不愛想な貴公子
その貴公子はとても上背があった。
暗い色のコートに地味な色のタイではあるが、とても目立つ容姿だ。
座っているウルからは山のようにも見える先にあるのは、不機嫌なアイスブルーの双眸。顔立ちは整っているが、甘く優しい王子様というよりも剣から削り出したような鋭く厳しい武人のような顔つきをしていて、男性らしい薄い唇は不機嫌そうに引き結ばれている。
長めの前髪を一筋残しただけで後ろに流しているので広い額がよく見えて、わずかにしかめられた眉もよく分かる。
不機嫌以外の表情を忘れたような貴公子だが、ウルとの睨み合いに飽きたのかふっと息をつく。その薄い唇から吐息が吐き出される様子は妙に艶めかしくてウルは思わず視線を逸らせた。溜息をつかれてドキドキするなど、どうかしている。
鷹の貴公子はウルを不機嫌に見遣ってなぜか少し迷った様子も見せたが、観念したように再び口を開いた。
「行くぞ」
「え?」
さっとウルの持っていたグラスを奪ったかと思えば、そのまま貴公子はウルの手を取り歩き出してしまう。彼の背丈から考えれば加減した速度で歩いているのだろうが、ウルは今にもつんのめりそうだ。ウルの様子に気付いているのかいないのか、彼はグラスをボーイに返してさらに歩いていってしまう。
「ま、待ってください!」
「うるさい」
先程しつこい伊達男から救ってくれたのが嘘のような強引さだ。
貴公子はウルを連れてあっという間に会場を抜け出して、人気のない庭園の噴水まで来てしまった。
そこでようやくウルを開放してくれたかと思えば、貴公子の方が疲れたように噴水の水を湛える水槽の縁石にどかりと座り込む。そしてぐしゃぐしゃと前髪をかきむしるので貴公子風に整えていた彼の髪が台無しだ。
「あの…」
どうしたものかと声をかけるとぎろりとアイスブルーの鷹の目がウルへと向く。それに怯んで息を呑んだものの、ウルはお腹に力を入れて鷹と対峙する。
「先程は助けていただいてありがとうございました。ですが、申し訳ありませんが私は人を待っておりますので会場へ戻らせていただきます」
ウルの口上を黙って聞いていた貴公子は、かきむしった前髪を溜息混じりにかき上げた。
「――俺以外の待ち人がいるとは驚きだな、ウル」
「え…?」
不機嫌なアイスブルーに睨まれてウルは目を瞬かせる。
ウルの知り合いにこんな立派な貴公子はいない。
けれど、ウルと呼ぶ人は限られている。
整った顔立ちの貴公子に見覚えはないが、常にどこか不機嫌なチョコレート色の髪色で。
「……テオさん?」
「何だ」
しかし返事をするのは熊でも熊男でもなく、見慣れない貴公子。
「て、ててテオさん!?」
赤くなればいいのか青くなればいいのか分からず目を回しそうなウルを見遣って、貴公子然としたチョコレート頭は深く溜息をついた。
「短い間でも一緒に暮らした人間をそんなに分からないものか?」
「だ、だって…! 髭もないし前髪は上げてあるし、それに…っ」
テオがこんなに若い青年だとは思いもしなかったのだ。
四十路などとんでもない。もしかしたら三十にもならないのではないかと思われる貴公子が熊男の中から現れるなど誰が想像できるだろうか。
ウルはほとんど泣きそうになりながらテオに詰め寄った。
「大体、いらっしゃるなら手紙の一つも寄越してください! 今日までここに来るのか心配で心配で…」
詰め寄ったウルにテオは何も言わずに手を伸ばすと、彼女の目頭に指を当てた。
瞬き一つで零れ落ちそうだった涙がテオの手袋に吸い込まれていく。
すくい上げた涙をそのままに、テオはウルを見つめる。
「お前も、算段が出来れば手紙を寄越すと言っていたくせに何の連絡も寄越さなかっただろう」
「それは…」
園遊会の準備で忙しかったということもあるが、結局手紙は書けなかった。
「……テオさん、怒っていますか?」
怒っているのか、呆れているのか。テオにどんな風に思われているのか怖くてウルはペンをとることさえ出来なかったのだ。
震えた自分の声が卑怯だな、と思いながらもウルは震えを止めることが出来なかった。
そんなウルの様子をじっと見ていたテオは、深く溜息をついたかと思うと「座れ」とウルに水槽の縁石を勧めた。大人しくウルがテオの隣に腰掛けると、彼は長い脚を組む。こうしてコートにタイを身に着けているとテオの背格好は本当によく映える。
「それで、どうして俺が怒っていると思うんだ?」
質問に質問で返すのは反則だ。けれどテオはウルの答えをじっと待つかのように噴水の前に広がる庭園を眺めている。
その横顔をどこか悔しい気持ちで見つめ、ウルも庭園に視線を移して「それは」と口を開いた。
「……私が、勝手に家を飛び出したから…」
「それから?」
続けろというテオはまだ理由を挙げさせる気らしい。やはり怒っているのだ。ウルはだんだん情けなくなっていく気分を抱えて続けた。
「……何の相談もしなかったから?」
「それで?」
ウルに問いながらテオは自分の懐を探り、煙草を取り出している。その様子をじっと見ていたウルに気付いたテオは「吸っても?」と尋ねてくる。森の屋敷では勝手に吸っていたというのにどういう風の吹き回しだろう。
「どうぞ」とウルが肯いたのを見届けてから、テオはマッチをすって煙草に火をいれた。
煙混じりに「続きをどうぞ」と言ってくるので、ウルは口を尖らせる。
「……テオさん、本当に怒ってるんですか?」
「怒っているように見えるか?」
ウルに尋ね返したテオはもはや不機嫌ですらない。煙草を吹かしているからか、のんびりと寛いでいるようにさえ見える。
「じゃあ、どうして理由を並べさせたんですか!」
「お前が言いたそうだったから」
素知らぬ顔の貴公子は、やはりテオのようだ。ウルに意地悪だ。
テオを思わず睨みつけるウルを横目で見遣っても彼は肩を竦めただけだった。
「悪いと思っているのはお互いさまだということだ」
「お互いさま…?」
ウルは怪訝に眉を寄せた。
ウルはテオに何の相談もしないで、園遊会にまで来てしまった。テオがウルのようなお節介娘に引け目を感じることなど何もない。
「お前の裏表ない性格は時々恐れ入るよ」
怪訝なウルに、テオはそう顔を少しだけ綻ばせた。柔らかく細められたまなじりや少しだけ口角の上がった口元が驚くほど優しくなる。
きっと、テオは髭の内側でこうやって微笑んでいたのだ。
そう思うとウルは目を合わせていられず思わず下を向いてしまう。
そんなウルに語りかけるようにして、テオはゆっくりと続けた。
「お前が動いてくれなければ、俺がこの場に来ることはなかった。小娘に引っ張ってもらわねば動くことさえ出来なかったのは情けない限りだが、俺はお前に感謝しなくてはならないな」
静かな言葉にウルははっと顔を上げる。
すると優し気に細められたアイスブルーの瞳がウルを見つめていた。
「ありがとう、ウル。お前の勝ちだよ」
何を勝負したわけでもないが、テオが喜んでくれたならきっと正解だったのだろう。
ウルの行動は無茶苦茶だったが、無駄ではなかった。
それが分かって、ウルはようやく微笑みを浮かべた。




