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冷凍保存当日。シゲとタカは、共に東棟に初めて足を踏み入れた。指示された部屋は、東棟地下五階、一番地下のフロアの一室だった。部屋には、シュウ老人がとクボ、ヒロミが待っていた。
「ここには、三機の保存器がある。そのうちの二機を使って君たちを保存する。解凍時期は今は限定しない。エウロパの開発が完了して、マサトとウサを解凍できるようになったら、まず地球でお前たち二人を解凍し、エウロパに送ろう。そこで、マサトとウサの解凍に立ち会ってくれ」
シュウ老人はそれだけ言うと、黙って作業を始めた。保存器の扉を開け、機器の状態をチェックする。その作業を眺めながら、部屋の隅にある無機質な椅子に四人は腰掛けた。
「クボ。この間、ユウセイに会ってきた」
タカは、唐突にそれだけ言うと、床を見つめた。クボが驚いて自分を見ているのを感覚で感じた。しかし、それ以上タカは何も言えなかった。
「全部聞いたんだね。僕には、このままここで生きて、タカたちを目覚めさせる権利なんてないんだ。そう、生きてる権利すらないんだ。やっぱり僕──」
「いや。逆だよ。必死になって俺たちを守ろうとしてくれたじゃないか」
「でも! きっかけは僕が作ったんだ! あの脳に送られてくる電波に耐えられなかった!」
ヒロミは、オロオロしながらタカとクボを見つめていた。シゲも口をはさむタイミングを見計らっているようだった。シゲは、タカがユウセイに会いに行くという話を聞いてから、一度も会っていなかったのである。ユウセイと何を話したのかを聞きたいと思っていた。
「タカ。ユウセイと何を話して来たんだ? あれから、お前は部屋に篭りっ放しで──」
タカは黙って首を振った。
「タカ──僕が話すよ。僕がもっと早く話すべきだったんだ。でも、できなかった。あの場で信用されなくなるのが怖かったんだ。絶対に、みんなを地球に返さなきゃって、それだけを思ってた」
「どういうことなの?解るように説明してよ」
困惑した表情のまま。ヒロミがクボに問い掛けた。
「あのシャトルの事故は、僕が仕掛けたんだ──」
「何だって?」
ヒロミよりも早く、シゲが大声を出した。ヒロミも「えっ?」と口を押さえ、クボを見つめたまま動かない。
「ユウセイに、冷凍保存の話を聞かされだんた。今回のシャトルに乗るメンバーのうちの何人かが、知的財産保存の目的で、冷凍保存されるって。冷凍保存されることは辛いことなんだって、そう言ってた。眠らされて、何十年後の環境のまったく違う、知らない世界で目覚めさせられるっていうんだ。一体誰が冷凍保存の対象者なのかは聞かなかったけど、それは可哀想なことだと思った。そして、冷凍保存を声高に反対すると殺されるって言ってた。だから、皆を冷凍保存から救う方法は、シャトルを事故に遭わせて──」
そこで、口を固く結び手を強く握り締めた。
「発射予定の二日前に、シャトルのプログラムを変更したんだ。コントロールセンターのプログラムの変更は、ユウセイが手配したらしい。でも、プログラムを変更し終わってから、目が覚めたんだ。僕のやっていたことは間違っていたって。こんな事が冷凍保存者を救ったことにはならないってね。だから、最終訓練の直前にプログラムを破壊して、正常に戻そうと思ったんだ。
プログラムを変更し終えてロビーで休んでいた時に、ユウセイが僕の前に現れたんだ。僕は、プログラムを正常に戻すとユウセイに伝えたんだ。そしたら──そんなことはさせないって──脳に電波を送る機械を、僕に埋め込んだんだ──」
「どうしてそんな──。いくら可哀想だからって──下手したら私たち死んでいたのよ!」
「わかってる! 馬鹿なことをしたって後で気がついたよ! でも、話を聞いたときは、冷凍保存にさせちゃいけないって思ったんだ。誰が対象者かは解らなかったけど、その時にマサトとウサのことを思い出したんだ。
あんなに楽しそうに過ごしているあいつらが、全然知る人のいない世界で暮らすことになったら──って。タカたちが死んだ後の世界で、このアングラに技術提供、監修をするためだけに生き続けていかなくてはいけないなんて。可哀想だと思ったんだ──」
「でもクボは必死に俺たちを助けようとした」
タカは顔を上げて保存器を見つめた。準備はほぼ完了しているようだった。そのまま視線をクボに動かして言った。
「電波に脳を犯されながらも、必死に抵抗してたんだろ? 結局はイオ行きのプログラムを作ってしまったけど。必要以上にプログラムの入力に時間が掛かって、最後に気絶するまで抵抗してた。最後に言った言葉はクボ自身の言葉だったんだろ?」
「最後の言葉?」
そう聞いたのはヒロミだった。
「倒れる直前、「マサト、頼む」って言ったよな」
クボは力なく頷いた。
「クボ、僕はまだクボを信じれるよ。ここに残って僕たちを目覚めさせてくれ」
シゲはそう言って立ち上がった。ゆっくりと扉側に設置されている保存器に向かって進んだ。
「お前が、僕たちの眠りを見守っててくれ」
ゆっくりと立ち上がったクボは、シゲをまっすぐに見据えて、今度は力強く頷いた。
「冷凍保存には反対だけど、今回は四人一緒だ。僕たちが必ず四人を同時に起こすよ。約束する」
タカも立ち上がって、中央の保存器の前に向かって歩いた。
「さて、長い眠りに入りますか」
「タカ、もう一つ聞いておきたいんだが」
シゲは、タカに近づいた。
「ユウセイのところで聞いた話は、それだけか?」
タカは表情を変えずに一時黙った。脳裏に、シゲの姿にそっくりなユウジがシュウ老人にビルから突き落とされる映像が浮かんだ。口を開いて伝えようかと、喉元まで出掛ったが、飲み込んだ。知らない方がいいこともある。遠い過去の話なのだ。ユウジを殺した張本人がここにいるが、老人だ。どの道、あまり長くはないだろう。今、シゲに伝えても混乱させるだけだと考えた。俺たちの冷凍保存はクボとヒロミが守ってくれる。今はそれ以上考えたくなかった。開いた唇を一度閉じ、別の言葉を発した。
「それだけだよ。あとは何も聞いてない」
シゲは、タカの胸に頭を凭せた。
「オヤスミ、タカ」
タカは、シゲの肩に手を置いた。いつも冷静な判断で皆を引っ張ってきたシゲが小さく震えていた。
「──オヤスミ──」
シゲは俯いたまま離れると、自分の保存器の中に入った。ずっと黙っていたシュウ老人が近づいて、シゲの身体に数本のコードを付け、口にチューブを咥えさせた。
そして、ゆっくりと扉が閉じられた。
ほんの一週間前、共に地球に帰ろうと、一緒に頑張ったシゲが保存器の中で身動き一つ取らずに立っていた。頭と腰を保存器に固定され、動けないのだが、それだけではなかった。何かを諦めたような少し沈んだ静かな表情で、じっとしていた。
ヒロミは、唇を噛んで瞬きもせずに見つめていた。シャトルの中で動き回るシゲ。エウロパの基地の中で、現実と向き合いながら判断を下したシゲ。上半身裸で、食堂でごはんをかき込むシゲ。色々思い出しているうちに、涙でシゲがぼやけてきた。手の甲で涙を拭った時に、既にモーター音が鳴っていることに気がついた。シゲの口につながっているチューブが白くなり、開いていた目が閉じられた。麻酔が掛けられたのだ。程なく、保存器自体も白くなり始めた。
シュウ老人は、タカに近づいた。タカは、保存器の中に入り、シュウ老人がそばに来るのを待った。
「ガニメデでの真相。ユウセイに聞きました」
小さな声でつぶやくと、シュウ老人の手が止まった。
「見ていたものがいたのか。何故、シゲに言わなかった?」
「過去の話です。今、シゲに伝えてどうなります?俺たちは、マサトとウサを迎えに行くために冷凍保存されるんだ。今はそれしか考えたくないんでね」
シュウ老人は一度視線を下に逸らし、深く息を吸ってから黙って作業を続けた。タカもそのまま黙ってされるがままになっている。
準備が完了し、扉に手を掛けた。シゲの保存器の前にいたクボとヒロミが駆け寄ってきた。
「タカっ!」
「あとはよろしく」
タカは口からチューブを外すと、二人にゆっくりと頭を下げた。
「──タカ──」
言葉を失くした二人が、そのままタカを静かに見つめた。タカは、頭をあげるとシュウ老人に視線を動かした。手を止めていたシュウ老人が、透明な扉を閉めた。鍵の閉まる音が異様に大きく響いた。
タカはにっこり笑って「おやすみ」と口を動かした。チューブを再び咥え直し、シュウ老人に向かって頷いた。
カチッというスイッチの音の後に続く、低いモーター音。これから何十年と響き続けることになる。目覚めるまで響き続けるその音。
ちょっと前までは考えられなかったことに巻き込まれ、動揺する間もなく、振り回された一週間。ヒロミは眠る二人を見つめて、過去を振り返った。
冷凍保存に反対した者達は、殺され、冷凍保存され、保存器を見つめ続ける。
最初の冷凍保存を余儀なくされたマサト。
そして冷凍保存に魅了され、研究に携ったシュウ。
ユウジが殺される様を見て、冷凍保存に反対し冷凍保存を阻止しようと、私たちを殺そうとしたユウセイ。
そうして、私たちは冷凍保存をめぐる永い時間に巻き込まれた。
二度目の冷凍保存となったマサト。
怪我をして共にエウロパに眠ることになったウサ。
そして、マサトとウサを迎えに行くために眠ることになったシゲ、タカ。
その四人を目覚めさせる役目を担ったクボと私。
たったの一週間で大きく運命が変わった。いや、用意されていた運命なのだ。阻止しようと周りが動いたばかりに、早く動いてしまった。シャトルの打ち上げに成功していたとしても、帰ってきてから、四人は冷凍保存される予定だったのである。どう足掻いても同じ運命を辿っていたのかと思うと、胸が苦しくなった。
何も知らずに暮らしていた一週間前までの生活が懐かしく思える。
戻れない時間。
過ぎてゆく時間。
止まらない時間。
人間は、時間を操れない変わりに、人間の中に流れる時間を操った。
犠牲になった仲間たち。四人は目覚めたときに、幸せと感じるのだろうか。それとも、後悔するのだろうか。
ゆっくり選択することもなく、停止した鼓動たち。
「オヤスミ──みんな──」
ヒロミは、手を強く握り締めて、小さく呟いた。




