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マサトは、ビルの屋上でエウロパの街を眺めていた。今、自分のいる環境が信じられなかった。マサトが生まれた頃は、人間は地球以外に住む場所はなく、地球上もあんなに灼熱地獄ではなかった。それもそうだろう。自分の生まれた年から数えると、百十六年も経過したことになる。姿は二十歳代のまま時間だけが過ぎていった。
さすがに二度目ともなると、冷凍保存から目覚めた時のショックは小さかった。いや、一緒に冷凍保存された仲間がいたからだろうか。環境は変わっても、一緒に過ごす仲間が変わらないというのは、それだけでも大きな救いになる。
部屋に残してきたウサのことが気になった。事故にあって、気が付いたら五十年も経過していたなんて、確かに信じられないだろう。環境が時間の経過を物語っても、それを受け入れるには時間がかかるのは解る。冷凍保存されたと解っていても、抵抗があることなのだ。ウサは冷凍保存を承諾したわけではなかったのだから。気が付いたら五十年も経過していたなんて、可哀想な運命を背負わせてしまった。しかしウサは今、一生懸命現実と向き合っている。何とかして、ウサに笑顔を戻してあげたかった。
丁度その時、ウサが屋上に顔を出した。
「マサト。ここにいたんだ?」
ウサは、ゆっくりとマサトに近づいた。すぐ隣に立つと、胸のポケットから一枚の写真と取り出した。
「見て。昨日のように覚えているのに、こんなに写真が色褪せてるの」
ウサから写真を受け取って、写真に写る六人を見た。遠い過去の自分。そして、今ここにいる自分。自分の中の時間は止まったまま、周りの時間が過ぎていったのだと強く実感した。
「これ、どこから?」
「ヒロミが、ウサにプレゼントを用意してくれていたの。ヒルさんから骨董品のパソコンと、ヒロミが、この写真と、ウサの宝物を保管してくれてた」
マサトの手から、写真を奪うと、また胸のポケットに戻した。
「ねぇ──マサトは、冷凍保存で二度も命を救われてるでしょ? 嬉しい?」
「嬉しいっていう感情はないけど──。そうだなぁ。今回に関しては、救われたよ。ウサもシゲもタカも一緒だから」
「そっか──」
ウサは、ペタンとコンクリートの上に座って、コロニーの天井を見上げた。
「変わったね。地球もいっぱい変わってるんだよ、きっと。ウサは何も変わらないのに。こんなことってあるんだね」
そのまま寝転がって、仰向けになった。
「ウサね。地球に戻る。ヒロミに会うの。自然の時間の流れの中で生きてきたヒロミとお話する。クボのことも聞きたい」
「そうだね。みんなで帰ろう。でもその前に、ウサは──」
「ウサ! どうして部屋で待ってなかったんだ?」
タカが医師を連れて、屋上に上がってきた。
「あの箱開けたの。写真が入ってて──。マサトに見せたかったから」
「血は止まったの?」
駆け寄って、赤くなったタオルを外した。
「ほら。まだ血が出てるじゃん。治療しなきゃ」
マサトもウサの手を覗き込んだ。
「部屋に戻ろう。ウサの左目のことも話さなきゃ」
マサトはウサの手にタオルを巻きなおした。タカがウサを抱えて、階段へ向かう。
「左目──」
ウサはベッドの上でぽつりと呟きながら、見えない左目だけを開けて右目を閉じた。薄い紫色の瞳がぼんやりと宙を見つめる。そして、ゆっくりと笑った。
「ウサ。左目の手術のことだけど──」
「受けない」
綺麗に包帯を巻かれた右手を見つめて、はっきりと答えた。
「だって、見えないんでしょ?」
マサトが隣のベッドから、駆け寄ってきた。
「うん。目の前にあるものは見えないよ」
「じゃぁ、どうして? 生活したり、コンピューター使うのに、両目がないと不便だろ?」
「いいの」
シゲとタカとマサトの三人の説得にも、「受けない」の一点張りで、頑なに首を横に振っていた。
「あのね。左目でしか見えない物があるの。だから、左目はこのままがいい」
そう言って、右目を閉じると、焦点の合わない左目だけを開けて、にっこり笑った。
「この左目、気に入ったの」
三人は、それ以上は何も言わず、穏やかに笑うウサを見つめていた。決して奇妙な微笑みではなく、本当に左目で何かを見ているように、やさしく微笑んでいた。
ウサは右目を開けて、タカを見つめた。
「ねぇ? 早く地球に帰ろうよ」
「──ウサ?」
「ごめんね、タカ。心配かけて。時間が止まってたのはウサだけじゃないもんね。ウサはどの時代に生きててもウサだもん」
「──うん」
「一度地球に帰って、過去にサヨナラしてくる」
「そう──。そうだね。明日にでも帰ろう。ヒロミも待ってるし──」
シゲとマサトが頷くのを見ると、タカは「手配しておくよ」と立ち上がった。そして部屋の隅にある大きなダンボールをそばに引き寄せた。
「ウサ。もう一つ渡すものがあるんだ。俺がヒルさんから預ってたんだけど」
そう言いながら、ダンボールを開けた。中には、オレンジ色の服が入っていた。
「お願いしていた、新しい恒温服。もう地球上で使うことはできないだろうけど。「ウサに渡してくれ」ってヒルさんに言われた」
ウサは、俯いて恒温服を直視しなかった。小刻みに首を振って、手を口元に当てている。
「会いたいよ──。ヒルさんに、もう一度会いたい──」
もう叶わないであろう願いを、ウサは何度も口にした。
「ヒルさん──アリガトウ」
左目だけを開けて、遠くを見つめていた。そこに、ヒルさんがいるかのように。
地球に帰還する四人の目の前に、五十年前とは大きく形の変わったシャトルが目の前にあった。
「これ──シャトル? これ飛ぶの?」
ウサは、何度もシャトルの周りをくるくる歩きながら、シャトルのボディをコツコツ叩いていた。
「こんなに小さいの? これで、地球まで何日かかるの?」
アンダーグラウンドエイジアの職員が、にっこり微笑んで答えた。
「約二時間半で地球に着きますよ」
「二時間半! そんなに早いの?」
マサトとウサが声を合わせて驚いた。シゲもタカも地球から同じタイプのシャトルに乗ってきたので、もちろん驚きはしなかった。
「あっという間に着くよ。ワープしているワケではないんだけどね。この数十年で一気に進化したらしいんだ」
シゲは、シャトルの扉を開いてステップを引っ張り出した。最初に中に乗り込んで、上から手を伸ばした。
「ウサ。おいで」
「んっ」
ウサはシゲの手を掴んで、ステップに足を掛けた。シゲが、腕を持ち上げて、ウサを軽々とシャトル内に入れた。
「おおぉ!」
室内は、ホテルの一室のような作りで、地球〜木星衛星間を移動するシャトルには見えなかった。
「豪華―っ!すごいねぇ。すごぉい!」
ウサは、フカフカのソファの上でスプリングの強度を確かめるように、ピョコピョコ上下に動いた。
「俺の生まれた時代からは、全く考えられない世界だなぁ」
ゆとりのある椅子に腰掛けたマサトは、シートベルトを腰に巻きつけながら言った。
「二時間半なんて言わずに、もっと乗っていたいシャトルだね」
ウサは「うんっ!」と頷いて、マサトの隣の椅子に座った。マサトがシートベルトを引っ張り出して、ウサを固定した。
「タカー。旅行みたいだね。すごいね」
上を見ると、ウサの座っている背もたれの上にタカが顔を出していた。
「そうだね──」
ウサが心から楽しんでいる様子を見て、タカとシゲは顔を見合わせて笑った。地球に帰ってからも「過去にしたくない過去」や、「現実として認めたくない事」が沢山あるだろう。しかし、ウサには前に進んで欲しいのだ。新しい世界で暮らしていかなければならない。この生活に興味を持ち、冷凍保存になったことを忘れるくらいに、楽しく過ごして欲しかった。
そして、それはもちろん自分に対しても言えることだった。自分たちも冷凍保存された身なのだ。自分で決めたこととはいえ、まだ現状を認識しきれない部分もある。しかし、今を生きなくてはいけないのだ。過去に囚われても時間は過ぎてゆくものなのだ。
「出発しますよ」
前方から声がする。エンジン音が聞こえ、窓の外の風景が動き出した。
「あまり、外をじっと見ていると、気分が悪くなりますよ。ものすごい速さで、風景が流れますからね」
パイロットがそう言っても、ウサは窓をじっと見つめていた。
「すごいね。外に何があるのかわかんないよ。すんごい速いよ!」
タカは、「酔いそう」と言いながら、目を閉じている。シゲも「耳が痛いなぁ」などと言いながら、マサトにちょっかい出していた。
結局、シャトルのスピードに慣れないまま、青い地球が見えてきた。
「地球って、灼熱になっても青いんだね」
みるみる近づく地球を四人は思い思いに見ていた。
「ただいま」
ウサの言葉が、タカ、シゲ、マサトの心に浸透していった。
「マサト! ウサ! おかえりなさい」
年老いた女性が、シャトルから降りている四人に近づいた。タカとシゲは、挨拶をして、管理棟に向かった。マサトとウサは立ち止まり近づいてくる老人を見つめていた。
「──ヒロミ?」
「ああ。ウサ。そんな表情しないで。ヒロミだよ。いいなぁ。みんなは変わってなくて──」
ウサは、ヒロミの手を握った。
「ヒロミ──ただいま。プレゼントもらったよ。ありがとう──」
「プレゼント? えっと何だっけ?」
「写真と、石と、パソコン」
「ああ。うんうん。そうだ。そんなものを、箱に詰めた記憶があるなぁ。だって、五十年くらい前のことよ。私がこっちに戻ってきて、すぐに詰めたから」
ヒロミは、マサトの方を見て微笑んだ。
「二度目の冷凍保存。お疲れ様でした」
「──ああ。二度目でも慣れないものだな、新しい世界には。驚きっぱなしだよ」
そう言って、空を見上げた。太陽光を遮断する大きな透明の天井が見えた。他の星同様、地球もコロニー内で暮らすようになったようだ。特別な服を着なくても、地球上を歩けるようになったのだった。
「クボも中で待ってるわ。マサトとウサに会いたがってるのよ。元気な二人に会いたいみたい。まだ、罪の意識が消えないようでね。あれから、クボ──変わったわ」
「困ったものよ」とでも言いたげに、首を振った。三人が管理棟の中に入ると、タカとシゲ、そしてクボが待っていた。
「お帰り。マサト、ウサ──」
シゲに右側から支えられながら、クボはマサトに近づいた。マサトの顔を見て、皺の深い顔をくしゃくしゃにした。
「本当に──何と言ったらいいのか──」
「クボ──俺たちは、元気に帰ってきた。それだけでいいじゃないか」
シゲが、クボの背中をぽんぽんと叩きながら言った。ウサも近づいてきて、左側からクボを支えた。
「ウサね、また皆と暮らしたいの。ね? 楽しく暮らしたいの!」
「ウサ、ごめんね。私たち、もうここでは暮らしていないの。ここの南棟を出て、普通のマンションで暮らしているのよ。あんまりここに来ることはないのよ。だから、ウサたちが遊びに来てね」
「うん」
「今まで、一緒に過ごせなかった時間を取り戻そう。遊びに行くよ」
マサトが言ったその言葉を、クボとヒロミは噛み締めていた。交わることのない五十年の時間を振り返る。
決して戻ることのない時間。
取り戻せることのない時間。
解ってはいても、取り戻せると信じていたかった。
六人だけの、再会を祝うパーティを開き、全員で記念写真を撮った。その写真は、二人の老人と、四人の若者が写っていた。
そして、その日以降、六人が集まることはなかった。
アンダーグラウンドエイジアと、クボに別れを告げて、地球を離れることにした。荷物をまとめて、シゲ、タカ、マサト、ウサの四人は火星行きのシャトルに乗ることにした。
しかしウサが、最後にヒロミの墓に行くと言い出した。
四人でヒロミの墓の前に立つ。
四人の中では、ついこの間まで同じ時間を生きていたヒロミ。そんなヒロミが、今は天寿を全うして土の下に眠る。
不思議だった。
理解はしていても、不思議という感情は消えなかった。
「ヒロミとウサ。どっちが倖せ?」
小さな花をヒロミの墓の前に置き、ウサは誰にというでもなく問いかけた。
それは、共に生きる三人に問いかけたのか。
それとも、土の下のヒロミに問いかけたのか。
マサトは自分に置き換えて考えてみた。
──ヒロミとマサト。どっちが倖せ?
二度も冷凍保存され命拾いしたものの、人の手で歪められた時間の中で生きたマサト。
反対に、古来からの自然の摂理のままの時間を過ごし生命の火を燃やし尽くしたヒロミ。
答えはないのかもしれない。
一つだけいえるとしたら、それは──
「倖せかは解らないけど、ヒロミが少しだけ羨ましいかな──」
ヒロミが笑った気がした。




