第1話「白金の星と沈黙の水晶」
登場人物紹介
◇カイン・ハルネ
本作の主人公。
日本の大学院で民俗学と魔術史を専攻していた青年の転生者。
額に白金色の六芒星の痣を持つ聖者候補として召集されるが、魔力計測でゼロを出したため追放される。
前世の知識を持ち、誰に対しても誠実で穏やかな気性。
エルトリア王国で四体の神獣に異常なほど懐かれ、毎日のようにもふもふの毛並みに埋もれている。
◇ライアス・フォン・エルトリア
神獣と人が共存するエルトリア王国の若き国王。
銀髪に鋭い翠色の眼差しを持つ美丈夫。
常に冷静沈着で理性的だが、カインを拾って以来その人柄と知識に強く惹かれていく。
カインに対する執着は深く、彼のためなら国法すら即座に変えるほどの行動力を見せる。
◇アリア・クロスフィールド
ヴァルハイン王国の真の聖女として認定された転生者の少女。
乙女ゲームの攻略知識を利用して権力を握ろうと画策する。
持ち込んだ呪符の書籍によって他者の信仰心を魔力に変換しているだけの、魔力を持たない偽物。
◇ガルシア・ヴァルハイン
ヴァルハイン王国の国王。
計測器の数値を妄信し、カインを偽物と決めつけて国外追放を命じた。
◇エリオ・カルナ
エルトリア王国の宰相。
ライアスの右腕であり優秀な文官。
カインの知識と技術に驚愕し、次第に有能な相談役として頼るようになる。
王の並々ならぬ溺愛ぶりに頭を抱える苦労人。
◇シロ
人ほどの大きさを持つ白銀の狐の神獣。
カインが追放された夜明け前から彼に寄り添い、雪山で命を救った。
◇クロ
巨大な黒狼の神獣。
深夜にカインの部屋に侵入し、そのまま背中の上を定位置とする。
◇コン
金色の毛並みを持つ水獺の神獣。
海辺の神獣でありながらカインの肩の上がお気に入り。
◇ユキ
まだ子供サイズの白熊の神獣。
カインの腹の上で眠る事が多い甘えん坊。
石畳を車輪が噛む硬質な音が、足裏から背骨へと響いていく。
窓枠のない質素な馬車に揺られながら、カインは自身の額に右手を当てた。
指先が触れる皮膚の奥底で、微かな熱が脈打っている。
三日前の夜、二十三年暮らした農村の空に青白い流星が流れた直後だった。
彼の額に、白金色の六芒星が浮かび上がった。
水鏡に映るその不可思議な幾何学模様を見たとき、前世の記憶を持つカインの脳裏にはある光景がフラッシュバックした。
かつて大学院の薄暗い研究室で読み漁った異端の魔術書や、民俗学の伝承記録である。
ヴァルハイン王国において、その痣は百年に一度現れるとされる聖者の証であった。
ただ静かに、土を耕して生きていくのだと思っていた。
前世の知識を活かして麦の収穫量を微増させ、村人たちと穏やかに老いていくのだと信じていた。
泥と汗の匂いが染み付いた麻の服を着たまま、王都からの使者に半ば強引に馬車へ押し込まれたのは、星が流れた翌朝のことだ。
王都の大通りは、カインが育った村とは別世界の様相を呈していた。
白亜の石造りの建造物が天を突き刺すようにそびえ立つ。
色鮮やかな絹の衣服をまとった貴族たちが、香水の甘い匂いを振り撒きながら闊歩している。
馬車が巨大な鉄格子を備えた城門を潜り抜けると、空気の密度が一段と重くなった。
重武装の近衛騎士たちに囲まれ、カインは王宮の奥深くへと案内される。
聖堂と呼ばれる、ドーム状の空間だった。
ステンドグラスから差し込む陽光が、磨き上げられた大理石の床に極彩色のモザイクを描き出している。
乳香と没薬の燃える匂いが鼻腔を突き刺し、どこか暴力的なまでの神聖さを演出していた。
祭壇の中央には、大人の背丈の三倍はあろうかという巨大な水晶の柱が鎮座している。
内部には銀色の液体のようなものがゆっくりと対流していた。
ただの鉱物ではない特異な魔力場を形成しているのが、肌を焼くようなピリピリとした空気から察せられる。
「進み出よ、聖者候補」
豪華な法衣に身を包んだ神官長のしわがれた声が、円形ドームの壁に反響する。
祭壇の奥、一段高くなった玉座からは、豪華な王冠を戴く国王ガルシアが氷のような冷たい視線を見下ろしていた。
カインは静かに息を吸い込み、祭壇の階段を上る。
革靴が石の床を叩く音が、やけに大きく聞こえた。
水晶の柱の前に立つと、内部の銀色の液体がカインの体温に呼応するように微細な波立ちを見せた。
これが、古代の魔法陣を利用した聖力計測の儀である。
対象者の魔力量を物理的な数値として視覚化する遺物だった。
歴代の聖者はみな、最低でも三千という数値を叩き出してきたと記録されている。
『ただ触れればいいのか』
カインは前世の学究的な好奇心を微かに刺激されながら、土仕事で硬くなった右手を持ち上げた。
冷たい水晶の表面に、手のひらを押し当てる。
その瞬間だった。
水晶の内部で静かに流れていた銀色の液体が、爆発的な速度で沸騰を始めた。
鼓膜を破るような高周波の共鳴音が聖堂内に響き渡り、神官たちが顔をしかめて耳を塞ぐ。
水晶全体が目を開けていられないほどの白金色の光を放ち、祭壇の周囲の大気が陽炎のように歪んだ。
カインの手のひらから、自身の内側に眠っていた得体の知れない何かが流れ込んでいく。
それは奔流となって水晶へと注がれる感覚だった。
熱でも痛みでもなく、ただ果てしない拡張の感覚である。
光の激流が聖堂の隅々までを白く染め上げる。
誰もが真の聖者の降臨を確信して息を呑んだ次の刹那。
パキン、という微かな音がした。
水晶の奥深くで、何かの回路が焼き切れるような、乾いた破断音。
途端に、白金色の光が嘘のように掻き消えた。
沸騰していた銀色の液体は泥のように濁り、ゆっくりと柱の底へと沈殿していく。
共鳴音も止み、聖堂には不気味なほどの静寂が舞い降りた。
水晶の表面に浮かび上がる古代文字の表示器には、淡い光でひとつの文字だけが映し出されていた。
「……零?」
神官長の震える声が、静まり返った空間に落ちる。
それは計測の失敗でも、微弱な反応でもない。
完全なる虚無を示す、絶対的なゼロの数字だった。
玉座のガルシア王が、不快げに眉間にしわを寄せる。
周囲を取り囲む貴族たちの間から、嘲笑とも失望ともつかないざわめきが波紋のように広がり始めた。
カインは手のひらを水晶から離し、もう一度その表面を見つめた。
機械的な故障か。
あるいは自分の体質が、この世界の魔法体系と決定的に食い違っているのか。
前世の知識をもってしても即座には結論を出せない事象を前に、カインはただ静かに立っていた。
自身の運命の歯車が大きく狂い始めた音を、確かな響きとして聞いていた。
「陛下、念のため別の候補者も手配しております」
玉座の傍らに控えていた侍女頭が、ガルシア王の耳元で冷ややかな声を落とした。
その言葉が、カインの王宮での立ち位置を決定づける宣告となる。
この時の彼はまだ、正確には把握していなかった。
ただ、大理石の床から這い上がってくる冷気が、先ほどまでの熱を帯びた空気を急速に奪っていくのを感じるだけだった。




