学校へ1
いつもより寝た美香子は、すっきりとした朝を迎えていた。夜中に起こされはしたが、睡眠は十分だ。
朝の用意を終えてセーラー服に着替えた美香子は、リビングに入りキッチンにいる母親に声をかける。
「おはよう」
「おはよう美香ちゃん」
テーブルに向かうと、すでにリヒトが座って食事をしていた。昨日のマントを羽織ったかっこうではなく、今日は青と白の長袖に、カーキ色のハーフズボンを着ている。母親が買ってきたのだろう。こうして普通の服を着ているリヒトは、ますます普通の子供に近付いていた。
「うまいのだ母君!」
リヒトはうまいうまいとパンやおかずをがっつきながら食べている。
「ありがとうリヒトちゃん。これも食べる?」
母親がリヒトに切ったオレンジを出した。
「食べるのだ!」
今度は嬉しそうにオレンジを食べだす。リヒトの食べっぷりに呆れながら、美香子も自分のイスに座った。
「いただきます」
パンにバターを塗り目玉焼きをのせて美香子は食べる。それを、リヒトが目をキラキラさせながら見てきた。
食べづらい。
「……半分食べる?」
美香子がリヒトに聞くと、リヒトの顔がぱあっと明るくなった。
パンを半分にして、美香子はその上に同じように半分にした目玉焼きをのせる。それをリヒトに渡してあげた。
「これもうまいのだ!」
大喜びでリヒトは食べる。しばらくリヒトの勢いよく食べる姿を見ていたが、登校の時間が迫っていることを思い出し、美香子も食べ始めた。
「美香ちゃん、パンはもう一枚食べる?」
「んーいいや。これ以上ゆっくりしてられないし」
最後の一口を食べて、美香子は手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
イスから立ち、美香子は食卓の横に置いておいた学校指定のカバンを掴む。
「いってきます」
リビングを出て、美香子は玄関に向かった。
「ちょっと待つのだ」
顔を食べカスで汚したリヒトが、慌てて美香子を追って来る。
「どこへ行くのだ」
「学校だけど」
「学校とやらへ行く前に契約の巻物を返すのだ!」
そういえば巻物を放り投げたままだったと美香子は思い出す。
「ダーメ。あれはリヒトが悪いんでしょ」
どう見ても反省していないリヒトに返せるわけがない。
「ちゃんと何が悪かったのか考えなさい。じゃ、いってきまーす」
返せと騒ぐリヒトをほったらかして美香子は家を出た。自転車置き場から自転車を取り出し、学校へと向かう。
美香子はこの春から自転車で行ける距離の高校に通っていた。電車やバスのラッシュに揉まれることもなく、軽い運動にもなるこの通学方法を美香子は気に入っていた。
気持ちの良い風に吹かれながら自転車を漕ぐ。五月の気候は自転車を漕ぐのにちょうどいい。
一時間もかからず学校に到着し、自転車を駐輪場に置いた美香子は下駄箱に行く。今日はリヒトの相手をしていて少し遅れたので、余裕はあまりない。
校庭では朝練の部活がすでに解散しており、人もまばらになっている。いつもなら部活がまだやっている間に登校しているので、もう少し急いだ方がよさそうだ。
昇降口に立っている先生に挨拶をして美香子は中に入る。下駄箱で靴を履き変え、早歩きで教室を目指した。一年生の教室は一階なので、こういう時はとても助かる。
一年生の教室がある廊下に辿り着くと、廊下に出ていた生徒達が教室に入り始めていた。とりあえず、時間に間に合ったようだ。
美香子の教室は一番奥にある。やっと教室に辿り着いた美香子は、教室のドアを開けた。
「ねえねえ。育成勇者買った?」
教室に入った途端、短めの髪を左右に結んでツインテールにした活発そうな少女が、美香子に話しかけてきた。美香子の友達のかよだ。
かよは高校に入ってから出来た友達で、運動部に所属している。かよも育成勇者を持っており、美香子はかよから育成勇者の話を聞いて買う気になったのだ。
「買った? 買った?」
興奮気味にかよが美香子に聞いてくる。
部活にはゲームをするタイプの人間はいないらしく、美香子が買う気になったことを伝えたらたいそう喜んでいた。育成勇者には友達同士で遊べる機能もあり、早く一緒に遊びたいとかよは目をランランとさせて楽しみにしていた。
「うーん、買ったは買ったんだけど……」
リヒトのことをかよに何と説明したら良いのか美香子は悩む。
正直に話して、信じてもらえるのだろうか。
「やった! さっそく一緒に遊ぼう! 今日の放課後!」
美香子が答えを出す暇もなく、かよは喜び出す。
「放課後? 部活は?」
「今日はないよ。だからいっぱい遊べるんだ! でね、実はゲームを持ってきてあるの。すぐに遊べるんだけど、美香子の家でも良い?」
かよはニコニコと笑いながらはしゃいでいる。このかよに真実を伝えるのが辛い。
「あ、あのね……」
美香子が話そうとした時、先生が教室に入って来た。
「ほら、お前ら席に付けー!」
クラスの皆が自分の席に戻り始める。
「ああ〜。先生来ちゃった。また後でね」
かよも自分の席に戻っていく。結局、美香子はリヒトのことを話せなかった。
美香子も窓側一番後ろの自分の席に向かいながら、リヒトについてかよにどう話すかを考える。
育成勇者を買ったんだけど子供が出てきた、と真実を言う。
信じてもらえる気がしない。
「きりーつ」
全員が着席すると、いつもの号令がかかった。それに合わせて全員が立つ。
美香子も考えながらそれに続く。
買ったけれど壊れていた、と嘘を吐く。
かよからゲームソフトをすぐに交換しに行こうと提案されることは間違いない。
「礼」
生徒達は一斉にお辞儀をして挨拶をした。
「おはようございます」
「はい、おはよう」
「着席」
ガタガタと音を出しながらイスに座る。座りながら美香子は決心した。
直接見てもらおう。
リヒトとゲームを見てもらって、かよに判断してもらうのだ。ゲームに詳しいかよなら、もしかしたら何か分かることがあるかもしれない。
「あー、お前ら大事な話があるからこっちに集中しろー」
ざわつく教室を先生が静かにさせる。美香子も考えるのをやめて、教壇にいる先生を見た。
「最近、学校の近辺で野犬が出るそうだ。襲われたという被害も出ている」
さっきとは別の理由で教室内がざわつきだした。
「被害は主に夜中に集中しているが、怪我人も出ているので十分注意するように。それじゃあ、出欠取るぞー」
先生が生徒の名前を読み上げ始めた。
何だか物騒な話だが、美香子は学校の近辺というのがどこまでのことなのかが気になった。もしも、野犬の出没範囲が美香子の家の近くにまでおよんでいるのだとしたら、かよとの遊ぶ約束も考え直した方がいいのでは、と廊下側に座る、斜め前のかよをちらりと見ると、かよはこちらを見て必死に首を振っていた。
きっと美香子と同じことを考えていたのだろう。かよは計画中止を思いっきり拒否している。
美香子は苦笑いしつつ、かよに頷いてみせた。遊ぶのは遅くなる前に終わりにすればいいだろう。
美香子が頷いたのを見て、かよは安心したように笑い、先生の方を見るのに戻った。
「これで終了だ。次の授業に遅れないようにしろよ」
そう言ってホームルームを終えた先生は教室から出て行った。教室はまた騒々しくなり、次の授業の用意をする者、トイレに行く者とそれぞれの行動を始めた。
美香子も授業の準備を始める。一時限目の授業は移動教室だ。
「美香子行こ〜」
かよが次の授業の道具一式を持って、美香子の席に来る。
「ちょっと待ってて」
慌てて教科書とノートを取り出し、美香子は席を立った。




