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後藤を伴って歩く船内は、皓兄と一緒に歩いている時とは違う。
皓兄の時、船内のスタッフは全員口調も仕草も丁寧で、一貫して平身低頭。
後藤の場合、空気。だ。
それは亜妃に対してもだ。
皓兄と居る時は、礼儀正しく接され、後藤との時は…ただの子供と扱われる。
亜妃本人は変わらなくても、周りが変わる。
それが、地位なのか。と、亜妃は学ぶ。
そして…中には低い位置に居る亜妃の視線に気が付かず、皓兄に鋭い視線を向ける者も。
その者達は大抵『大お爺様の身内』であるピンを、皓兄や亜妃と同じく胸元に刺していた。
今、前から歩いて来る者もその一人だった。
ここに皓兄は居らず、横には後藤が居る。
後藤だけが道を開ける為に、端へ寄るが…すれ違いざまに男はいきなり後藤を殴りつけた。
「何をする!?」
思わず声を出した亜妃を、見下す様にその男は眺めた。
「何だお前。俺に文句でもあるのか?」
早口で話される。
日本語ではない為、意味が分からない亜妃はじっと睨みつけた。
何か、怯んではいけない気がしていた。
「この方は…」
後藤が床に膝を付いたまま、相手に同じ言葉で返す。
すると、男は睨みつける亜妃の顎に手を添え、左右に動かした。
「ふんっ」
鼻息で不快を表すと去って行ったが、亜妃の胸元に有るピンに視線が行ったのを、亜妃は見逃さなかった。
「…そんなに大お爺様のコレって力がある…のか?」
「はい。ですので…外さないでください」
殴られた所を押さえながら立ち上がり、体勢と衣服を整えた。
「大丈夫?」
「見苦しい所をお見せして申し訳ありません」
「家の者がすまない」と、皓兄ならば言えるのだが、血縁者ではない亜妃にはどう言って良いか分からず口ごもる。
「さ、行きましょう」
後藤の言葉に頷こうとしたが、その前に船の遠くに港が見え、船が陸に近付いていた事に気が付いた。
「あれ?港…?」
「はい。物の補充やここで降りる方もいますので」
「下ろす」と言われていた日本人の子達の事を思い出す。
ここで、あの子達は降りて…国に戻るのか。
そう思っていた。
「着く前に、皓様へこれを渡します」
リストを持っている後藤はルートと時計を確認し、客室に居るだろうと予測を立てた。
「行きましょう」
後藤が率先して歩く。
客室の近くには、数あるキッチンの一つがあった。
お腹に何か入れたい。
そう頭に浮かぶ。
客室に行って、皓兄と合流した後なら、キッチンで作られた物も食べられるかも知れないと、亜妃の足取りが軽くなった。
客室に続く廊下では、たまに大人数の子供の叫び声が聞こえた。
自分が出会ったのは繋がれた子供達だけだったが、客の子供を預ける託児所的な物があるのか?と、亜妃は思ったが、地図には託児所の文字は無かったし、乗船の光景を思い出しても子供連れは居なかった。
しかし、興味本位で客室のドアは開けられない。
不思議に思いながらも前を通り過ぎ、目的の客室へ入る。
そこは宴会場の様に広く、赤いテーブルクロスと白いテーブルクロスが重ねられ、真ん中には花が飾られた円卓が置かれていた。
椅子には客人が数人着席し、皆目元を隠す仮面を着けている。
豪華な室内と合う様に、給仕者は白いシャツに蝶ネクタイ。
腰にはカフェの店員の様な、長めの黒いエプロンを着けていた。
高級なレストランでの食事会。
一見そう見えたが、異質な空気がそこには有った。
「まだ…だったようです」
皓兄は居ない。
そして、テーブルの上の皿にも何も置かれてはいなかった。
チリン。
小さな鈴の音が鳴り、ゆっくりとしたクラシックが微かに流れ出す。
客の視線が鈴を鳴らした男へ向く。
皓兄だった。
ドアの近くに給仕者と共に立つ亜妃と後藤に、一瞬顔を向けた。
その所為で、何人かの客が亜妃達を見つめた。
チリン。
もう一度鈴が鳴る。
一斉に給仕者がワインの瓶を両手に持ち、各々の担当のグラスへ注ぐ。
濃い紅色の液体がゆっくりと満たされると、また後ろへ下がった。
うっとりと液体を回し、飲む客人達の雰囲気は紳士淑女そのもので、他誰一人無駄話もしない。
布の擦れる音すらしない室内で、クラシックだけが流れる。
周りに付いた紅い液体が、グラスに戻る頃、三回目の鈴が鳴る。
隣接されたキッチンから、給仕者達がトレーに料理を乗せ運ぶ。
一人一人の目の前に置かれていく。
全ての客の前に揃い、一斉にクローシュが取られるとそこかしこで感嘆の声が漏れた。
一人の黒服が後藤の元へ来たが、それに客は気付かない。
黒服は後藤と小声でやり取りした後、皓兄の元へ行くと耳打ちをした。
かちゃ、かちゃっとカトラリーの音がし、客達が料理を楽しみ始める。
キッチンからこちらへのドアが開閉する度に、良い匂いが部屋に漂い、亜妃の鼻腔を刺激する。
ニンニクやローズマリー、セージにローリエ。
メインは肉料理だ。




