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「マサトをもう一度冷凍保存する」


「え?」


 全員の動きが止まった。


「先ほど話したように、本格的に知的財産の保存に冷凍保存を利用したいのじゃ。本来なら、今回のプロジェクトが終了したら、地球で冷凍保存する予定だったのじゃが、このような事故に遭ってしまった。今、ナオが調べたところによると、二人とも地球に戻るには、体力が持たなくて危険とのことじゃ。だから、二人にはここで眠ってもらう。地球へ輸送することは出来ないので、解凍はこのエウロパが開発を完了した時になるかの。エウロパで治療が出来る状態になったら解凍しよう」

 シュウ老人は軽く言ってのけ、ナオが注射器を持って近づいてきた。

「──えっ──やっやめてよ! どうして? 俺の能力が何だって言うんだ。エウロパでウイルスに感染したのも、ここで事故に遭ったのも俺の運命なんだ! どうして、好きに生きさせてくれない! また、何十年か眠らせるつもりなのか? また俺を知らない世界で一人ぼっちにする気かよ!」

 マサトは、シュウ老人に掴みかからんばかりに抗議した。自然と、瞳から涙が溢れ出す。

「マサトの思考能力、技術。すべてがこのアングラに永久的に必要なんじゃ。それに──安心せい。ウサもここで眠るし、シゲ、タカにも地球で眠ってもらう予定じゃ」

「何っ!僕たちも?」

 シゲは思わず一歩下がり、後ろにいたクボにぶつかった。

「大したことではないわ。眠って目覚めたら数十年経ってたというだけじゃ。身体に影響が出ることもない。すでにマサトで実証済みだからな。さてマサト。お前をこのまま見殺しにはできんのじゃよ。ウサと共に、ここで眠れ」

「嫌だ! 頼む。もうほっといてくれ! ウサにも俺と同じ思いをさせたくない!」

「見ろ。ウサは一生懸命生きようとがんばっているのだぞ。再び、仲間達の顔を見るために、生きようと必死に頑張っておる。そんなウサの思いは、何とも思わんのか?」

 横を見ると、苦痛に小さく唸りながらも、呼吸を繰り返すウサの姿があった。タカは、ウサの手を握り締めて唇を噛み締めていた。

「自分勝手なことばかりいうお前のことは許せないが、今はマサトとウサをここで冷凍保存させて、僕とタカが地球で冷凍保存されるのが一番賢明だと思う。しかし、条件がある。僕たち四人を同時に解凍し、その後はこのアングラから出て行く。解凍後リハビリしている間だけは、知的財産としての仕事をこのアングラでしよう。しかし、その後の僕たちには構わないで欲しい」

 シゲは、俯いたままシュウ老人に提案した。誰も傷つけず、誰も悲しまない方法。冷凍保存される者にとって最大の悲劇は、知る人のいない世界に投げ出され、一から人生を歩まなくてはいけない事である。

 しかし、四人同時に冷凍保存され、同じ時に解凍されれば、その悲劇は少なくとも軽減される。そして再びこのような悲劇を起こさないために、四人ともこのアングラから出て行くのが一番いいように思えた。このアングラに冷凍保存の技術がある限り、他の誰かがこの悲劇を体験するのだろうが。


「ふむ。残念だが───その条件を飲むとしよう。わしとて、人の命を大切に思っておる。四人同時に解凍させるのは、自然の時間の中で生きるクボとヒロミに任せるとしよう。それなら安心じゃろ? マサトとウサを、このまま見殺しにはしたくないからな。──マサト、今のシゲの条件を聞いておったか?」

 マサトは、力なく天井の一点を見つめていた。

「マサト? マサト聞いてるか?」

 マサトは、目を閉じて小さく呟いた。

「シゲ──これが──俺の運命なんすね。前の冷凍保存の時も、ユウジに説得された──。俺の人生は、シゲの中を流れる血に翻弄されてる──。でも、シゲもユウジも大好きだから──それでも構わない──。今度はシゲも一緒に、次の世界に行けるし──」

 マサトの脳裏には、ユウジの姿があった。ガラスを隔てて、「生きてくれ」と何度も言ったユウジの姿。必ず迎えに行くという約束は、アングラの陰謀で果たされなかった。目覚めたときの環境の違いに驚き、世代の違う人間の中で生きて行く違和感。迎えに来てくれるといった仲間の死の悲しみ、知る者の居ない世界での生活の苦しみの中で、シゲやこの仲間たちと過ごしていくうちに次第に新しい世界に慣れた。この世界の人間として生きて行くことに、楽しみを覚えた今、またあんな悲しみを味わうのは嫌だったが、今度は違う。今度こそ、シゲは迎えに来てくれる。地球で解凍されて今の姿のまま、このエウロパまで迎えに来てくれる。クボとヒロミが、確実にシゲとタカを解凍して、皆で迎えに来てくれると信じられる。きっと──。

 小さく口を結んで、目を開いた。軽く眉間に皺を寄せて、小さく笑った。

「わかった。また、眠ることにしよう。必ず、四人同時に解凍してくれ。もし、守られなかったときは──」

「わかっておる。約束は必ず、クボとヒロミが守ってくれるじゃろう。わしは、もう先が長くないからなぁ」

 ふっふっふ、と小さく笑って、視線をナオに移した。

「では、準備をしようかの。ナオ頼む」

 ナオはマサトの腕を掴んで肘の辺りの包帯を解いた。

「この注射には、冷凍中に血液が固まらないようにする薬と、睡眠作用のある薬が入っています。前回の時とは違う注射になりますが、心配はいりません。血液中を薬が回りだすと、すぐに眠くなります。何か話したいことがあれば、今のうちに──」

 そういって、一旦マサトから離れた。ウサに近づき、肘の裏側に注射の針をあてがった。タカは、ウサの手を握り締めたまま、注射の液がウサに流れ込むのを見つめていた。

「必ず迎えに来るから。元気になったら、また一緒に美味しい物を食べに行こう。必ず──必ずっ──」

 言葉を詰まらせてベッドに顔を伏せるタカの肩を、クボが後ろから抱きしめた。

「俺が、お前らを絶対目覚めさせるから──っ!」

 タカとクボが、ウサの呼吸が静かになったのを見守っていた頃、マサトは何も言わずに、シゲとヒロミを見つめていた。ヒロミは、ポロポロと涙を零して、マサトの手を握っていた。

「マサト、私、絶対死なないから。マサトを解凍するまで、絶対生きる。そして、シゲと迎えに来るから。今度はきっと悲しい思いをさせない!」

 マサトは頷いて、口を開いたシゲを見つめた。

「親父が守れなかった約束。僕が必ず守るから。安心して眠ってくれ」

「次の世界では、自由に生きる。自然の時間の中で生きれるんだよね? 精一杯生きて、自然の時の流れに身を委ねたい──」

 マサトは、ヒロミの手をそっと離してナオの方を向いた。


「お願いします──」


 注射の針がそっとマサトに近づき、針の先がマサトの腕に埋まった。

「シゲ──待ってる──待ってるから──」

 ゆっくりと目を閉じて、呼吸が緩やかになった。閉じた瞳から、一筋雫が落ちていった。


 シゲは低いモーター音と共に白くなっていく二本の円柱を、黙って見つめていた。二度と会えない訳ではない。これは、マサトとウサを生かすための判断だったのだ。

 悔いはない。

 そう思っても、マサトの最後の涙が忘れられなかった。

 信じていた仲間に裏切られた約束。同じ血が流れる者と再び結んだ約束。マサトの中には不安がなかったとは言い切れない。

 しかし、絶対守る。今度は解凍してくれる仲間もいる。目覚めたとき、マサトに笑顔が戻りますように。それだけを、シゲは願っていた。




 シュウ老人の乗ってきたシャトルで地球に帰還したシゲ、タカ、クボ、ヒロミは、冷凍保存の日を一週間後と定め、それまで自由時間を過ごすこととなった。

 タカは、ウサの思い出を辿るように、北棟の研究室へと足を向けた。目的地はもちろん、ウサの入り浸っていたヒルのいる研究室である。ノックをすると、すぐにヒルの返事が帰ってきた。間もなく、扉が開けられ、ヒルが顔を出した。

「やあ、タカ。おかえり。どうしたんだい? ウサも一緒じゃないなんて珍しいじゃないか。ま、入れよ」

 中に入ると、入れたてのコーヒーの香りがしていた。いい香りのコーヒーをもらい、無造作に置かれた椅子の一つに腰をかけた。研究室にはヒルしかいなかった。いつもなら、ユウセイも共に研究を進めている。

「今日は、ユウセイはいないんですか?」

 ヒルは、少し驚いたように手を止め、自嘲的に笑いながらコーヒーカップに手を伸ばした。

「何も聞いていないのか」

 ヒルはそう言うと一口コーヒーを口に含み、暫く口の中で味わうようにしてゆっくりと飲み下した。それは、次の言葉を考えているようでもあった。

「ん──。ユウセイはいなくなったよ。昨日──だったかな。君たちが戻るという噂を聞いたとたん姿を消したよ」

「え? どうして?」

「──つまり──簡単に言うと、奴が犯人だったのかな──。今では何も解らないけど。ま、簡単に言えば妬みかなぁ? いや、優しさかな? 君たちの誰かが知的財産として扱われるという話が広がって、そんな優遇される者を妬む人間はここにいっぱい居ると思うよ」

「──知的財産になったって、何一ついいことはないですよ」

「──ひょっとして、ウサはエウロパ?」

 感の鋭いヒルは少し間を置いてそう言ったが、タカは表情を動かさなかった。

「ま、僕は興味ないけどね。でも、ウサに会えないのは残念だ」

「ユウセイが本当に犯人なんですか?」

「さあね。まだここのチームも、手がかりは掴んでないんじゃないな。誰が犯人かなんて、犯人以外にはわからないし、犯人探しもしないかもしれないね。──そうだね。単に、僕はユウセイが犯人である確率が高いな、と思っただけだから」

 ヒルは小さく笑ってコーヒーカップを口に運んだ。

「どうしてそう思うんです?」

「ん──。長く一緒にこの研究室に居たからね。何となく。それに、最後にウサがここに来たとき、シャトルに乗らないでこの研究室に来ないかって誘ってた。ユウセイが最後の手を差し伸べたんだろうね」

「最後の手──?」

 タカは首を三十度ぼど右に曲げた。

「いや。推測でそんなことを言っちゃいけないか。ひょっとしたら、僕が犯人かもしれないしね。ガニメデ行きを何度も志願しても、年齢制限で連れて行ってもらえなかったから。若い者ばかりが集まった今回のシャトルの乗務員を恨んでたとか」

 軽く言ってのけ、ニコニコ笑っていた。

「ヒルさん──シャトルに乗りたかったの?」

「いや。ここで乗りたかったなんて言ったら、タカは僕を疑っちゃうでしょ?」

「う──ん?」

「他の可能性もあるよ。東棟の幹部が事故を起こさせたのかも。コントロールセンターには異常がなかったっていう話だけど、ひょっとしたらアングラぐるみで君たちを殺したかったとか」

 タカは、背筋に寒気を感じた。有り得るのだろうか?

「そんな──どうして?」

「ん──。解らない。あそこは何をしてるか解らないからね。動機を聞いてもピンと来ないような理由かもよ」

「怖いなぁ。ここで安心して仕事できないよ。それに俺これから──」

 冷凍保存になるのに、という言葉は飲み込んだ。決して他人に話すようなヒルではないが、今は何も言わずに消えたほうがいいように思えた。

「ユウセイのいるところを知らないですか? 一番、何かを知っていそうですよね? あいつの居る所へ連れて行ってください。」

「うん、大体検討が付くから。連れて行っても構わないよ。今日の十九時にロビーで待ってて。一緒に行こう。あ、そうだ。これを持って行って」

 ヒルは、机の下に置いてある半透明のプラスチックのケースから、一着の恒温服を取り出した。

「ウサに頼まれて、新しく開発した恒温服だ。頭部の湿度調節まで出来るタイプだよ」

「湿度? そんなに、湿度が上がるまで、これを着て外出しちゃまずいでしょ?」

「僕もそう言ったんだけどね。ウサは、外で遊びたいんだってさ。あの年で、可愛いっていうか、バカっていうか」


 タカはお礼をいい、部屋を後にした。歩きながら、ウサの頼んでいた恒温服を抱きしめる。地球に帰ってきて、これを着て外を散歩して回りたかったのだろう。よく珍しい形の石を見つけては、タカの元に持ってきたり、日影に草でも生えていると「勿体無いかな」などと言いながらも引っこ抜いて自室に飾っていた。そんなウサの姿を思い浮かべて、少し胸が苦しくなった。

 軽く頭を振って、深呼吸を一つする。気持ちを切り替えて、他の犯人と動機の可能性について考えてみた。クボはロビーで寝ている時に、シゲが見知らぬ人を見たと言っていた。しかし、研究員、技術員の多いアングラ内では、見知らぬ人がいても大して不思議ではない。しかし、それが本当だとして、外部から誰かが事故を起こした可能性もある。そうなると犯人は捕まりにくいだろうな、と思った。ここはやはり、自分たちが戻ってくると聞いた途端、逃げ出したユウセイにいろいろ話が聞きたかった。


 十九時まで、まだ三時間ほどあったので、シゲの部屋に向かった。



 シゲの部屋をノックすると、上半身裸でシゲが顔を出した。

「お? どうした? どこか外でゆっくりしてくるんじゃなかったのか? ここにいたら、ウサのことばかり考えちまうだろ?」

 部屋の中に招きいれながら、床に散らばっているTシャツを着た。

「風呂に入るところだったのか?」

「いや、風呂は面倒だから、身体を拭いてたところだ」

「何で面倒なんだよ? シャワーくらい浴びればいいのに──」

「だってここは、空調がいいから汗かかないもん」

 苦笑しながらソファに座ったタカは、シゲから冷たい麦茶を受け取った。

「何か話か?」

「ああ。今、ヒルさんの所に行ってたんだ。何となく足が向いたっていうのかな。ウサと一緒に良く行ってたから。それで、ちょっと情報を仕入れたんだ」

 シゲは欠伸をかみ締めながらタカの隣に座った。

「情報? あの事故の?」

「ああ。俺たちが帰ってくるのを聞いて、ここから逃げ出した奴がいるんだ。俺たちを殺すのに失敗して、逃げたってとこなのか──」

「誰だ? そんな奴がここに──?」

 タカはまだ犯人とは確定されていない人間の名前を出していいものか悩んだ。

「犯人とは決まってないんだろ?それを承知した上で、聞くから──」

「ん──。ユウセイだ。ウサが入り浸ってた、ヒルがいる研究室に一緒にいた男だ」

「──僕、あったことないなぁ」

「理由がわかんないんだ。ウサや俺たちと、殺したくなるほどの接点があった訳じゃない。だから話を聞きに、今晩ユウセイに会いに行くことにした」

「居場所は解ってるのか?」

「ああ。ヒルが思い当たるところがあるって」

 シゲは、暫く黙って腕を組んだ。

「俺が、事故の前日にロビーで怪しい奴を見たっていっただろ? あれから、ずっと考えていたんだが、ひょっとしたらクボは知っているんじゃないかって思ったんだ」

「え? どうして?」

「俺あの時、南棟からロビーに入って、北棟に行ったんだ。その時に、ロビーでクボが寝てるのを確認したんだけど。それで、北棟からロビーに戻ってきたときに、ちょっと争うような小さな話し声がしたんだ。ロビーのソファはパーティションで区切られてるだろ? 誰かは見えなかったんだけど、出てくる気配があったから、思わず近くの受付の下に隠れたんだ」

「で、その時にウサが外から帰ってきたのか?」

「ああ。クボはあの時、起きてたんじゃないかと思うんだ。あの首の受信機は承知の上で埋め込まれていたんじゃないかと──」

 タカは思わず、ソファに座りなおした。

「そんな! それじゃ、クボが仕組んだってことかよ? 仲間がそんなことするはずは──っ」

「解ってる! そんなことは解ってるよ! でも──」

「クボにはこのことは言わないでくれ。あんなに必死に助かろうと一緒に頑張った仲間だから。俺は、信じない」

「ごちそうさま」と床にグラスと置き、タカは立ち上がった。気まずい雰囲気の中、タカは静かに部屋を出て行った。


「──僕だって信じたくないよ。でも──」

 シゲは目を閉じて、事故前日のロビーの様子を、もう一度思い出していた。

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