22
後藤と部屋に戻る頃には、亜妃は辟易していた。
どの部屋も、食と性で溢れていた。
美食と称し、大量の食い物を貪る人間達は、誰も彼も醜悪だ。
フォークを握る手も、女の尻を掴む手も。
口も腰も。
我を忘れたように激しく動く。
汚らしい床。
当人達の熱気でむわっとする空気。
そして…ソレにそぐわぬ甘い匂い。
その匂いがまだ、鼻の奥に残る気がして、亜妃はイライラした。
水道の水を備え付けのグラスに入れ、飲むがスッキリはしない。
代わりにただの水を入れられただけの腹が、ぐうっと鳴いた。
悠衣と交代する前、宮木家に亜希は居た。
実の家だが…給食だけが「必ず行われる食事」だった。
朝食はない。
給食を食べ、夕飯は親の気まぐれ。
親の気まぐれが一転して、用意されない時もある。
その時は金が渡されるのでまだマシだった。
姉が用意する時もあるが、大抵食えぬ物が出された。
姉一華は分かっていて出す。
嘔吐く亜希を見て、笑う為だった。
毎晩、宮本家へ帰る訳にも行かないが、訪れる休みの日の昼が救いだった。
しかし、胃は萎縮していく。
船に乗ってからの食事は、ちゃんと皓兄が用意しているが、家での生活で減った栄養には足りていない。
そして、萎縮していた胃が元に戻り始めた事もあって、腹が異様に空く。
身体が「今ここで、食べられる間に食え」と命令しているかの様に、腹の音が鳴る。
あの甘い匂いで…醜悪な捕食者達の所為で、減退していた食欲が水に刺激されて動く。
「何か…食べよ…」
備え付けの冷蔵庫を開けるが、何もなかった。
仕方なく、パッキングされたお菓子を一つ開ける。
皓兄が用意していた物だった。
仄かな甘さが、身体に染みる。
食べやすく柔らかいそれは、亜妃の疲れた心にも癒しをくれた。
水とお菓子を口に運ぶ。
気が付くと全て食べつくしていた。
それでも、腹は満たされない。
まだ食べたい。
食べれば食べる程そう思う。
しかし、さっき見た者達の様にはなりたくない。
最後の一つ…最後の一口で残った余韻を、水で流し込む。
皓兄にもう少し用意して貰おうかな。
そう考え、立ち上がる。
まだまだ「黒子の仕事」は有った。
終った仕事は「渡し」であり、次は発注だ。
客の要望をまとめ、皓兄に渡す。
後藤のメモには食べ物の名前が並び、要望者の名前が書かれている。
厨房に行けば手に入る食べ物の名ばかりなのに…。
何故、皓兄に?
皓兄がキッチンに注文書として渡すのだろうか?
升目の書かれた紙に、後藤が整理しながら書いていくのを眺めた。
そして、次にアルファベットの書かれた紙に、数字を書いていく。
数カ所で置いて来た袋と同じアルファベットが、並んでいる。
「これは何?」
「お客様の所望されている薬です」
「病人なの?皆?」
亜妃の問いに、後藤は目を丸くした。
「あなたは…そうか…」
知らないのか。と、困った顔をする。
余計な話をしてはいけないが、どこまでが教えるべき事、答えるべき事なのかを考えあぐねている。
「後藤?」
「…そうですね…これは、色々名前がありますが、覚せい剤。コカイン、MDMA…合成された麻薬、LSD…全て『違法ドラッグ』と言われる物の名称です」
「違法…ドラッグ」
「はい。頭がすっきりした気になって、色々な発想が生み出されると思われ…使用されたり、ダウナー…意識が朦朧として、脱力感で何も考えられなくなるタイプを使われたりもします」
「…」
「どれも、身体にはよくありませんが、依存が強い物もあり…高額で売れます」
「依存…」
「はい」
亜妃の頭の中に、さっき食べたお菓子が浮かぶ。
「お菓子の…砂糖みたいな?」
「ええ、砂糖にも依存性はあります。本当の砂糖依存者は一緒かもしれませんが、少量では比べ物にならない程。です」
ごくりと亜妃の喉が鳴った。
怖いながらも、興味が出てしまった。
「亜妃様は使用されませんように」
「分かってる…ていうか、様は止めて欲しいんだけど…」
「私には…」
決める権限がないと、後藤は眉を下げた。
「皓に言えば良いか?」
「ご希望でしたら…さようです」
「そっか。ごめん」
勝手に二人で決められる事ではないのだと、後藤の反応で知る。
「この後の予定は?」
「船内で不具合が無いか、巡回いたします」
「そう」
ごみを捨て、伸びをする。
腹は満たされていないが、少しは気が紛れたのか体は軽く感じた。
キッチンで何か…貰うか。
皓兄は「食うな」と言っていたが、理由を知らない亜妃はそう考え、ルートを見る。
丁度、どこかで皓兄にも搗ち合うだろう。
部屋から出る為、ドアノブを握った亜妃の腹が、それに賛同する様にまたぐうっと鳴った。




