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暗い暗い
どれくらい時間が経ったのか
紅い紅い
最後に見たのは紅い色
怖い怖い
何も見たくないの
お願い
このまま眠らせて
「ねぇ!ここって、これからブレイクする街だってね!今なら安くで来れるけどさー。その内、高くなるよ、きっと。今のうちにここに家でも買っちゃおうか?」
「別荘かー。そうだね。リゾート地としてこれから発展しそうだもんね」
旅行者の若い男女が、新しい綺麗な街の中で、楽しそうに会話をしていた。ここは、木星の衛星であるエウロパ。氷の衛星であったことなど考えられないほどに、美しく整えられていた。リゾート地であるこの街は、地球のアンダーグラウンドエイジアによって開発されていた。
そんな街の中心に建つ大きなビルの地下の一室で、眠りから醒めようとしている者がいた。
「麻酔が切れたら、目覚めますので。目覚めたら、呼んでください」
白衣を着た医師らしき女性が、軽くお辞儀をして部屋から出て行った。室内には、シゲ、タカ、そして眠っているマサトと、ウサ四人がいた。
マサトのベッドの隣には、シゲが座っていた。シャトルの爆発で作られた傷はそのままで、五十年もの月日が経ったようには思えなかった。掛けたシーツから少しはみ出して見える肩には、包帯が巻かれていた。シゲは、規則正しく上下する胸をじっと見つめていた。上下する胸に合わせて、すぐ隣に置いてある機械から電子音が規則正しいリズムで鳴っている。
「マサト──。約束通り迎えに来たよ」
シゲの言葉に反応せず、電子音だけがシゲの耳に届いていた。
マサトのベッドから五メートルほど離れた所で、ウサは眠っていた。頭には包帯が巻かれ、ネットで包帯を固定されている。顔や身体のの傷は目立たなく、包帯していること以外は、五十年前の元気に走り回っていたウサのままだった。そんなウサの手を、タカは握り締めていた。小さな声でずっと話しかけていた。
「ヒルさんから預った新しい恒温服を持って来たよ。地球を出る時にヒルさんに頼んだんでしょ? 完成していたんだ。今では、あの恒温服を着ても、地球の地上には出れないけどね。それから、ヒロミからプレゼントを預ってきてるよ。箱を開けてないから、何が入っているか解らないけどね。早く目覚めてよ。ウサの笑う顔を早く見せてよ──」
ウサの胸も規則正しく上下していた。時折、溜息のように長い息を吐いて、瞼を強く閉じたりしていた。
「ウサ──。早くここから出て、どこか遠くで暮らそうよ。俺たちのことを誰も知らない町で。四人で静かに暮らそう」
「──ん──ど、こ──で?」
「ウサっ?」
タカは立ち上がり、ウサの顔を正面から覗き込んだ。
「ウサ! 解るか? ウサっ!」
ウサは瞳を開けたが、焦点が合っていないようだった。濃い紫色の瞳が、宙を彷徨う。
「タ、カ──どこ──?」
掠れた声で、視線を彷徨わせた。よく見ると、左目の色が右目より少し薄くなっていた。
「ウサ? ここだ。ここにいる!」
ウサの手をタカの頬に当てた。ウサは自分の手の方角をじっと見つめていた。
「──あれ? ──なんか──変──?」
タカは、コールスイッチを押して医師を呼んだ。間もなく、医師は部屋に入ってきた。
「ウサが目覚めたんですが、俺が見えないみたいで──」
医師は軽く頷くと、瞳にペンライトを当て左右に振った。脳波を測定しているモニタをチェックして、脈拍を測った。一通りチェックすると、タカをウサから少し離れた所に呼んだ。
「爆発に巻き込まれたって言ってたわよね? 左目、少し色が薄いでしょ? 視力を失ってるわ。今の医療なら、見えるようにすることも可能だけど。右目は大丈夫。時間が経てば、視力は戻るはずよ。体調が整ったら、左目をどうするか考えましょう」
ウサには聞こえないように、小さな声でタカに話した。タカは、思いもよらない後遺症を抱えたウサを、黙って見つめていた。
「先生。マサトも目覚めました」
シゲは、マサトが起き上がろうとするのを手伝っていた。
「──何年、経った?」
マサトは、周りの風景を見ながら掠れた声で聞いた。目の前にいるシゲもタカもウサも、表面上は何も変わらないので、時間の経過がわからなかった。
「五十年だ。半世紀も過ぎちまった」
シゲは、静かにはっきりと伝えた。
「え? ねぇ、シゲ! 今の声、シゲでしょ? 今、何て言った?」
ウサは、近くに来たタカにしがみ付きながら起き上がって、声のする方に顔を向けた。
「ウサ、──僕たちは冷凍保存されたんだ」
「う、そ──でしょ?」
「ウサ。本当だよ。ここはエウロパ。ウサはシャトルの発射事故の後──」
「覚えてるよ! 昨日のことでしょ? エウロパに着陸して、ウサとマサトがシャトルに残って──爆発したの。覚えてるもん!」
目を擦りながら、ウサは大きな声を出した。涙を拭こうとしているのか、視力を戻そうとマッサージしているようにも見えた。
「嘘だもん。そんなに時間進んでないもん」
「本当だよ、ウサ。俺達、爆発に巻き込まれただろ? 地球に帰る体力が残ってなかったから、このエウロパで冷凍保存されたんだ」
隣のベッドからマサトがウサに話しかけた。
「タカもシゲも──年寄りなの? そんな声に聞こえないよ」
「俺たちも、地球で冷凍保存されてたんだ」
タカは、まだ目を擦り続けるウサを抱きしめた。
「ウサと、マサトを迎えに来るために、また一緒に暮らせるように、俺たちも冷凍保存で眠っていたんだ」
「ヒロミは? クボは? 皆も一緒?どこにいるの?」
シゲは、タカに向かって首を振った。一気に伝えるのは、過酷だとでも言いたかったのだろう。タカは頷いて、「また今度ゆっくり話そう」と言って、ウサをベッドに横たわらせた。
「誰か嘘だって言ってよ──」
ウサはシーツを被って、小さく丸まってしまった。
「嘘だもん! 信じないもん!」
二日後。右目の視力が戻ったウサは、鏡の前で時間を過ごすことが多くなった。リハビリで歩行訓練を終えると、部屋に戻って鏡の前でじっと自分の顔を眺めていた。
「ウサ? 昼食の時間だよ。食堂に行こう?」
マサトが、声を掛けても、黙って首を横に振るだけで、食堂に顔を出すことはなかった。タカとシゲが部屋に来ると、ベッドに潜り込み、会話もままならない状態だった。
しかし、その日の夕方。タカがウサとマサトの部屋に来ると、ウサは一人で鏡の前でじっとしていた。
「ウサ? 食事をしないと駄目だよ?」
ウサはその声が聞こえないように、身動きもせず鏡の中の自分を見つめていた。
「ウサ?」
「ヒロミは? クボは? どうして会いに来ないの?」
「ヒロミとクボは──ここにはいないよ。二人は冷凍保存にならなかったんだ。二人共は高齢だから、地球でウサが帰ってくるのを待ってるよ」
ウサは、見えない左目を擦り、右目を閉じた。
「──ねぇ、どうしてウサを冷凍保存したの? ウサは、あの時代に──あの地球で生きていたいのに──」
「あのままだったら、ウサもマサトも死んでいたんだ──」
「──そりゃ、またタカと暮らせるのは嬉しいけど──」
ウサは両目を開けて、鏡に映るタカを見つめた。
「ウサは、あの時代に生きていたの。あの時の地球に色々残してきたんだよ。戻りたいよ。やりたいこと一杯あるんだもん。友達も、宝物も沢山置いてきちゃったじゃん!」
「──ウサ──」
「やっと、ウサの居場所を見つけたのに! タカがウサをアングラに連れてきてくれて、ずっとここで生きて行こうって思ってたのに!」
「──」
「時間がこんなに過ぎたのに、どうして私はこのままなのっ?」
大きな瞳を見開いたまま、叫ぶようにウサは言った。「戻りたいよ」と繰り返し、大きな瞳から大粒の涙がいくつも零れた。
「ごめん──ウサ──本当にごめん──」
タカは、掛ける言葉を見つけられなくて、項垂れて部屋を出て行った。
扉が閉まる音がすると、ウサは鏡を強く殴って粉々に砕いてしまった。握り締めた拳から、血が滲み出てきた。
大きな音に気づいて、タカが部屋に戻ってきた。
「ウサっ!」
ガラスの欠片の中に手を付いているウサを見て、近くにあったタオルで傷口を強く縛った。
「──そうだ。ヒロミから預った物をそこに置いてあるんだ。今、先生を呼んでくるから、治療が済んだら開けてみて──」
タカは、ウサを割れた鏡から離して、ベッドに座らせた。
タカが部屋から出て行くと、ウサは部屋の隅に置いてある箱を開けた。中には、黒いノート型のパソコンが入っていた。形だけ見て旧式と解る。二十一世紀初期の形だった。パソコンの上に、ヒロミからのメッセージが一枚乗っていた。
『ウサへ。
これを開く時は、ウサが目覚めた時だよね。
きっとエウロパは、私たちが着陸した時からは考えられないくらいに発展して、そして私は、お婆ちゃんになっていることでしょう。生きてるかな? 生きてるといいな。もう一度、ウサに会いたいもの。
ウサが怪我をして、マサトと一緒にエウロパに残すのを決めた時は、本当に辛かったの。どうしても一緒に地球に戻りたかった。でも、ウサを助けたかったの。だから、エウロパに残すことにしたのよ。タカやシゲを怒らないでね。決して安易に決めたわけではないのよ。確かに短い時間で決断しなければいけなかったけど、最善を尽くしたつもりよ。
同封してあるもの。きっとウサなら一目で解るよね?二十一世紀に普及していたノートパソコンです。研究室のヒルさんがね、骨董品屋で見つけてきたの。動かないやつだけど、ウサにあげたいって。「きっと、ウサの好きなデザインだから。目覚めたら渡して」って頼まれたの。インテリアとして飾ってもいいけど、きっとウサなら使えるように改良しちゃうでしょ? 好きなように使ってね。
それから、私からのプレゼントも入れておきます。ウサの部屋にあった地球の石。それから、シャトルの前で六人で撮った写真です。
自分が冷凍保存になったなんて、きっと驚いて動揺していると思うけど、ウサなら新しい時代でも生きていけるよ。シゲも、タカも、マサトも一緒だしね。
アンダーグラウンドエイジアなんかに縛られないで、ウサの思うように自由に生きてね。
追伸 おばあちゃんになった私を見て笑わないでよね。
二一二五年五月 ヒロミより』
涙で文字が霞んで見えた。自分が冷凍保存になったのだということを、認識しなくてはいけない。どんなに耳を塞いでも時間は戻らないのだ。
手首で涙を拭って、箱の中の物を出した。
ノートパソコンは奥行十五〇ミリ、横二五〇ミリ、厚み十五ミリくらいの大きさで、電源ボタンを押しても反応しなかった。画面に紙が貼られており、黒いペンで大きく「ウサちゃんへ。こういうの好きでしょ? ヒルより」と書かれていた。思わず笑みが零れる。ヒルの素っ気無い感じが溢れていた。今にも、目の前に現れて、「改造手伝おうか?」と言ってきそうである。しかし、五十年もの時が過ぎたのだ。ヒルもきっと生きてはいないだろう。パソコンを胸に抱きしめて、ヒルの姿を思い描いた。
箱を覗くと、更に下の方に、丸い石が三つあった。自分の部屋の机の上に飾ってあった地球の石である。外で遊んでいた時に偶然見つけた丸い石。コンクリートで舗装されている地球上では珍しい石。それも、綺麗な形だったので、嬉しくて持って帰ったのだった。
そして、色あせた写真が出てきた。初めてのシャトルの訓練の前にシャトルの前で撮った写真。そこでは、六人が笑顔で写っていた。この半年後には、後ろに写っているシャトルで事故に遭い、人生が大きく変わるのである。そんなことは知りもしない過去の自分が、屈託のない笑顔で写っていた。
ウサは、写真を胸のポケットに入れ、パソコンと石と箱に戻した。そして、医師とタカが来る前に、部屋を出た。




