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ALIVE!42歳のおっさんが、国民的アイドルになった件。  作者: 舞見ぽこ
Chapter 3:Step Up Stage

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51/51

Track.50

 十一月二日、土曜日。


 朝の空気が、先週までより少しだけ冷たかった。

 駅から事務所まで歩いているあいだ、手の甲にひやりと秋の空気が触れてきて、ああもう十一月か、と思う。


 ルクスプロダクション本社のガラス張りのビルを見上げながら、俺は首元を軽く押さえた。


 今日は——中級ボーカルレッスンの初日だ。


 先週までと同じ十階。

 同じボーカルフロア。

 違うのは、入るスタジオと、そこにいる人間だけ。


 エレベーターに乗り込んで、閉まる扉に映った自分の顔を見る。

 別に顔色が悪いわけじゃない。寝不足でもない。

 ただ、なんとなく口元が固い。


 嬉しい。

 それは間違いない。


 青木先生に「来週から中級に行け」と言われたとき、心臓が追いつかなかったくらいには。

 歌でなら前に進めている。その実感は、ダンスで何度も置いていかれてきたぶん、想像以上にでかかった。


 でも、嬉しいだけで済まないのも事実だった。


 中級。


 たった二文字なのに、なんか妙に強そうだ。


 別に修羅の国だと思っているわけじゃない。

 ただ、初級より上のクラスなんだから、そりゃできるやつが増えるんだろうし、年齢層だって上がるんだろう。

 どんな空気なのか、どんなやつがいるのか、実際に入ってみるまでわからないぶん、勝手に身構える。


(……まあ、普通に緊張するよな)


 チン、と音がして、十階に着いた。


 見慣れた廊下だ。

 初級のボーカルレッスンでも通ったフロアだから、壁も照明も、スタジオの並びももう覚えている。

 だからこそ、余計に変な感じがした。同じ場所なのに、今日は腹の底だけが落ち着かない。


 ポケットから仕事用携帯を出して、研究生用掲示板をもう一度確認する。


――――――――――――――――――

【本日のスケジュール】

 10:00〜 歌唱レッスン(中級クラス)

 場所:10F ボーカルスタジオB

――――――――――――――――――


 ……うん、知ってる。

 さっきも見た。

 でも、こういうのは見たくなるものだ。確認したところで何かが変わるわけじゃないが、確認しないと逆に落ち着かない。


 携帯をしまい、ボーカルスタジオBの前で立ち止まる。

 深呼吸をひとつしてから、扉を開けた。


 中には、すでにかなりの人数が集まっていた。


(うわ、多っ)


 ざっと見て二十人前後。初級より明らかに多い。

 しかも、小学生もいるにはいるが、そればかりじゃない。

 中学生、高校生くらいに見える子もかなり混じっている。


 ストレッチをしているやつ。

 軽く発声しているやつ。

 譜面を見返しているやつ。

 水を飲みながら談笑しているやつ。


 初級みたいにわちゃわちゃしているわけじゃない。

 でも、静まり返っているわけでもない。

 ちゃんと人がいて、ちゃんとざわめいているのに、全体に少しだけ張りつめた空気があった。


 ああ、中級ってこういう感じか、と思う。


 上手いやつが目立つ、というより、できるやつが普通にいる感じ。

 立ってるだけで「あ、こいつ場数踏んでるな」とわかるような子が、何人かいる。


 そして、その中に——俺が入る。


 うん。

 まあ、普通にビビる。


 でも、ここで壁際にそっと移動して、目立たないように小さくなっているのも違う気がした。


 俺は腹をくくって、一歩前に出る。

「一ノ瀬奏です! 本日からよろしくお願いします!」


 声が、スタジオの中へすぱんと通る。


 一瞬、空気が止まった。


(……あっ)

(やっぱちょっと声デカかった?)


 だが、今さら小さくしとけばよかったとも思わない。

 挨拶はしたほうがいい。

 そこは大人として譲れない。

 ……いや、今は十九歳なんだけども。


 数人がこっちを見る。

 新入りを見る目だ。

 へえ、という顔もあれば、誰だこいつ、みたいな顔もある。


 その中に、見覚えのありすぎる顔がひとつ混じっていた。


 朝倉(あさくら)レン。


 窓際寄りの位置に立っていたその姿を見た瞬間、やっぱりちょっと思う。


(うわ……やっぱ天使だな……)


 いや、自分でも何を言ってるんだと思う。

 でもしょうがない。

 そう見えるんだからしょうがない。


 宣材撮影の日に初めて見たときも衝撃だったが、レッスン着の自然体でこれなのか、と思うと、なんというかもう反則だ。

 白っぽいパーカーに黒のパンツ。それだけなのに、普通に絵になりすぎている。


 顔が整っている、というだけじゃない。

 そこだけ空気が澄んで見える感じがする。


 俺は2025年の朝倉レンを知っている。

 アイドルグループALIVEの絶対的エース。

 そして、のちに俳優としても怪物みたいな才能を見せる男。


 でも今、目の前にいるのはまだ中学生くらいの少年で、そのあどけなさと完成度の高さが妙に噛み合っていて、余計に現実味がない。


(同じ人間かな……)

 思わずそんなことを考えた、そのときだった。


 後ろのほうで、声が上がった。


「なあ朝倉、それ俺のなんだけど」


 そっちを見ると、レンくんの足元にスポーツドリンクのペットボトルが転がっていた。

 ラベルの派手なやつだ。


 言ったのは、明るめの髪の中学生くらいの少年だった。

 その周りに、似たような年頃の男子が三、四人いる。


 レンくんは足元を見て、それから相手を見た。


「……知らないけど」


「いや、ずっとそこにいたじゃん」

「つーか、落ちてたなら拾ってくれればいいのに」


 言い方は軽い。仲間内のノリみたいな声色だ。


 でも、耳に入った瞬間にわかる。


(あー……めんどくさいやつだ)


 レンくんの返事は短かった。

「僕のじゃないし」


「感じ悪」

 すぐに返ってきたその言葉に、周りがくすっと笑う。


 ……何だそれ、と思う。

 落ちてたものを拾わないだけで、感じ悪い認定。理屈として薄すぎるだろ。

 でも、こういう薄い理屈ほど、妙にうっとうしいのも事実だった。


 レンくんはそれ以上言い返さなかった。

 少しだけ立ち位置をずらして、自分の譜面ファイルへ手を伸ばす。


 すると今度は、別の一人が空の缶をひらひら振りながら言った。


「朝倉、ついでにこれ捨てといてよ」

「あと俺のも」

「お前どうせ今ヒマでしょ?」


(いやいやいや)


 雑すぎるだろ、その押しつけ方。


 レンくんの目が、すっと冷えた。

「自分でやれば」


「は?」

「何その言い方」

「やっぱそういうとこなんだよな」


 また笑いが起きる。


 その瞬間、腹の奥で何かがぴきっと鳴った。


(あー、もうダメだ)


 ペットボトルの時点でちょっと嫌な感じはしていた。

 でも、これはもう完全にアレだ。

 雑用を押しつけて、断ったら「感じ悪い」で悪者扱い。

 やってることが、あまりにもしょうもない。


 気づけば、足が前に出ていた。

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