第39話 砕かれた一筋の勝機
俺の拳が標的を撃ち抜き、重たい炸裂音が屋上の中心で爆ぜた。
仰向けに倒れたままピクリとも動かない大きな羆を目の当たりにすると、内臓から衝動が込み上げる。
うおぉぉぉぉぉ――――――!! ヤってやったぜ、この野郎ぉぉぉ――――――!!
歓喜の興奮が全身を駆け巡る。
「「「「………………。」」」」
驚愕の結末に、生徒会の奴らは声も出せないでいるようだ。
ふっふっふ……。ざまぁー見ろ……。
沈黙が立ち込める中、俺は無言の勝鬨を示すため鈍い感触を残す右腕をゆっくりと天へ掲げた。
さぁ、審判である覆面少女よ。このパンツマスクに勝利の宣言をするがよい。
勝者の佇まいに、はたと気づいた審判の緑岡が足早に駆け寄ってくる。
判定を意気揚々と待っていると、緑岡は予期せぬ言葉を俺に掛けた。
「パンツマスクさん。大丈夫?」
え? 何が?
覆面少女は、きょとんとする俺の頭上をおもむろに指差した。
……はぃ?
首を傾げて見上げると、
! ななな、何じゃこりゃ――――――!!
俺の右手が手首からポッキリとあり得ない方向に曲がっているではないかぁ――っ?!!
あ、痛っっったぁぁ――――――!!
視認と同時に尋常じゃない激痛が手首を襲った。
「…………ふっ……、ふはははっ……。」
大の字に寝転ぶ大男が失笑を漏らした。
「……気が動転していたとはいえ、この俺が不覚にも背中を地べたにつけられるとはな。もし土俵の上であったなら、俺は完全なる敗北を喫していた……」
自嘲気味にそう呟くと、六波羅はその大きな体躯を緩慢に揺り起こし、ゆっくりと立ち上がった。
「少々取り乱してしまったが、お陰で正気に戻ったぞ。」
顔を持ち上げた六波羅は、勇ましい正眼をこちらに向けた。
平静を取り戻したように見える大男に直視され、だらりと項垂れた右手を抱える俺は大混乱に陥った。
あの攻撃が効いてないだって?
??? why ???
何で六波羅は平然と立ち上がってるの?
何で仕掛けたほうの俺がこんな有り様になっているの?
「……パンツマスクとやらよ。何やら解せぬという顔付きだな?」
慌てる俺に、武骨な笑みを浮かべた六波羅が答えた。
「教えてやろう。俺に金的攻撃は効かぬ!
相撲をやっていた時の名残で、俺は常日頃から“まわし”を身に付けているのだっ!」
“まわし”を……、毎日だと……っ?!
洗濯を一切しないと言う、あの『まわし』をか?
じゃぁ、六波羅は洗濯しない“まわし”を365日、毎日履いているってこと?
年がら年中、芳ばしい臭いぷんぷん丸と言うことかぁぁ?!
いやぁ――――――――!! ここにも変態紳士が居たぁぁよぉぉぉ――――――――!!
六波羅はバシっと腰の付近を平手で叩き、土俵入りする関取のようなポーズを取った。
どことなく誇らしげな相貌を俺へと向ける。
「『わまし』は、裸一貫で戦う相撲取り、唯一の防具。きつく固く締め上げることにより、人体の急所である臀部を守る。
何やら小賢しい策を弄したようだが、見込みが甘かったな!
頭に被っているその小さな小さな布切れが如く、貴様の矮小な正義では、俺の正義には遠く及ばないと言うことだ。
ふははははは―――!」
くっそ―――。高らかに笑いやがって。
『見込みが甘い』だって?
制服の下に毎日“まわし”を巻いている高校生がいるなんて、そんなん見込んでいるほうが、頭おかしいわっ!!
この大男め……まともなフリして、こんな相撲の変態紳士だったなんて……。
やはり、生徒会は緑岡を凌ぐ変人奇人どもの巣窟だったのか……(T-T)
「にははははは――――――っっ。」
六波羅の声を覆う高音の笑い声が響き渡る。
「パンツマスクくん。キミ、ボクの予想以上だよっ!」
生徒会長が嬉々とした表情で声を上げた。
「さぁ、緑岡。続き、続き。早く続きの合図だよ。」
興奮する会長とは対照的に、緑岡は怪訝な声音を返した。
「……しかし、生徒会長。私の見立てでは、パンツマスクさんは、たぶん利き腕を骨折してます。このまま続行することは不可能かと……。」
「にはは。それを決めるのは、キミじゃないよ。パンツマスクくんだろ?」
会長が不適に口唇を曲げて俺へと振り向いた。
「パンツマスクくん。どうする? このまま続ける? それとも降参するかい?」
……俺の渾身の一撃は、六波羅の“まわし”に阻まれた。
お陰で……利き腕は絶命。
折れた手首の鈍痛が、暴れるように鼓動を刻んで意識を散らす。
右手首だけじゃない。
罠を仕掛けるためとはいえ、六波羅と真正面からぶつかりあった代償はとてつもなく大きかった……。
足元はふらつき、立っているのもやっとの状態。
無理を押した肉体は、もうとっくに限界を超えている……。
俺の持てる力をあらん限り振り絞り、掴んだと思った一筋の勝機――あの必殺の一撃を防がれた今、俺にはもう……、
脳裏には真っ暗な結末しか浮かばない。
このまま続けたとしても、たぶん……
……悔しいが……、降さ……ん……
「続けますっっっ!!」
生徒会長の問いに姫川が大きく声を張った。
えぇぇ? ちょ―――待って―――、姫川さーん!?
驚きの眼を小柄なJKに向けると、姫川は「降参なんて認めない」とばかりに威圧的な目付きを俺に返した。
有無を言わせない鋭く尖った瞳に、思わずたじろいでいると、
「よし! さすがパンツマスクくんだっ! ここからどんな戦いを見せてくれるのかな?」
目をキラキラ輝かせ、まるで幼女のような顔を投げてくる生徒会長。
え? 違う! 無理無理! これ以上は戦えないって!
顔を振って必死にアピールするも俺の心内など当然伝わるはずもなく、会長の言葉に合わせて皆の視線が俺に向けられる。
「ふはははは。その状態で『降参』を口にしないとは、見上げた気概だ。
ただの悪あがきか? それとも、まだ何か小賢しい策があるのか?」
そう言いながら六波羅は再び俺の正面に立ちはだかった。
「……いずれにせよ、貴様はぶっコロ……いや、叩き潰す!
紫園様の御身に気安く触れた貴様を絶対にぶっコロ……、いや、婦女子に不貞を働くような輩なぞ断じて野放しにはできぬっ!」
ひいぃっ! 今、“ぶっコロ○”って言いかけたよね? 全然正気じゃないじゃんっ! 激オコぷんぷん丸、継続中じゃん!
冷静を装う六波羅の眼光の奥には、いまだ怒りにトチ狂う鬼神の影が見え隠れしている!?
「政宗パイセン! その変態野郎を徹底的に叩き潰しちまってくださいっ!」
「そーですわ! 紫園様に仇なす輩は、断じて許すまじですわ!」
「そーだ。そーだ。」
高頭や一条院の荒げる声が飛び、周りからも降り注ぐ刺すような熱視線に、タイマンを続行しなければならない空気が色濃く充満している。
非常にマズいぞ……。『降参』するタイミングを逃したっぽい……(°▽°;)
「早く続きを」と急かす生徒会長に、躊躇の様相を孕みつつも小さく頷いた緑岡が死刑宣告とも呼べる合図を俺に下した。
「……続行、ファイッ!」
ちょっと待って……! 俺は、もう無理だって……。
「今度こそ貴様をぶっコロ……いや、貴様を叩き潰すっ!」
腰を引き一歩後退りした俺に、大きな羆は容赦なく襲い掛かって来た。
あっという間に距離を詰められ、巨腕から張り手が繰り出される。
咄嗟に顔を振ると、狂暴な風が頬を荒々しく削って行った。
直撃を免れたにも関わらずカクンっと膝が折れ、よろめき様に反対側から追撃の張り手が飛んで来た。
負傷した右腕を持ち上げて何とか防御の体勢を取るも、腕は簡単に弾き飛ばされる。
弾かれた反動で右手首は、またも激痛を爆発させた。
パンツの下で、ありとあらゆる顔のパーツが醜く歪む。
俺の苦悶などお構い無しに、次から次へと飛んでくる突っ張りに近い張り手の連打。六波羅の巨腕は止まらない。
否応なしに身体を丸めさせられ、すでに死に体の俺は防戦一方を余儀なくされた。
攻撃を受ける度、相変わらずの凄まじい威力に上半身は左右に振られ、下半身は堪えきれずに流される。
全身からは絶えず大きな悲鳴が上がる。
「おおぉっ!!」
雄叫びに近い気合いと共に発射された六波羅の喉輪が、両腕で作った防壁を強引に貫き、喉元へまともにぶち当たった。
後へ大きく仰け反った俺を透かさず巨大な影が覆った。
大羆の巨躯が正面から覆い被さるようして、俺の全体を抱え込む。
――!!
衣服の上から極太の双腕に上手をがっしりと捕らえられ、分厚い布団で簀巻きにされているかのように僅かな身動ぎさえ遮断された。
「これで終いだ! パンツマスクとやらよ。」
獰猛な笑みから呟かれた言葉に、未だかつて無いほどの悪寒が背筋を駆け抜ける。
生存本能が発する警告音に、ありったけの力で藻掻いたがビクともしない。
凶暴な抱擁から抜け出せぬまま、ぐるっと天地が逆さまにっ!
無重力の1秒後に訪れた背中を起点とする大激震。
六波羅の上手投げで、硬いコンクリートへと投げつけられた。
呼吸を強制的に止められ、視界を埋め尽くす盛大な火花が舞った。
手足が小刻みに痙攣する。
「……がはっ。」
喘ぐように息を取り戻したが、瞳孔は不規則に揺れ、精神が引き千切られる寸前になっていた。
視点の定まらない虚ろな双眼に映ったのは、圧倒的な力を有している強者の姿。
大きく膨れ上がった巨大な人影に見下ろされ、芯から身体が震え出す。
痙攣とは別の震え……大羆の肩越しに厄介なアイツが顔を覗かせる。
ああ。やっぱり、こうなるのか……。
今まで潜んでいた紫塊が待っていたとばかりに俺の心を侵食する。
あれだけ全身を廻っていた焦熱を、いとも容易く塗り潰して行く紫紺の感情。
……敵わない……
改めて実感する……
ぐうの音も出ないほどの実力の差。
わかってはいた。わかってはいたからこそ、持てる力を全て出し切って死力を尽くした。
信じられるのは、己自身の力のみ――そう信じて、立ち向かったものの……
六波羅の圧倒的な力の前に……
抗う術として日々鍛えてきた肉体も、
形振り構わず仕掛けた手段も、
“弱者”である俺の力は、……通用しなかった。
完全に打つ手無し……もう、お仕舞いだ……。
最悪の結末が頭の中を埋め尽くすと、何もない紫紺の世界にどっぷりと飲み込まれる。
暗い紫色の靄で心を完全に覆われ、身体が鉛のように重くなり、それに合わせて意識も深く沈んで行く。
またあの時と同じ……結局は繰り返すのか……
……
……
「……っ。」
……
「……って、パンツ……、……。」
……?
何かが微かに耳を打った。
「……パンツ……。」
パン……ツ?
……
「……パンツ……。」
?
……
……パンツが何だって?……
「……パンツ……。」
……いや、こんな時にパンツって言われても……。
「た……って、…………パンツ……。」
だーかーらー、パンツって何だよっ! 今は、それどころじゃ無いって……。
「立て――――――っっ!! パンツマスク――――――っ!!!」
大きな大きな叫び声が俺の鼓膜を震わせた!!




