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光の届かない北棟は、開発や保存に適しているので、研究室、開発室、訓練室として使われている棟である。湿度、温度とも一定に保たれ、窓がないストレスを感じさせない。一方、南棟は、技術者、研究者、クルーの居住スペースとなっている。透明な窓は過剰な太陽光に含まれる紫外線、赤外線、宇宙線をカットし、程よい光を室内に送り込む。もちろん開放はできない。そして西の玄関からまっすぐに伸びた東棟は、幹部用の個室と数多くのシークレットルームで成り立っている。通常、東棟への通路は閉ざされていて、カードキーを持った者しか出入りができない。長年ここにいる者でも、シークレットルームに何があるのか、知る者は少ない。
ウサは北棟に入ってすぐ左手にあるエレベータに乗り込んだ。開発室は北棟の地下一階にある。上に向かって重力を感じると、すぐにエレベータは止まった。エレベータの向かいが目的の部屋である。
このフロアにある九部屋はすべて開発室である。それぞれの部屋に二、三人ずつ入り、宇宙生活に必要な物を開発している。今、ウサが着用しているこの恒温服もここで開発された。
「ねえ! ヒルさんいる?」
ウサは、開発室の扉をノックもせずに開けた。目の前には、色の白いおじさんと少し背の高い青年がコーヒーを片手に、話をしながら部屋を往復してた。
「ウサちゃん。前に部屋に入るときはノックして入ってって言ったでしょ?」
「ん、そうだっけ? あ、あのね、この恒温服の開発チームに、ヒルさん入ってたよね?」
「そうだけど?」
ウサの話を聞かない性格に慣れているのか、ヒルと呼ばれた色の白い男性は、目を細めて首を傾げた。
「これね、長時間着てると髪がペシャってなるのね。だから、改造して。」
ヒルは、コーヒーを一口口に含むと、にやりと笑った。 背の高い青年、ユウセイもくすくす笑った。
「あのね、ウサちゃん。今、人間は地上では生活できないの。移動は、遮光車か、地下通路。どうしてもって場合のために開発したんだよ。長時間着用するようには作っていないんだから」
「でも、ウサ、外で遊びたいもん」
「たとえ恒温服を着てても、日光は有害だからね」
「や、作って」
口を真一文字に結んで、ヒルの服の裾を引っ張った。頑固なウサは、こうなってしまっては一歩も引かないことをヒルは知っていた。
「はいはい。じゃ、考えておくよ。大量生産はできないよ。長時間地上にいるのを推奨するわけにはいかないからね」
「やった! ありがとう。試作品ができたら、ウサに最初に連絡ちょうだいね」
「ウサちゃん。自分でもそういうのを開発できるくらい優秀な頭脳を持ってるんでしょ? 通信なんかにいないで、開発に来たら? 歓迎するよ」
横で話を聞いていたユウセイが、にこにこしながらウサに近づいた。
「随分前にも一回誘ったよね? どうして来ないの? シャトルなんて危ないし。それに、ウサちゃんの素晴らしい能力があんまり幹部に知られると、東棟に隔離されて、ずっと研究をしなきゃいけなくなるかもよ?」
ウサは、ブスッとした表情で首を振った。
「イヤ。ウサは、コンピュータが好きだもん。開発はヒルさんにお任せなの。ウサはマサトとタカと飛びたいの!」
ウサはヒルの飲んでいたコーヒーを横から取り、飲み干してから部屋から出て行った。残されたヒルは、手渡された空になったカップをぼんやりと眺め、ため息をつく。その横で、ユウセイはウサの消えた扉を冷たい視線でじっと見つめていた。
マサトはシャトル発射場から、遮光車でアンダーグラウンドエイジアに向かっていた。横には、タカが乗っている。
「今晩、最後の身体検査っすよね?」
「ああ。いよいよ出発か──」
二日後に飛行を控えた六人は、今晩身体検査をして、明日は最後の合同訓練。そして、二日後に飛び立つのだ。そんな中、今日の訓練を終えた機関士のマサトは、副機長のタカとともに、整備の具合を見に行っていたのだった。
「クボも、俺たちが来る前までシャトル発射場に居たらしいんですよ。ここに来る前にロビーですれ違ったんすけど」
マサトは今日、北棟の訓練室で機器の整備方法の確認とシャトルの動力室のレプリカで作業訓練をしていた。訓練終了後にタカとロビーで待ち合わせしていたのでロビーに出て行ったら、丁度駐車場からクボが出てきたのだ。
「何をしていたんだろうな。俺たちが今日ここに来ることは言ってたんだから、一緒に行ったって良かったのに」
「そうっすよね? 俺もそう思って、そう言ったんすけど、言葉濁してどっか消えちゃったんすよ」
「へぇ。珍しいな」
タカは、少し背もたれを倒して伸びをした。クボの様子を特別気にするでもなく、別のことを考えていた。
「腹減ったなぁ。今日は何を食うかな──」
「今日から、ビールは駄目っすよ」
「解ってるよ。もう出発二日前だからなー。でも一杯だけ──」
「駄目です! シゲに言いますよ!」
「シゲも飲みたいはずだよ。筋トレの後は必ずビール飲んでるんだから」
マサトは溜息をついて、ウインカーを出した。左折して、アンダーグラウンドエイジアの敷地内に入る。マサトは、正門の警備の人に軽く挨拶をして、駐車棟の扉を開けてもらった。そして、右折しコンクリートの建物に入った。駐車棟には、十一台駐車できる。空いているスペースは一つしかなかった。目視で確認し終えた頃、後ろで扉の閉まる音がした。
「今日は、車の返却がみんな早いっすねー」
「お前がバッテリーを上げなきゃ、俺たちももっと早く帰れただろーが」
そういって、タカがマサトの頭を小突いた。
「だって、すぐ帰ると思って、オンにしといたんすよ。あんなに長く居た、タカが悪いんじゃ──」
「電気で走る車なんだから、バッテリーは大事にしろよな! 常識だろ」
「ひどいっすよー」
口で攻防を繰り返しながら駐車し、車外に出た。ロビーまでの連絡通路は、地下一階にある。階段を下りながら、時計を見ると十七時三十分を過ぎたところだった。
「身体検査の前に夕食が食べれそうだな。マサトも先に行くか?」
「はい。行きます。あ、その前にウサも誘っていいですか? 今朝、一緒に夕ご飯食べようって約束したんすよ」
「ああ。構わないけど──。ウサから誘われたんだろ? あいつ、年下のクルーが傍にいて嬉しいんだな、きっと」
タカはロビーの扉を開けて、マサトを先に通した。
「ここでは、俺が最年少ですもんね。つぎがウサか。どうせ女性では一番年下じゃん」
「女性ねぇ──」とタカは苦笑した。
「あーっ! マサト!」
ちょうどその時、噂の女性が北棟からロビーに入ってきた。
「あ、ウサ。これから食堂に行くけど。今大丈夫?」
「うん。大丈夫。まだ、身体検査までに時間あるよね?」
タカは腕時計を見ると、頷いた。
「ああ。十九時からだからな。まだ食べる時間はあるよ。」
「じゃあ、ウサはマサトとご飯に行って来るね」
「いや、俺も行くから」
マサトと手をつないで食堂に向かうウサに、タカは苦笑しつつも付いて行った。
出発を翌日に控えた、最後の合同訓練。
本番さながらに、離陸までの操作、行動の確認を行うのが今日の訓練だった。半日の訓練の後は、自由時間をもらっている。クルーたちは、その自由時間を心待ちにし、最後の訓練に向かった。
遮光車で、二台に分かれて発射場まで向かった。先頭を走る車には、タカ、マサト、ウサ。後ろの車には、シゲ、クボ、ヒロミが乗っていた。明日、初飛行を迎えた六人である。
後ろを走る車は、クボが運転していた。乗車してから約五分。会話も交わされずに、目的地へ向かっていた。しかしシャトルが見え始めた頃、シゲが口を開いた。
「ガニメデと言えばな──俺の親父もここで働いてたんだ」
「え? そうだったんだ。今もここにいるの?」
クボが前を向いたまま聞いた。
「いや、死んだんだ。ガニメデで事故に遭った。その話を聞いたのは、事故の一ヵ月後だったかな。どうも事故を隠していたみたいで──。遺体すら帰って来なかった」
クボもヒロミも何と声を掛けていいのか解らず、沈黙が続いた。
「過ぎたことだからな。あまり考えないことにしているんだが──。母親が親父の死のショックから立ち直れなかったのか、その半年後に死んだ時には、ここを恨んだなぁ。でも、結局俺も同じ道を歩んでる。運命かなぁ──」
「事故の詳細は聞いてないの?」
クボが、スピードを少し落としてシゲの顔を見た。特別、思いつめたような表情はしていなかった。過去のことと割り切って前向きに生きているのだろうか。
「教えてなんてくれなかったよ。もう、知りたいとも思わないしな。何、シャトルを見てちょっと思い出しただけだ。忘れてくれ」
シゲは、照れくさそうに笑って、もう一度シャトルを見た。
ヒロミは、そんなシゲの表情をじっと見ていた。
一方、前を走る車の中は騒々しかった。
「今日はね、ウサね、自由時間は電気街にお買い物に行くの。シゲがね、荷物持ちしてくれるって」
「なんだ。そういうことは、シゲじゃなくても、俺がやるっすよ」
「えー。だって、マサトって細いから重いもの持てなさそう──」
「俺だって、力あるっす! ほら、筋肉あるし!」
マサトは、長袖のシャツを捲って、肩の筋肉を出した。
「ほら、ほら! ね?」
「それくらいなら、ウサにもあるもん!」
「ウサは、女でしょ? 俺たち男の筋肉とは違うの!」
「やかましい! 狭い車で喧嘩すんな!」
タカの一声で静かになった先頭の車両は、ようやく発射場に到着した。整備班がうろうろする発射場の一角にある事務所の地下に車を停めて、今回の任務の指揮者であるマツのもとへ向かった。地球のコントロールセンターより飛行中のシャトルに指示を出したり、ガニメデ到着後の六人の行動を指揮する役割を担っている。
「ごくろう。今回の任務は、ガニメデでの滞在テスト、兼、建物建設に必要にな資料となる数値を取得して来てもらう。現在向こうにいるクルーと交代する形になる。任務内容はそれぞれ、書類で行き渡っていると思うが。シゲ、質問はないか?」
「はい、特にありません」
マツは頷くと、一呼吸おいて、手元の資料を見た。ここでは、本名の名前で呼ばれることはない。ニックネームのようなコードネームで呼ばれる。
「今回は異例なのだが、全員初飛行となるクルーで構成した。皆、優秀な成績を残したものたちだから大丈夫だろうという判断だ。まず、機長及び建築士として、シゲ」
「了解」
「続いて、副機長及び測量士として、タカ」
「了解しました」
「次に、操縦士及び地質研究者として、クボ」
「了解」
「機関士及び測量士として、マサト」
「了解っす」
「通信士及び電気技術士として、ウサ」
「了解しました」
「衛生士として、ヒロミ」
「はい、了解しました」
全員が神妙な面持ちで返事をする。マツも安心したように、力強く頷き応えた。
「明日の出発までに、緊急事態が起こらない限り、このメンバーで飛んでもらう。では、最後の訓練に向かってくれ」
部屋を出ると、ウサがめずらしく神妙な面持ちで歩いていた。ヒロミがそれに気づくと声をかけた。
「どうしたの、ウサ?」
「正式に任命されちゃったね。電気技術の腕は自信あるよ。でも、通信士として二年ここで訓練してきたけど、大丈夫かなぁ?」
「優秀なメンバーで揃えたって言ってたじゃん。大体、ここの通信科の試験を主席でクリアしたんでしょ?」
「そうだけどさぁ──」
「大丈夫だって。類まれなる優秀なメンバーが揃ってるんだから!」
ウサはエヘヘと笑って、「ウサ天才〜」と繰り返しながら、シャトルに向かった。
全員が配置についた。円形のコントロールルームにはクルーの席が六個用意されている。全員が背中向きで円の外側を向く形となり、全員の目の前にはさまざまなパネルがあった。進行方向に向かって正面がシゲ。右隣がクボ、その隣にウサ。シゲの左隣にはタカ、その隣にはマサト、その隣にヒロミが配置されていた。
コントロールセンターと通信で打ち合わせをするのは、通信士のウサ、操縦士のクボ、そして機長のシゲがメインとなる。そして、他のものは、機長の指示に従って動くことになるのだ。
『訓練、訓練。こちらコントロールセンター。機長、そちらの準備は出来たか?』
「訓練、訓練。こちらシャトル。打ち上げ準備完了。クルーも全員配置につきました。」
クボは、チェックリストを確認しながら、シゲに向かって頷いた。ウサも、通信を確認し、コントロールパネルを操作している。その時、マサトが緊迫した声を発した。
「シゲ! 本当に打ち上げ態勢に入ってるよ!」
「何だって?」
「この訓練は、エンジン点火はしないよね? でも、エンジンに点火されてる!コントロールセンターで何か操作したの?」
「コントロールセンター! こちらの機関士がエンジン点火を確認。至急確認を頼む!」
『こちらコントロールセンター。ただ今確認中。──こちらでは確認できない。発射状態に入っているのか?』
「そうだ。こちらのパネルでは、エンジン点火の表示が出ている。実際、微振動を身体で感じる。どうなってるんだ?」
背中を向けて作業していたマサトが、シゲを振り返った。その顔は、今までに見たこともないような大人の顔をしていた。
「シゲ。あと五分で発射しないと、負担が大きすぎてエンジンが爆発する。もう、エンジンを切ることが不可能だ」
「そんなことがあるのか・・・。五分って数字は・・」
「信頼できる数字です」
シゲは、隣に座るクボの顔を見た。クボはシゲの口から発せられる言葉を予想して怯えているようだった。
「このまま打ち上げをしたら、言うまでもなくお前が操縦することになる。予想外のことも起きると思うが、大丈夫だな?」
「───」
「クボ!」
「──わかりました」
シゲは勇気付けるようにクボの手を触ると、マサトを振り返った。
「マサト、発射までのリミットは?」
「あと、四分三十秒」
「ウサ、こちらの状態をコントロールセンターに送れ」
「はい」
「こちらシャトル。今、こちらのデータをコントロールセンターに送っている。発射までのリミットは四分三十秒。機関士の判断により発射することにする。そちらも、そのつもりで準備してくれ」
『こちらコントロールセンター。了解した。通信はこのまま繋いでおくように。発射後こちらから指示を出す』
「カウントダウンは?」
『こちらから、二分後に出す。それまで待機するように』
「了解」
シゲが振り返ると、五人の視線が自分に注がれていた。シゲは、通信のマイクだけを切り、クルーに語りかけた。
「故障か誤作動からかはわからないが、これから発射する。不安は大きいと思うが、冷静に行動してくれ。約二分後にはカウントダウンが始まる。それまでに現在の状況、装備品の確認など大至急するように」
機関士のマサトと通信士のウサ、衛生士のヒロミ、操縦士のクボがパネルを操作して次々に確認する。
「燃料は四タンク中二タンクが満タン。酸素も五タンク中三タンクは満タンです」
「通信に異常はありません」
「衛生用品は揃ってます。食料は約一週間分」
「──飛行プログラムはガニメデ──、に行くプログラムで設定されています」
「今日の午後に全部の装備を整える予定だったから、完璧には揃ってないか──」
シゲはため息をついてマイクのスイッチを入れた。
「こちらシャトル。現状を把握した。発射と同時に地球帰還用の飛行プログラムの変更データを送ってください」
『こちらコントロールセンター。了解した。今、変更プログラムを作成中だ。完了次第送信する。まもなくカウントダウンに入る。クルーは発射準備に入るように』
「了解」
シゲは、右隣のクボをもう一度見た。青ざめた顔はしているものの、瞳はしっかりしているように見えた。
「まもなくカウントダウンに入る。全員のイヤフォンからカウントダウンが聞こえるだろう。ベルトをしっかり締めて、心の準備をしておくように」
そして、左隣の副機長タカを見た。
「タカ、フォローを頼む」
「お互い冷静にがんばろう」
全員のイヤフォンにコントロールセンターからの音が入ってきた。
『こちらコントロールセンター。これからカウントダウンを開始する。これは訓練ではない。繰り返す。これは訓練ではない』
全員の頭の中に「訓練ではない」という言葉が繰り返される。
『こちら、コントロールセンター。カウントダウンを開始する』
...ten...nine...eight...seven...six...
...five...four...three...two...one...Ignition...Lift Off!
振動が大きくなり、窓の外には煙が見え始めた。
六人を乗せたシャトルはゆっくりと地上を離れた。




