演劇「白鳥と王子様」を観に
公爵邸の庭師小屋で、シェリィはすっかり頭を抱えていた。
(どうすべきかしら。困ったことになったわ)
アンジーからバードを取り返すつもりが、普通に守護妖精を召喚してしまった。それも、ちょっと変わり種の妖精のようだ。
シェリィは自分が招いてしまった不測の事態に、大いに困惑してはいたものの、一方では今まで味わったことのない達成感も覚えた。
初めて試みた召喚術は目的の通りには発動しなかったけれど、こんな高度な技を成功させられたのは事実だ。このこと自体は、自分を褒めてやりたい。
シェリィが王立グランデ学院で学んできた三年間は、無駄ではなかったのだ。魔力が低いことについて貴族として劣等感を抱いていたが、自分にも高度な術がこなせるのだ。
(さっきまであらゆる自信を失っていたけれど。そう卑屈になるべきじゃないわ、シェリィ)
失意のどん底にいたシェリィは、必死に自分の自信につながる欠片を拾った。
それに召喚術にはたくさんの材料が必要だった。
薬草だけでなく、ラピスラズリの欠片や金粉もいる。材料を無駄にせずに済んだことに、シェリィは安堵した。
残念ながら召喚できたのはバードではない。
もう二度とバードを召喚できないのはショックだ。けれども、例え意図しなかったにせよカイルを呼んでしまった以上、主人として自分は彼の人間界での世話を全うしなければならない、とシェリィは妙な責任を感じていた。
シェリィは気持ちを改めて引き締めてから、チラッと窓の外を見た。
まだ昼過ぎだ。ちょうど外も晴れていて、おでかけ日和だ。
じっと家にこもっていると、父やマティアスのことを考えてしまい、自分の人生が八方塞がりになっている状況に、気が滅入ってしまいそうだ。こういう時は外に出たほうが精神衛生上、良いものだ。
冬の大地にただ一人、置き去りにされたような孤独を感じていたけれど、今一番孤独なのは、目の前にいる妖精に違いない。そう思いついて、シェリィは気持ちを無理やり切り替え、笑顔を作った。
カイルに務めて明るい声で話しかける。
「まずは私の守護妖精になってくれた記念日を祝って、一緒に観劇に行きましょう! 私今、気分転換をしたくてたまらないの。夜は……そうね、私の得意料理を作るわ」
守護妖精のご機嫌取りをするのはいかがなものかと思われたが、初日くらいはいいだろう。
シェリィがそう思って全力で愛想笑いを浮かべてカイルを見上げる。
対するカイルが、より一層怪訝そうな顔つきになって言う。
「リンツ王国の貴族の令嬢は、料理をするのか。それは知らなかった」
「そうね、私はちょっと特殊な事情があるから。でも明日からは、カイルも作ってくれると嬉しいわ」
「ハッ。つまらん冗談を申すな」
「う〜ん、限りなく本気なのだけれど。だって貴方、私の守護妖精なのだし……」
カイルがギロリとシェリィを睨む。
カイルには妙な迫力があって怖かった。シェリィの愛想笑いに翳りが出たが、笑顔を絶やさぬよう、心を無にして耐えた。
妖精を人間界に召喚した者として、まずは歓迎の意を表したい。
シェリィはそんな信念のもと、新しい自分の使い魔を連れて今流行中の演劇を見にいった。
演劇のストーリーは、恋愛色の濃い「お涙頂戴モノ」で、美女に扮する白鳥と恋に落ちた王子の話だった。美女は心優しい兄王子と結ばれるのだが、冷酷な腹違いの弟王子が二人の仲をやっかみ、兄王子を撃ち殺してしまう。
白鳥は兄王子との間の子供を残し、白鳥の姿に戻って北の湖に帰っていく。
だが最後には、兄王子の子が復讐を果たし、弟王子を王宮から追放して王位を継ぐ。
タイトルは分かりやすく「白鳥と王子様」だ。
シェリィは一番安いチケットを二人分買ったので、舞台の右端がずっと見えなかったのだがそれでも感動して、舞台が終わってもボロ泣きだった。
流石に心配したカイルが彼女の肩を申し訳程度にポン、と叩く。ーー触れないのでフリだけだが。
「これがいわゆる、今流行りの復讐モノというジャンルなんだな。――そんなにも感動したか?」
「白鳥と兄王子の間に生まれた王子様が、母親に会えなくなってしまったのが、可哀想だったわ」
「泣くポイントはそこだったか……? ほとんどの客は兄王子が射殺されて、美女が泣く場面でハンカチを出していたぞ」
「そこも泣いたわ。思わず自分と重ねてしまったの。私、母がもういないし、失恋したばかりだから」
「そうか。なるほど……。色々あって、守護妖精を呼び出そうと思ったんだな」
王族や皇族は慣習的に守護妖精を持たない。
妖精は魔力を持つものの、人間界で発揮できる魔力は非常に低い。逆も同じだと言われている。
召喚しても人間界ではたいして魔術を使えない上に、自分に終始はりつく妖精を、なぜ人が欲しがるのかカイルには理解しかねた。だが、何か大きなきっかけがあり、己の環境に変化を望んだり精神的な拠り所として、人は妖精を呼ぶのかもしれない――とカイルは妙に納得をした。
ようやくシェリィが席を立ち上がり、劇場の出口に向かう。
この「白鳥と王子様」は今非常に人気で、ロングラン上演中なのだ。卒業試験で忙しかったし、チケットもそれなりに値段が張るため、なかなか見に来れなかった。
同じく出口に向かう他の観客たちを見渡せば皆、友人や恋人と来ているようだ。
シェリィはハンカチで涙を拭き、カイルに微笑んだ。
「一緒に観に来てくれて、ありがとう。一人では観劇に来にくくて。守護妖精がいて本当によかったわ。でももしかして、恋愛色の濃い復讐モノの劇は男性のカイルには退屈だった……?」
泣き腫らした赤い目を向けられ、カイルがシェリィのハンカチを彩る精緻な刺繍に目を奪われつつ、言う。
「いや、そんなことはない。――恋愛劇などくだらんと思ってきたが、いざ観劇してみれば、意外と楽しめたぞ。流石、流行るには理由があるものだな。まぁ、でもゴダイバ帝国では絶対に公演できないだろうな。二人の異母兄弟の王子が対立しているという構図は、現状の皇族の状況を彷彿とさせるから、やや不謹慎だ」
「妖精界から来たばかりなのに、随分ゴダイバ帝国の皇室事情に詳しいのね」
「そ、それはアレだ」
「アレって何?」
「ゴダイバ帝国は妖精女王の力を借りて建国されたからな。両者は縁が深い。妖精も皇室について、ずっと関心を抱いているのだ」
そういうものかしら、とシェリィが納得したのかしていないのか、微妙な表情で首を傾げる。
ようやく劇場を出ると、シェリィは劇場の前の噴水を見上げた。風に煽られ、細かな水の飛沫が微かに頬にあたる。春の昼過ぎの心地よい気温と風に、束の間身を委ねる。
「そうそう、『白鳥と王子様』で悪役の弟王子は、リンツ王国の演劇作家がゴダイバ帝国の皇太子をモデルにして作ったのよ」
「――帝国の皇太子?」
カイルの声が急に一オクターブ低くなる。
綺麗な形の眉をひそめ、不審げにシェリィを見下ろす。彼女はコクコクと頷き、風に靡く茶色の髪を両手でおさえつつ、友人達から聞いた噂話をカイルに教えた。
「そうなの。ゴダイバ帝国の皇太子のバシレオス殿下よ。帝国の皇太子様はとても優秀だけれど、帝国では女嫌いで有名なのですって。噂では、子どもの頃に第一妃に暗殺されかけたせいで、女性を信用なさらないとか。だから誰もお妃になれないんじゃないか、と言われているのよ」
シェリィの語る皇太子の人柄についてのなんとなく不名誉な噂話に、カイルがピクリと頬を引き攣らせる。
「そう思うと、嫌な劇だな。まるで帝国の皇太子を嫌う世論を醸成するようなものだ」
「そうねぇ。学院の友達も、観劇後にクラスで『なんか本物のバシレオスまでムカつく!』って言っていたもの」
「なんだと」と言ったきりカイルが絶句した後で、額に青筋を立てる。
「それに、実際に皇太子の兄である第一皇子は何も悪いことをしていないのに、皇太子に警戒されて地方に追いやられているでしょう?」
「罪がなくはない。ステン……第一皇子の母親は、自分の息子を皇太子にしようと、第三皇子バシレオスの暗殺を試みたのだから」
「あらっ、カイルってゴダイバ帝国の第一皇子の名前まで知っているのね!」
随分詳しいものだと、シェリィが話の腰を折る。
カイルは気まずそうに辺りを見回し、視線を泳がせた。
「だけどね、カイル。ステン皇子は、暗殺計画には関わっていなかったと言われているのよ? だからリンツ王国では、やり過ぎだと同情する声も多いの」
「船上で焼き殺されそうになった十二歳の子どもにも、同情が欲しいところだがな」
カイルの目つきが更に悪くなる。どうやら気分をますます悪くしたようだ。彼の仏頂面を気にしつつ、シェリィは続ける。
「第一皇子の母親は、リンツ王国の王族なのよ。だからここでは元々、ステン皇子に肩入れする人が多いのよね。それに暗殺未遂事件の後、リンツは属国七王国の中で、いつも不平等な条約を結ばされてきたし、一番歴史ある国なのに、末席に座らされるようになって、特に王家は悔しい思いをしているのよ」
悔しい、というより逆恨みかもしれないが。
「――加えて、ゴダイバ帝国の皇太子の実母は、ギラデロ王国の王女だからな。ギラデロとリンツは、ゴダイバ帝国の属国七王国の中で、特に仲が悪い」
「その通りよ。だからこそ、リンツではバシレオス皇太子殿下は、人気がないの。それにほら、第一皇子は不遇な扱いを受けて、その点もこの舞台の兄王子と被るわよね」
「無用な争いを避けるために、必要な措置だっただけだろう? 皇太子にも事情があったはずだ。そもそも皇太子は危険な魔獣を人の住む地域から追い払ったお陰で、帝国では英雄として扱われているぞ。それなのに、彼を悪く扱うとは。なんて舞台だ」
シェリィはカイルの苛立ちをかわすかのように、あっけらかんと言う。
「とにかく、所詮演劇という創作の一つに過ぎないんだから。それを観て、宗主国の皇太子をどう妄想しようが、私たちの勝手よね。皇太子殿下はどうせ私達の名前すら知らないでしょうし!」
「そ、そうか……?」
カイルはまだ何か言いたそうだったが、シェリィは劇場を振り返って、石造りの大きな建物をもう一度見上げた。束の間、現実を忘れて舞台の世界に没入できて、楽しかった。
だが幕が下りた後は、否応なく現実が待っている。
そろそろ夕食を考えねばならない。
食事の時間だけ公爵邸に戻って一人、広大な邸内で食事をするのは、どうしても慣れなかった。内容が豪華でも、虚しさが募る食事を取るくらいなら、庭師小屋で簡単な食事を作って食べる方がいい。
だから最近はすっかり屋敷には足が遠のき、時折り庭師小屋にこっそりやってくる執事が、シェリィに食材を渡してくれるようになっていた。
庭師小屋には一人分の食材しか、残っていない。
(新鮮な食材を手に入れたいもの。市場で買っていかなくちゃ)
シェリィは劇場に背を向けて歩き出した。
「さぁ、カイル。気を取り直して夕食の買い出しに行きましょう! 野菜は重たいから、買ったら貴方に持って欲しいの」
腑に落ちない表情のカイルをよそに、シェリィはニッコリと笑顔を作り、軽い足取りで市場の方角に向かった。




