増殖する憎悪
その一撃で大きく吹っ飛んだ彼女の肉体は、体育館の壁に当たってようやく止まる。
よもすれば今ので肉体を大きく損なったのではないかと、思ってしまうほどに強烈なものだったが、遠目からでもどうやら無事だったらしいことが窺える。
だが満足に起き上がることはできないようで、ビクンビクンと全身を痙攣させるばかりだ。
突然の来訪者を前にして、ほたるの頭も麻痺しているようで、
「あの、ありがとうございます?」
そんな場違いな台詞が口をついて出る。
「いえいえー」
にこりと少女が笑った。
少女が妖怪であることには、すぐ気が付いた。
だがそれでも友好的らしい様子を見せられれば、自然とほたるの気が緩む。
更に少女の背後から、見知った顔が現れた。
「雲雀ちゃーん!」
ほたるは思わず抱きつきにいく。
しかし、ひょいっと躱されてしまう。
懐かしの相方はやれやれと頭を振って、心底呆れた声を出す。
「頭のお花は相変わらずのようね。戦いの最中に気を抜かない! それでも巫女なの?」
「いやぁ、だって……」
ほたるは笑顔を崩すことはなかった。
雲雀がピンチに駆けつけてくれたことが本当に嬉しかったのだ。
だがそれを言うと、またもや溜息交じりに「本当に馬鹿ね」とぼやかれた。
見ようによっては、照れているように見えなくもなかった。
「二人とも、感動の再会はその辺にしといて。アイツが起きたよ」
妖怪少女が指さす方向を見る。
壁に寄りかかるようにして、文緒が立ち上がっていた。
脇腹を手で庇いながら、肩で大きく息をしている様子が見て取れる。
その口が静かに開かれた。
「アンタが……花子さんね……。なんとなく、気配で知ってはいたけど……強いわね……」
「ありがとー!」
花子さんは褒め言葉と受け取ったらしい。
さながらアイドルが観客に向けてそうするかのように両手を大きく振った。
そのさなか、ほたるが隣に立つ雲雀にこっそりと耳打ちをする。
「花子さんって、あの花子さん?」
「ええ、トイレの花子さんね。自称、校内最強」
最強と言っても、頭に校内と付くと微妙な響きに聞こえてしまい、ほたるは苦笑いを浮かべずにはいられなかった。
その上に自称が付けば更に目も当てられない。
だが、先の一撃を思い出せば、その苦笑いも凍りつく。
それからあることに、はたと気付き、ほたるは珍しく意地の悪い表情になった。
「今まで、妖怪と一緒に戦ってたの?」
「妖怪と組む方が楽だわ。気を使う必要がなくって」
雲雀の答えは毅然としたものだった。
少しは態度が軟化したものと思っての、からかい半分な台詞だったのだが、見事にやり過ごされてしまい、ほたるは不満げに「むぅ……」と口を曲げる。
次に口を開いたのは雲雀だ。
「ところであれは、あの幽霊? やっぱり裏切ったの? 雰囲気違うけれど」
「うーん……微妙に合ってるから、困るんだよね。私の中では、同じだけど違うってことになってる」
「わけわかんない。まぁ、なんでもいいけど。敵なら倒すだけだわ」
「そっちも相変わらず……」
ふいに花子さんがわざとらしく咳き込んだ。
ほたるは、はっとして雲雀から距離を取ると、戦局への集中を新たにする。
文緒の様子は辛そうなままだ。
全身から立ち昇る妖気も乱れている。
このまま畳み掛けてしまえば良さそうなものではあるが、そこはやはり彼女も危うく思っているためか、ぴゅーっと飛ぶようにして舞台の上へと移った。
舞台袖からどこかへ逃げるつもりなのか。
ほたるも、雲雀も、花子さんもそう考えて、逃がしてなるものかと走り出す。
だがしかし、彼女はゆったりとした所作で、最初と同じように演台に座り直した。
逃げないで迎え撃つつもりなのか。
だとしても、三人が足を止める理由にはならない。
文緒は弱々しく片手を挙げて、
「行け!」
と号令を下した。
誰に対してか。
今まで地獄を演じていた、女と男らの四人に対してだ。
束縛を解かれて舞台から体育館へと降りた四人。
誰も意識はなく、さながらゾンビのように血まみれの肢体、白目を向いた顔をしている。
だが動きは旧型のゾンビのように緩慢なものではなく、最新型のゾンビよろしく機敏なものだ。
花子さんに二人、雲雀に一人向かっていった。
「これで三対五よ!」
文緒が見た目の割に偉そうな台詞を吐く。
すると花子さんが、けらけらと笑いながら
「三対四でしょ。死にかけの分際で!」
と返して、男の幽霊を殴りつけた。
ほたるは、自分に襲いかかってくる女の幽霊を退けながら、文緒を窺う。
彼女の姿はだいぶ酷い有様に変貌しつつある。
できることなら今すぐにでも、彼女のところへ行きたかったが、亡霊は倒しても倒してもすぐに起き上がってくる。
ならばと、たたっ斬っても、即座に再生してまた組み付いてきた。
「時間稼ぎのつもりね」
雲雀の冷静な声が耳に届く。
それは納得の一言だった。
さっきから体に取りつくばかりで、攻撃らしい攻撃がないのである。
主が回復するまでの護衛役というわけだ。
「そういうことなら!」
ほたるは袂から呪符を取り出して、目の前の少女幽霊に貼り付けた。
するとたちまち、突風が巻き起こり、相手の体は体育館の端にまで吹っ飛ばされる。
その隙に、ほたるは前へ走り出す。
同時に、花子さんの側も二人の幽霊の首を片手でそれぞれ握って、ぐるんぐるんと振り回して放り投げてから、舞台に向かって駆け出していた。
雲雀には二人のような力はないが、それならそれで、やるべきことはわかっていた。
標的から遠く離された三体の幽霊。
しかし行動不能となったわけではないから、それぞれ二人を追いかける。
その足元に向かって、淡々と霊力の銃弾を撃ち込んでいく。
彼らは見事につんのめって、盛大に顔面を床に打ちつけることになった。
機敏さが仇となったようだ。
また起き上がれば同じことをするだけである。
ほたるの瞳は、しっかりと文緒を捉えている。
揺るぎようのないはずの姿。
スカートもシャツもボロボロで髪はぼさぼさ、至る所に血糊らしき茶色が付着している、悲惨な姿。
それが二重にぼやけて映った。
「いや、違う! 文緒が二人いる!?」
それだけでなく、艶のあるウェーブの髪に、皺はあるものの切れている部分のないスカートとシャツ、肌はきめ細やかで健康的な色をした姿、初めて現れた時の姿に戻っている。
まるっきり同じ姿をした彼女が二人、演台の上に立っていた。
既に回復を終えていた……ばかりでなく、戦いの支度まで済んでいたということなのか。
彼女は二重音声で再び、憎たらしげに幽霊共に号令をかける。
「戻りなさい。そして死に続けろ」
それに抗う術など、彼らにはない。
四人はまだまだ死ななくてはならないのだから。
何度でも、何年でも、この異界が存在する限り。
「文緒、ちゃん」
ほたるは切っ先を、ふわりと舞い降りた一人の文緒へ向けた。
悲痛な面持ちを見せたのは一瞬のことで、今ではもう使命を帯びた戦士の顔をしている。
もう一方に対しては、やはり花子さんが相見えて、
「ようやく、仇討ちされる用意ができたみたいね。わたしを独りにした代償は高いよ?」
と晴れやかな笑みを口元に貼り付けながら、黒く燃える瞳で睨み付けている。
遅れて舞台近くまでやって来た雲雀は、ほたるの側で戦うつもりだったが……。
「流石はラスボスかしら。とっても厄介だわ」
文緒がまた一人増えてしまっては肩をすくめるしかない。
広がりを見せる憎悪は、まるで底なし沼のようである。
「さぁ、アンタたちにも復讐してやるわ」
三重の声で、最終戦の幕開けが告げられた。
廃校全体を覆い尽くすだけでなく、常時その内部構造を変容させる機能を持ち、幾種かの妖怪を産みだす異界を築き上げ、なおかつ十数年もの間維持し続けるためには、相川文緒の極限状態で覚醒した類稀な才能のみならず、莫大なエネルギーを必要とすることは自明の理である。
ではそれを、どこから得ているのだろうか。
彼女は学校の建つ山から、つまり自然からエネルギーを供与されているのだ。
何故かを訊いてみても、土地が答えを寄越すことはないだろう。
大地の内側には自然の膨大な生命力が流れる、龍脈とも呼ばれる川のようなものがある。
街中でも見受けられるが、やはり山や海の方がより純粋な力となる。
これの淀みが、龍穴と呼びもする、最も大自然の力を感じやすいとされる一点だ。
その上に学校は建っている。
昔から妖怪が棲みついているのは、その所為だ。
生命力があればあるほど、生命は活性化し、なければ死に至る。
妖怪もまた生命力を存在の根幹としているのだから、龍穴から微かな余波でも得られれば長生きもできようものだ。
もっとも、高名な霊山と比べれば溜まる力も僅かなものなのだが、その時の相川文緒には充分だったようだ。
彼女のように龍脈から、土地から、大いなる力を無償で供与される者で、少なくとも人に仇為さぬならば“土地神”などと呼ばれることがある。
もしもの世界があれば、彼女もその一柱であったかもしれない。
あるいは人として、稀代の異能者として歴史に名を残したか。
その“神”と戦う三人にとって幸いなことは二つある。
一つは、当の本人には力を与えられている自覚がないという点。
異界創造すら、無我の境地において発揮しているのだから当然である。
それから、その莫大なエネルギーを、異界を維持するためだけに使うほかないという点。
異界が異界でなくなれば、文緒は消滅の一途を辿るだろう。
復讐のための世界が、彼女を生かしている。
よって相川文緒の武器は、迷宮のような異界を走破されてしまった今では、その身に宿す己の妖力だけなのである。




