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黒羽天 ─愛憎の退魔少女─  作者: 壱原優一
第1章 異界学校迷宮
13/26

ほたると雲雀と花子と文緒

 花子さんは六体の敵を前に笑顔と憎悪を絶やさない。


 最初は一対一で、一歩も退かずに殴り合う、いや一方が一方を容赦なく殴り尽くすような戦闘だったのだが、それでは敵わないと悟ったらしい文緒が、あれよあれよと一人二人と分身を増やしていき、今では一対六という有様になっていた。


 それでも花子さんの笑顔が曇ることはなく、むしろ愉快そうで、時折「ふふ。うふふ」と笑い声を零すのだ。

 そして瞳に映る黒炎が一層強くメラメラと燃え上がる。


 文緒の一人が右から襲いかかってきた。

 彼女たちも同様に徒手空拳である。

 それを躱して花子さんは、背後から襲いかかろうとしていた一人の顔面を、振り向きざまに叩き壊した。

 陥没した顔のまま、それは静かに消え去っていく。

 文緒たちの表情が引きつり、攻撃の手がやんだ。


「あちゃー、次は首絞めって決めてたのに失敗したなぁ。……で、もう終わり? さっきの白葡萄の方が手強かったよー?」


 花子さんはにっこりと微笑みながら、毒を吐く。

 また、だった。

 次に文緒が苦しそうな表情で、更に分身を二体増やすのもかつてあった光景だった。

 破壊、嘲笑、分身、戦闘。

 先からその繰り返しだ。


 敵の数が増えれば増えるほど、戦意が高揚していくのがわかる。

 憎むべき敵を何度でも殺せるという喜び。

 いや、殺しきらずに楽しむのだ。

 それは文緒が、四人の幽霊に対して抱く感情と近いものかもしれない。


 そのことを花子さんは自覚しつつも、歪む口元を抑えられそうになかった。




 ほたるが相対する文緒はただ一人、手のひらから黒い杭を出して襲いかかってくる。

 薙刀の柄でそれを捌き、反撃の一刀を首筋目掛けてお見舞いする。

 しかし、上体を大きく逸らすことで躱された。

 その体勢のまま、すかさず文緒が胸へと杭を飛ばしてくるが、ほたるは右に跳んで難を逃れる。

 そして呪符を一枚投げつけた。


「ぎゃあ!」


 符の効果で体に電流が走ると、文緒が悲鳴をあげる。

 これを確実に当てる機会を、ほたるは虎視眈々と狙っていたのだ。

 数秒であっても、痺れて満足に動けないならば、決着になり得る。


「……」


 かける言葉はない。

 ともかく薙刀は振り下ろされて、まずは一人の文緒が完全に消滅した。

 その時だった。

 ほたるは、定期的に耳に届いていた破壊音を、だいぶ聞いていないなと思い立ち、彼女を見遣る。

 八体の文緒と戦う彼女を。


 だがその光景は、ほたるの目を充分に丸くした。

 同じく一人を倒したらしい雲雀とも目が合うが、彼女もまた不可思議なものを見るようにしている。


 それは相川文緒の山であった。

 八体どころの騒ぎではなく、うず高く積み上げられた文緒たちだ。

 花子さんの姿は見えないが、おそらくは山の下にいるのだろうと思われる。


「──ハッ!?」とほたるが気付く。


 思考を真っ白にしている間に、雲雀の銃撃が山頂を襲っていた。

 ここまで分身を繰り返したためか、一体ごとの妖気の密度がとても薄く、容易に消滅していく。


(うぅ……なんかゾンビゲームみたい……)


 気持ちの上では複雑なものがあったが、ほたるも呪符によって応戦し始める。


 だが突然に、山の中央から強い気配を感じて、その手が止まった。

 雲雀と視線を交わし、頷きあう。

 それを合図として、更に容赦ない攻撃を食らわしていった。


 それは花子さんの妖気に似ていたが、しかし敵意がある。

 ほたるは雲雀と違って、まさかこの場で裏切られたとは露も思っていなかった。

 だからこそ、頭の中で疑問符が踊る。


 何が起こっているのか。


 その答えはすぐにわかることとなる。

 重なり合った文緒たちが、真に重なり始めたのだ。

 分身する時とは逆行するかのように、寄り添う二体の文緒が、二重にぼやけた姿となったかと思えば一人の文緒になる。

 それを段々に繰り返して、山から丘に、そして一人の文緒へと戻っていった。


 いや、そこにいたのは文緒ではない。


「花子さん……?」


 雲雀が訝しげな様子で、その者に訊ねた。

 濡れ烏の如き長髪に、赤いタイを胸元に垂らしたセーラー服。

 ほたるにとっては、ついさっき会ったばかりの妖怪ではあるが、確かにトイレの花子さんのようだった。


 ただ、その声は違った。


「はぁーい! 花子さんでぇーす!」


 ほたるは全身が総毛立つのを感じていた。

 その声色は間違いなく、相川文緒のもの。

 口ぶりこそ違えど、ここに来るまでに色々な話を交わしたのだ。


 一方で雲雀は、花子さんとよく話していたはずだ。

 彼女の表情を見れば……、意外にも平然としているように見えた。

 強張った様子のほたるとは対照的に。


 花子さんは──相川文緒は二人の顔色を交互に見比べて、それからげらげらと笑いだす。


「うぷぷっ。やっぱり良いよ、この体は。相性が良い。それにあんだけ強いんだもん、わたしも力が湧いてくる!」


 雲雀が口を開いて、冷ややかな声を出す。


「乗っ取ったのね。……なるほど、そういう手もあるわけ」

「いぇーす! うぷぷっ。てゆか、わたしってば幽霊じゃん? 取り憑くって、そりゃそーでしょ!」


 そしてまた、げらげらと。

 だが忽然と声をあげて笑うのをやめ、文緒が両手を構えた。

 右手はほたるに向いていて、手のひらには漆黒の杭。

 左手は雲雀に向いていて、その腕を中心にして漆黒の球が四つほど回っている。


「それじゃ、ま、続きといきましょうか」


 文緒が言うや否や、漆黒の杭が、ほたる目掛けてぐんぐんと伸びてくる。

 その鋭い先端を薙刀で弾くと、カクンと折れ曲がって、明後日の方向へとなお伸び続けていく。


 今のうちにと、ほたるは本体を目指す。杭に沿うようにして駆けだした。


「うわっと!」


 だが目の前を遮るように漆黒の線が現れて、急ブレーキをかける。

 出所を視線で追えば、隣を走る杭のようで、木々が枝分かれをするように新たな杭が生えたということ。

 更に、目隠しとなったそれからも新たな杭が突出した。


「あぶなっ!」


 顔に穴が空いてしまうところを、間一髪、頭を下げてくぐるようにして避ける。

 それから、もっと前へと足を踏み出した。

 ほたるは、とにかく動き回ることに決めた。

 じっとしていては、やがて囲いに囚われてしまうだろうから。

 だが動いていても、文緒に近づくことを許してはくれない。

 進行方向を事あるごとに杭が邪魔をした。

 枝分かれするという性質は、実に厄介なものだと言えよう。


 動きながらも、文緒に近づこうとしながらも、ほたるは雲雀を心配していた。


 そう言えば預かっていたのを渡しそびれていると、その時になって思い出したが、現状では如何ともしがたい。

 距離がだいぶ離されてしまっているし、杭を躱すのでやっとなのだ。


 雲雀を襲う攻撃は黒球。

 それも黒杭と同様に、先ほどまでの、ただ射出されるだけの存在ではなくなっているようだった。

 周囲を飛び交い襲いかかってくる黒球の一つに、雲雀の弾丸が直撃した瞬間、それは水風船のように弾けて黒い汁を辺りに撒き散らす。

 幸いにも、汁が彼女の身体に付着するようなことはなかったが、床に落ちたそれは白い煙と「シューッ、シューッ」という異音を立てていた。

 もしも球一個まるごと直撃したならば、ほたるが負った傷とは比べようもないものになるだろう。


 だが、それを一瞥する雲雀の目に動揺の色はなく、冷ややかなままだ。


 安心感はある。

 しかし、妖怪であるからとはいえ、ほんの僅かな時間であるとはいえ、共に戦った仲が乗っ取られて敵になってしまったのだから、攻撃がなんであれ、もう少し戸惑いだとか、怒りだとかを感じて欲しいというのが、ほたるの気持ちであった。

 けれど雲雀は、不思議なくらいに冷静な面持ちで、黒球を掻い潜りながら前に進んでいく。


(やっぱり、妖怪には何も思うところがないの? 花子さんとは、なんだか打ち解けてる風にも見えたのに……)


 と、ほたるが幾ら残念に思えど、人の気持ちを簡単に変えられようか。


 また、今この場においては、ただ敵となった花子さんを討つことしか、ほたるにもできないのである。

 割り切ること、それがすぐにでもできる雲雀の方が、退魔師らしい姿であるのかもしれなかった。


 他人のことばかり気にしている間に、気付けば、ほたるの周囲に杭による檻が完成していた。

 完全に囲われてしまっている。

 とは言え、薙刀を振り回す程度の広さはあるだろうか。


「これは……まずい!」


 今更ながらその事実を認識して、巫女の表情からめでたさが失せた。


 もしも、この多角錐を描く各辺から内部を目指して、漆黒が枝分かれをしたならば、たちまち彼女は串刺しになってしまうことだろう。


 現に、今、杭の発芽が始まった。

 それは縦の辺から一本ずつ、腹部を狙うようにして伸びていく。

 その光景を前にして、ひとまず安心するものが、ほたるにはあった。


 薙刀を一振りし、ある一本の杭の先端を横から叩く。

 衝撃を与える。

 するとたちまち、その切っ先は衝撃を与えられた側とは逆に向かってカクンと折れ曲がった。

 その先には当然ながら、隣の杭がある。

 激突し、それにも衝撃が走る。またカクンと折れて、また隣にぶつかり……それを繰り返して最後には、腹回りに漆黒の多角形が完成するのだった。


 ほっと、ほたるが一息吐く。

 だが真の危機を脱したわけではない。今度こそ一斉に、縦横無尽に杭に襲われることだろう。


 ちらっと、ほたるは期待の眼差しを雲雀にへと向けた。




 東風谷雲雀は、いくらか力を増した敵を前にしても、何一つ恐れるものがなかった。


 黒い球など、壊さなければ飛沫に晒されることもない。

 回避行動を取りつつ、本体を倒せばいいだけである。


 あの花子さんと同等か、それ以上の妖気を感じてはいる。

 しかし、トイレで彼女に覚えた脅威の十分の一ほども、少し離れた地に悠々と立つ怨霊に対して、感じないのである。


 雲雀は内心でとても憤慨していた。


(花子さんの体を使っても結局はこれ?)


 先に見せられた能力の上位版など、花子さんの体にはまるで相応しくない。

 やはりあれは、徒手空拳に徹してこそ真価を発揮するはずだ。

 乗っ取ることで力を奪った、それ自体は興味深いものだが、それを生かしていないのでは無意味だろう、とも。

 そして何よりも、脅威を感じない最大の理由がある。


 雲雀は黒い球をひょいひょいと避けながら、


「学校最強が聞いて呆れるわ!」


 と、霊力と言葉、二つの弾を放った。

 霊弾は新たに出現した黒い球に阻まれたが、言葉の方はどうだろうか。

 更に続けて、雲雀は二種の弾丸を放っていく。


「校内無敗って……貴女、負けてるわよ? 初黒星! 無様ったらないわね」


 更に更に。


「ついでにそいつごと、私にも負けるといいわ。黒星二つ目つけてあげる」


 文緒の表情がなにやら苦しげなものへと変わっていく。

 何かを言い返そうと唇が動くが、結局また閉じてしまう。

 それどころか、黒い球にも杭にも、綻びのようなものが見て取れるようになっていく。


「……花子さん、いい加減に、遊びは終わりにしましょう?」


 その一言が決め手だったのか。

 遂に文緒の口から「は、あ、い」との可憐な声が飛び出して、漆黒の武器は消え去っていった。


 雲雀が文緒に対して脅威を感じない最大の理由、それは──花子さんの敗北が、想像できないというだけのことである。

 ただ一瞬でも、彼女から本気の殺意を向けられた雲雀ならば、なおさらのこと。

 文緒は決してか弱い存在ではないが、トイレで負けず、校内でも負けずの花子さんが、己の体内、精神世界という自分の領域内で負けるはずがないのだ。

 それから復讐者である以上は、その対象にだけは絶対に負けない、負けてはならない。

 となると今の花子さんは、ただ遊んでいるだけに違いない。

 そう確信していた。


 元に戻った花子さんが傍に駆け寄ってきて、にっこりと微笑んでくる。

 勝ち鬨でもあげたいのだろうか。

 雲雀はその顔を見つめて(……妖怪を信じるなんて、我ながら馬鹿だわ)と静かに自嘲して、花子さんの額に銃口をつきつけた。

 そして発砲、躊躇いなく。


「あいたーっ!」


 防御はもとより回避すら取らない、それがこの“トイレの花子さん”なのだ。


「もう、なにするのよぅ」

「妖怪なのが悪いわ。で、奴はどうしたの?」


 文緒の行く末を訊いた時、雲雀は後頭部をチョップされた。

 気付かぬ間にやって来ていた、ほたるの手で。


「なんで花子さん撃つのっ」


 彼女はなにやら、ぷりぷりと怒っていた。


「……妖怪だからだってば」


 うんざりとした表情で答えると、ほたるがあからさまにムスッとする。

 それをさておいて、雲雀は話を戻す。


「で、怨霊は?」

「うん。それなら、まだわたしの中」

「平気なの?」

「流石にうっとうしいから出す。胃もたれしそう」


 言うや否や、花子さんは自らの胸に手刀を突き刺した。

 出血はないものの、視覚的にはだいぶ気持ちの悪くなる見世物だ。

 ぐにゅぐにゅと内部を漁る手が、やがて表に出てくる。

 それはまた別の手を握っていた。

 そうして一気に引っ張り出されたのは、すっかり憔悴した様子の相川文緒の姿だった。


 髪も衣類もボロボロ。

 雲雀ですら憐みの視線を投げかける。

 脇からほたるが、そっとその頭に手を伸ばしたかと思えば、


「ごめんね」


 と謝る。

 何に対してか、雲雀にはわからなかったが、それでもほたるを後ろに下げることだけはして、しっかりと拳銃のグリップを握り直した。


 背後からほたるがまた「ごめんね」と言う。

 今度は何に対してなのか、わかる。


「別に。好きですることだから」


 とだけ返して、終結を招く引鉄に指をかけた瞬間──


「アンタとも相性がいいわぁぁああ!!」


 文緒の叫びが胸の真ん中から、全身を駆け巡り脳髄を揺さ振った。

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