優しい分からず屋
嵐が去ったあと、この国には春がやってくる。
冬と春の境だった森にもようやく新芽の息吹が舞い込んで、小鳥の声まで軽やかに聞こえる。
ウルは今日も陽だまりに向かって物干しに洗濯物を干す。森に日の光が届くのはわずかな時間だ。
裏庭からはぱかーんと薪を割る音が響いているが、いつもよりも少し鈍い。
近ごろテオの調子が良くない。
いつものように家事をこなす彼だが、酒を飲むようになったらしい。
ウルの前では飲まない。彼は自室にこもって飲んでいるようだ。
台所に繋がる裏口には見知らぬ酒瓶は日々増えているのだ。
何か悩んでいるのかと尋ねてみたいが、元々無口なテオが近頃さらに口を閉ざしていて取り付く島もない。
彼が悩みだしたのはユーディトが帰ってからだ。
(まさか…)
不安と不審がない交ぜになったウルは薪の割る音が聞こえる方を見つめる。
まさか、そんなはずはないと思いながらもウルは夕食の席でテオに思い切って尋ねた。
「テオさん」
今日の夕食はシチューだ。夕方から牛肉の赤身などをじっくりと煮込んでいるからこってりと旨味が野菜にしみ込んでいる。
「ユーディ姉さんが好きなんですか!?」
テオは口に運ぼうとしていたスプーンをがしゃんと落としてせき込む。
これはやはり自分の予想が的中かとウルは口に手をやった。
そんなウルを人妻に横恋慕していると思われたテオはヒゲの奥から睨みつける。
「……何をどうカン違いしたのか知らないが、絶対に違うからな!」
「でも、ユーディ姉さんが帰ってからお酒を飲むようになったし…っ」
「どういう理屈か知らないが、命をかけても違う」
言葉を教え込むように言うテオに、ウルはようやく自分の予想が間違っているかもと不安になった。
「……え? 本当に違うんですか?」
「違う!」
強く言われてウルはやっとテオに尋ねた。
「では、何を悩んでいるんですか?」
今度はテオが難しい顔をして押し黙る。
それをいいことにウルは近頃の心配を口にする。
「毎晩お酒を飲む量が増えているみたいだし、たまに朝にお酒の匂いが残っているし、何だか難しい顔をしている時間もありますし…」
テオはいつも通りに過ごしているつもりらしいが彼が黙り込む時間は確実に増えた。
考え事をしているのだろうということは分かるが、ウルはそれが知りたくなってもどかしくなる。
「……お前に心配されるようなことじゃない」
そうテオは溜息をつく。そんな溜息をここ数日で何度聞いただろう。
ウルの不満顔にテオは「お前にも関係のあることだが」と短く息をつく。
「園遊会に行かない方法を考えている」
「え?」
ウルはテオの深刻そうな顔をよそに驚いた。
「なんだ、そんなことで悩んでたんですか?」
「そんなこと…?」
ウルのあっけない回答にテオは低い声で尋ね返す。だがウルは素直に返した。
「園遊会には行くべきだと思います」
「何?」
訝るテオにウルは続ける。
「ユーディ姉さんが言っていたようにお仕事に繋がるなら行った方がいいですし、何より、ラウレンツおじさまのご厚意だと思うんです」
テオは森の奥での生活を気に入っているようだが、このままでは外界との繋がりが途絶えてしまう。それは彼の望むところかもしれないが、それでは彼は本当の隠者になってしまう。
「テオさんのお年なら引退も考えてしまうかもしれませんが、少し早いと思います。あと少し、ラウレンツおじさまのお顔を立てると思って園遊会に参加してみませんか」
それがテオの将来のためになると思えば、ウルは当然行くべきだと思っていた。
だがテオは悩んでいるという。
しかし当の本人は微妙な顔だ。それに彼はウルの言葉に答えず別のことを口にした。
「……お前、俺のことをいくつだと思っているんだ」
そう問われて、そういえば尋ねたことがなかったとウルは気付く。
「えっと……四十半ばぐらいですか?」
ラウレンツの甥ということだからラウレンツより年上ということはないだろうと思ったのだ。
だがテオは大きく溜息をついた。
「甥というのはどういう間柄になる?」
「甥は…兄弟の子供で…」
ウルは答えながら自分の計算がおかしいことに気が付いてきた。
「ラウレンツ叔父は俺の父の三歳下の弟だ。そして俺は三兄弟の末っ子になる」
テオの泰然とした様子から末っ子という言葉が思い浮かびもしなかったが、テオの証言を信じるならウルの計算は更におかしい。
ラウレンツは今五十になる。だとすればテオの父は五十三。そしてテオは三兄弟の末っ子。
男子が結婚可能な年齢は十八歳だからそれから逆算してもテオはまだ三十代前半になる。ウルからすれば彼は十分な大人だが、世間的にはまだまだ働き盛りだ。
「園遊会に行きましょう! 行って、仕事をもらうんです!」
三十代前半の大人が森の奥でぶらぶらとしていては持ち腐れもいいところだ。
だがテオは頑なに「行かない」と首を横に振る。
その頑なさにウルはテオの顔をじっと見つめた。
もしかしたら髭を伸ばしていることも関係しているのかもしれない。
(とんでもなく顔が歪んでいるとか、顔に傷があるとか?)
仕事の出来不出来に顔は関係ないと思うのだが、ウルには分からない苦痛があるのだろうか。ウルだって、ガリガリに痩せて背が小さいため十八歳に見られないことを苦痛に感じるぐらいだ。容姿のハンデが精神的な問題であるのは承知しているつもりだ。
それでも、食べるためには働かなければならない。
「園遊会に行きましょうよ! テオさん」
ウルの諦めない様子に、テオは溜息を深くついてポケットから紙煙草を取り出しマッチで火をつける。そんな彼を見たことがなかったウルは思わず眉を寄せた。食事中に煙草を吸うようなことをしたことがなかったからだ。
テオは苛立ちを吐き出すように煙を吐く。
「そんなに行きたければお前が行くんだな」
苦い煙に巻かれて、ウルは鼻白んだ。
テオは本当にやる気がないのだ。
(でも)
テオの本質は真面目なはずだ。でなければ毎朝、早起きして薪を割ったり朝食を作ったりしない。勤勉な彼の情熱を奪ってしまった仕事に戻れなどと、今更ウルが口を挟めるような余地はない。
だがそれでも、ウルはテオのために何かしたいと思った。
「……分かりました」
ウルは唇を噛んで食卓を立った。
シチューはまだ少し残っていたが、居てもたってもいられなかったのだ。
ウルを見送ったテオは何も言わずに火のついた煙草の煙を深く吸い込んで、天井に向かって吐き出した。
――翌朝、ウルは朝もやが明けきらない森へと出た。
手にはトランクがある。
そっと扉を開けると、ぎぃと音が鳴ってテオが目覚めないかと心配になったが、耳を澄ませても人が追ってくる気配はない。
(ごめんなさい)
テオには手紙を残してきた。
だが、直接言えなかったのはウルに勇気がないからだ。
テオに呆れられても怒られても、裏切ったと思われても仕方ない。
それでもウルは何かせずにはいられないのだ。
ウルはまだ薄暗い森を歩きだす。
目指すのは王都。
テオが園遊会に行く気になるようユーディトに頼もうと考えたのだ。
彼の言う通り、何もしないでテオばかりに何かを強制するのはずるいと思ったからだ。
(でも)
こんな風に森の屋敷を出ていくことになると思わなかった。
望まれずに住むことになったとはいえ、屋敷では色々なことがあった。
ウルは振り返りそうになる心を留めた。
それでも浮かんでくるのはテオのことばかりだ。
二人で暮らしていたのだから当然といえば当然のことだが、どの思い出にもテオがいる。
無口で不愛想、ぶっきらぼうなくせに時々優しい髭面はウルにとって初めて会う人種だ。面倒くさがりなのにレディーファーストで、長身で紳士なのに武骨な彼はちぐはぐだというのにウルは嫌いにはなれなかった。
(ごめんなさい、テオさん)
春の薫る森の夜明けを待たず、ウルは森を出た。




