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黒羽天 ─愛憎の退魔少女─  作者: 壱原優一
第2章 “Loving can cost a lot, but not loving always costs more.”
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ふたりの道

 自然と早足になっていって、雑踏の隙間を縫うようにして進んでいく。

 鬼気迫る表情で歩む巫女を、人々がぎょっとした様子で振り返る。

 だが雲雀はそのようなことを気にも留めない。


 不意に全身を駆け抜けるは、奴の感覚。


(もうすぐ夜になる。……起きたわね)


 額を伝う汗は焦りの証明か。

 雲雀は息苦しさも妙に感じていた。

 陽が沈むにつれて体温があがっていくようだ。

 気付けば彼女は走っていた。

 気配の出所を探りながら、走り続ける。


 ふと公園の入り口が目に入り、雲雀の足はそちらへと向かう。

 人目を避けたい、と無意識のうちに思うのだった。

 公園内に人の気配はない、故に彼女は即座にケースから二挺の拳銃を取り出して、その手に持つ。


 構えずに腕は下げたままで、雲雀は公園の中央を目指して歩く。

 じりじりと、もう一人の自分に近づいているのを、そして自分の分身が近づいてくるのを肌で感じていた。

 おそらくは、向こうも同じことを感じているのだろう。


 ──雲雀とその影の間には、奇妙な〝繋がり〟がある。

 片や人に仇なす妖魔を滅ぼしたいと願い、もう片方は唯一無二の〝東風谷雲雀〟に成りあがりたいと願っている。

 互いに互いを求め合って、か細い糸が如き〝繋がり〟を手繰り寄せれば、砂漠のど真ん中であろうとも巡り合うに違いないのだ。

 そして出会ったならば、各々の目的のために互いを殺すほかない。


 公園のちょうど真ん中あたりには噴水があって、その前で雲雀は遂に影と対面した。

 公園の出入り口は東西に二つのみであり、雲雀は西から入ってきたのだから、おそらく影は東からやって来たのだろう。

 あるいは、ずっとこの公園で眠っていたのかもしれない。


(こうして向かい合うと、心底気味が悪い)


 と雲雀は感じる。

 影だけに、その容姿は雲雀と瓜二つ。

 肌の色と服装ほどしか違いはない。

 今すぐにでも、この気持ち悪い存在に弾丸をお見舞いしてやりたいくらいだった。

 だが、ただの十発しかない。確実に当てなくてはならない。

 雲雀は、ずしんと腹に重石を詰められたような気にさえなった。


 褐色の肌を持つ雲雀が、優雅なお辞儀をして言う。


「お久しぶりですわ、お母様」


 山の時に見た彼女は、本物の雲雀と同じくシャツとジーンズという出で立ちであったのだが、ここに至っては優美な振る舞いに合わせてなのか、その細身に纏うのは真紅のイブニングドレスである。


 雲雀は苛立ちを隠さぬ声で、それに答えた。


「母親になったつもりはない」

「でもわたくしは、お母様とお父様のおかげで産まれましたのよ?」


 瞬間、雲雀は一発の銃弾を放った。

 あのクロハネを指して、父などとのたまう己の影に我慢などできようか。

 しかしながら、影は事も無げにそれを打ち落とす。

 指先から放たれる漆黒の魔弾が、圧縮された妖力の弾丸がそうしたのだった。

 容姿のみならず、攻撃の方法まで似ているらしい。


 雲雀は予想外の出来事に面食らう。

 だがそれで少し冷静になって、続けて引鉄をひくような真似をせずに済んだ。

 残り九発。


 影がやれやれとでも言いたげに肩をすくめた。


「もうっ、事実ですのに」

「……あくまで私の娘と言い張るならば、いいわ。さっさと腹の中へ戻ってもらうだけよ」

「ごめんあそばせ。私にそのつもりは御座いませんの。へその緒を断ち切って、自由にならせていただきます」


 そう言って、影が人差し指を突きつけるや否や、その先から黒き弾丸が放たれる。

 雲雀は横跳びでそれを避けて、銃口を向ける。

 しかし躊躇いが生じてしまう、脳裏に焼き付く先の失敗が引鉄に掛けた指を硬直させた。


 その隙に影の次弾。


「くっ!」


 これもなんとか躱して、雲雀は影を中心に円を描くように右回りで駆け抜ける。

 当然、弾切れの心配がない彼女からの追撃を受けることになるが、動く物体を当てることは難しい。

 雲雀は足を止めることなく噴水の背後へと回り、一直線に木立へと向かう。

 本来ならば立ち入り禁止とされている公園の芝生、及び林であるが雲雀にそのようなことを構う余裕などない。


「ちょこざいですわ」


 と影は余裕に溢れる口ぶりで言う。

 そして追う歩みも、ダンスパーティにでも向かうかのように優雅なものだ。

 雲雀は木の影からその様子を窺ってほくそ笑む。


 精々、油断してるといいわと。


 しかし秘策があるわけではなかった。虚勢だ。

 木立に入り込んだのは、単に遮蔽物が多いからという理由だけであり、それは必ずしも雲雀を有利にしてくれるものでもない。

 むしろ無駄撃ちができないという不利を、より強固なものとする。

 もしも〝繋がり〟がなかったなら、木の上にでも登って影が下を通り過ぎる時に急襲を掛けることもできたが、この距離感で互いの位置を喪失することなど有り得ない。

 どこに身を潜めても無意味である。


 だが代わりに時間を得た。

 死ぬまでの猶予、それはそっくりそのまま、考える時間となる。


(どうすればアイツを倒せる? たった九発の弾丸で。……今までひたすら、連射しかしてこなかったツケがきたわね。ほたるみたいに呪符でも持ってれば)


 脳裏にあの巫女のことが思い浮かぶと、雲雀は知らず知らずのうちに唇を噛んでいた。

 木に体を隠してはいるものの、足も止まってしまっている。


(ほたる……ホテルに帰ったのかしら。正直、追ってくると思ってた。だって、山でまた会ったのは偶然ではないんでしょう?)


 ほたるはニギミ派的思想を持っており、雲雀はアラミ派的思想を持っている。

 そのためほたるは、雲雀の無差別とも言える妖怪への攻撃を止めさせたくて、つまりは改心、改宗させたくて追ってきたのだろうと、雲雀は推測していた。


 だが今度の彼女は追ってこなかった。それはどうしてだろう。


(……わからない。あの影は間違いなく、人の敵なのに、どうしてあんなやる気がないの?)


 その時、背後から草を踏む音が聞こえて、雲雀は自問の世界から引き戻される。

 既に影の存在は木を五本ほど挟んだ位置にある。

 しまった、と思うには遅すぎる。

 とにかくまた距離を取るために駆け出そうとすれば、影から言葉が放たれた。


「どんな秘策が飛び出すかと思えば、ただの逃避ですか? お母様、私はお母様から産まれたことを恥ずかしく思いますわ」

「黙れ妖怪!」


 と言い返すものの、ただの逃避という指摘は間違いなく事実。

 雲雀はその責任をほたるへと転嫁した。

 ほたるのことを考えていたから、策も何も浮かんでいないのだと。

 精神的にも追い込まれた彼女は、木に隠れるのをやめて影の前に姿を晒す。


 暗闇によく映える真紅の影が、くすりと微笑んだ。

 それは本物にはできぬ表情。


「流石お母様、潔い」

「はんっ。娘だって言うなら、わかれよ」


 拳銃使いの雲雀は、ジーンズのポケットに押し込んで、銃把グリップから僅かに手を離す。

 それを見受けて影が目を丸くしたのは一瞬のことで、すぐに意図に気付き口角を吊り上げて笑いながら、だらりと両腕を下げた。

 雲雀はこう言っているのだ。弾丸使い同士、決闘をしようと。

 西部劇に出てくるガンマンのように。

 影はそれを受けてくれたが、驚くようなことではない。

 雲雀自身、妖怪にそう挑まれたならば、真っ向から受けて立つからだ。

 有利、不利に関係なく。


 指先から発する影の方が、有利であることは明らかである。

 腕を上げれば自然と弾が放たれる彼女に対して、雲雀は銃を抜き引鉄をひかなくてはならない。故に影は、上から目線で放言する。


「お先にどうぞ、お母様」

「甘えさせてもらうわ」


 雲雀の表情は硬い。

 しかし恐れや怯えはなく、意志の光を瞳に宿らせる、気負った者の顔つきをしている。

 逃げも隠れもできぬ状況、これしか道はないと信じている。


 風が吹き、木の葉が揺れる。

 そのうちの一枚が、ひらひらと二人の間に落ちていった。


 それを合図として、雲雀は両方の拳銃を抜く。

 放たれる弾丸は九発。

 それら全てが影によって撃ち落とされてしまった。

 たちまち顔色が驚愕に変わる。

 しかし敗北したからではない。


「あははははは……は?」


 高笑いする真紅のドレスを、鈍色の刃が貫いていたからである。

 雲雀はその刃に見覚えがあった。

 あの薙刀だ、椿坂ほたるの得物だ。


 自分と同じ顔をした女が死ぬ。

 雲雀にとって、気分の良い光景ではなかった。

 影の形が端から散り散りになっていき、その破片は風に舞って雲雀の身へ吸い寄せられていく。

 一片一片が体に触れるたびに、力が蓄えられていくのを感じられる。

 また足元の影も、再生していく。

 ドレスの後ろに隠れていたほたるの姿も、次第に露わになっていった。


「ほたる……どうして……」


 雲雀はわけがわからなかった。

 彼女がどうして、ここにいるのか。

 いや彼女は退魔巫女なのだから妖怪を退治しに来たに違いないし、事実、そうしている。

 けれど、わけがわらない。


「ごめんなさい」


 と急に、ほたるが頭をさげた。

 それもわけがわからなかった。

 戸惑う雲雀が「あうあう」と情けない声を出していると、彼女はそのままの姿勢で言葉を続ける。


「私は貴女を囮に使いました。本当にごめんなさい」

「おと……り?」

「うん。影はどうして町を出ないのか、不思議に思わなかった?」


 雲雀は首を横に振る。ほたるが答えた。


「私もわかんなかったけど……雲雀ちゃんに夢の話を聞いた時、出ないんじゃなくて、出られないのかなって思ったんだ。〝繋がり〟があるから。元は影だし、本体からあまり離れられないのかなって。それなら人より先に、雲雀ちゃんを襲うはず」

「そう言えば『自由になる』とか言ってたわ、アイツ」

「うん、仮説は正しかったみたい」

「囮にしたいなら、そう言ってくれれば、幾らでもしたのに」


 雲雀は非難の視線をほたるへ向ける。

 やり口が気に入らなかった。

 喧嘩別れなんて、する必要なかったはずだと。

 ほたるの表情が、まるで拗ねたようになった。

 わけがわからない。


「だって、あの時の雲雀ちゃんは、雲雀ちゃんじゃなかったから」


 またわけのわからないことを言う、と雲雀は思った。

 そのため「なにそれ」と言うが、するとほたるがじっと目を見つめてくる。


 そして言うのだ。


「今は雲雀ちゃんだ。私の知ってる雲雀ちゃん。自分のやること、やりたいことを、ちゃんと決めてる瞳の色」

「……そんな立派じゃない。復讐心よ」

「違うよ。始まりはそこだとしても、別たれたら別物だよ」

「私はそうは思わない」

「そう思えるようにしてあげる」

「……わけが、わからないわ。なにを言ってるのか、まるで」


 ほたるが微笑みをにっこりと浮かべた。


「私ね、実は、退魔巫女になりたくてなったわけじゃないんだ」


 話が唐突に飛んだことも含めて、雲雀は驚く。


「……意外だわ」

「でもね、嫌々なわけでもないの。親の敷いたレールに乗りたくない、なんて言う人もいるけど、それってなりたいものが自分にある時だよね。私はそういうのなかったから、自分で親の望むレールに乗っかった。だから不満もない。本当に親が望んでたのかは知らないけどね、『なれ』とも『なるな』とも言われなかったかな。でも、なるって言った時は、たぶん喜んでたよ。跡取り娘だし」


 そこで一旦区切ってから、彼女は「今は……」と続ける。


「やっぱり不満はないよ。遣り甲斐ある仕事だと思う。人助けもできるし、その時は嬉しくなる。辛いこともあるけど、でもそんなの、どの仕事でも同じことでしょ」

「そうね。生きてれば、なにかしら辛いわ」

「……雲雀ちゃんと初めて会った時、初めて目を見た時、綺麗だなぁって思った。こういう目をしてる人は、自分でレールを敷いて生きてるんだろうなって」


 雲雀は思い出していた。

 あの時、自己紹介の場で、妙に目を覗き込んできた理由が今更ながらわかった。

 そしてもう一度、同じ言葉を繰り返す。


「そんなに立派な人間じゃないわ」

「でも私は、羨ましいと思った」

「羨ましい? 私が?」

「うん。凄いな、って思ったから。その後、復讐のことを知って……なんか悲しくなった」

「だから復讐をやめろって?」

「違う! 前にも言ったけど、私は復讐を否定しないよ。だって私も我慢できないもん、きっと。八つ当たりだけはしちゃダメだと思うけど。だからね? 復讐、手伝うよ」

「て、手伝う?」


 完全に予想だにしていなかった言葉に、雲雀は狼狽える。

 その手をほたるがぎゅっと握った。


「そしたら、もういいでしょ? 全部終わる。八つ当たりだってしなくていい。それからは、もっと違うものを見て欲しい」

「……貴女の言う私の目が、私にはわからないわ。そんな立派な人間じゃない、復讐しかない」


 雲雀は俯き首を何度も横に振る。

 ほたるが語るのは未来の話だ。

 しかし雲雀は、復讐心を失った己の未来になにが待ち受けているのか、一度も考えたことがなかった。

 考えたくなかった。


 暗黒の道の先には真っ暗な闇すら広がっていない、そんな気がしている。

 それがたまらなく恐ろしいから目を瞑り、家族がいると思って進む。

 心に秘めた自死の思いと言えよう。

 本人の与り知らぬ消失願望だ。


 ほたるの言葉が、やけに力強く耳に届く。


「手伝うから、大丈夫。次は勝てる」


 雲雀は静かに頷いた。

 その目に宿る光は、ほたるの望むものとは違っている。

 深海のような色だ。

 なにも考えたくはなく、なにも恐れたくもなかった。


(そうだ、今はクロハネを殺すことだけ考えればいいんだ。後のことは、どうでもいいし、ほたるだってどうでもいいじゃない。手伝うって言うなら、手伝わせればいい。使えるものを使って、殺すんだ、アイツを)


 しかし、ほたるがそのことに気付く様子はない。

 瞳を合わせなければ、気付かれない。

 雲雀はそのまま立ち上がると、ほたるに先んじてホテルへと向かう。

 向かい風が強い気がする。

 耳にはあの言葉が何度も聞こえていた。


「本当はわかっているんだろう?」と。

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