修行を積んでいる者が多く、彼女もその例に漏れない。

 次第に雲雀の位置は椿坂よりも数歩分だけ、人体模型群体に近づいてしまう。


「これで蹴散らします!」


 走りながら巫女が、袂から呪符を取出し後続目掛けて投げつける。

 符は廊下に落ちて旋風を生み出した。

 だが彼らはその程度では止まらない。

 吹き飛ばされて壁に激突し、剥き出しの臓器を放り出してしまう個体もいるのだが、敵は群体だ、焼け石に水と言えた。

 床板の軋みが更に激しさを増す。

 先には依然変わらず闇黒が広がっている。


 終わりの見えない闇に、雲雀は心身ともに疲弊していく。

 だが目の端で、ペースを落として隣を走る椿坂が、もう一度袖口に手を伸ばす様を捉えると、その手を掴んだ。

 ぎょっとした表情の彼女と、視線が交差する。

 口は呼吸の為だけのものとなっている。

 目だけで「大丈夫」と訴える。

 今の椿坂の指先には、きっと脱出の符が触れているのだろうと、雲雀は確信していた。

 あるいは逃げたくないという意志が生んだ妄想か。


 巫女の目が泳ぐ。

 二度三度動いてから、彼女は袖から手を引いた。

 何も持っていなかった。


「……あっ」


 不意を突かれる形で、眼前に白い線が横切る様に現れる。

 あまりにも突然に宙に出現したそれを回避する術はなく、雲雀が椿坂と揃ってその線を全身で越えた瞬間、背後の凝縮された気配が消え去った。


 ほっとすると足元がもつれて、雲雀は床に倒れ込んでしまう。

 埃臭い木の匂いがすぐ近くで香る。

 喉からは「ヒューッ、ヒューッ」と甲高い呼吸音が漏れる。

 我ながら騒々しいことだと思った。

 それに混じって、椿坂が、ぽつりと零した言葉が耳に届いた。


「あー……ゴールテープ」


 確かに先ほど見た白線は、それにしか見えない。

 一着が決まり、走る意味がなくなったのだろう。

 もしかしたら彼らは、一着になれなかった者の末路なのかもしれない。


 雲雀はゆっくりと寝返りを打って仰向けになった。

 薄い胸が今も激しく上下を繰り返している。

 目を瞑り呼吸にのみ集中していると、額にやわらかな気配を感じた。

 薄っすらと瞼を開けると、椿坂の姿があった。

 彼女も疲れた表情で、大きく深呼吸をしている。


「巫女服の袖って……なんでも入ってるのね……」


 雲雀はハンカチで優しく額の汗を拭われながらぼやいた。

 独り言のつもりだったが、聞こえたらしい。

 はっとした彼女と目が合って、彼女は照れくさそうに笑った。


「普通は入らないんだ、袂に穴が空いててね。でもやっぱり、この方が便利だから。あ、そうだ。飴あるけど、食べる?」

「……いらない。飲み物はありません?」

「今度から持ち歩きますね」

「残念。……ふぅー……もう少し待って」

「今は安全そうだし、大丈夫だよ、いくらでも」


 再び雲雀は目を閉じる。

 やわらかく温かい、この心地よさがとても懐かしく思えた。

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