貴女の様子を見に
シェリィが連れて行かれたのは、王宮の西側にある塔の一角だった。
罪人のように牢に入れられたのではなく、一応は客間のような部屋だ。
部屋は掃除が行き届き、机やソファといった家具がひと通り置かれている。透かし彫りのされた木の板でできた可動式の間仕切りの奥には、昼寝ができそうな大きさの寝台もある。
部屋の外には見張りの衛兵がいた。
だが国王はシェリィの身の安全にも気を配っているようで、衛兵は彼の乳兄弟である男爵の嫡男だった。信頼できる者を配置したのだろう。
大晩餐会が始まる時間には、シェリィにもわざわざカトラリーやナプキンに至るまで、きちんと揃えられた夕食が提供された。
ムースと果物からなるデザートまでついていたが、流石に食欲がなく、シェリィはほとんど口をつけられなかった。
(陛下が公爵邸の床を掘りおえるまでの辛抱よ。明日になれば、叔父様の悪事がきっと日の本にさらされる)
シェリィはしばらくの間、ソファに腰掛けていた。
だが何もせず座って待つには時間が長く、じっと座っていたせいで腰や背中に痛みを覚え始めた。
王侯貴族の晩餐会は長い。
少なくとも大晩餐会が終わるまでは、シェリィを誰も訪ねてはこないだろう。
「ああ、疲れたわ……」
やれることは全てやった。
あとは運を天に任せるしかない。
シェリィは心身ともに疲れた体を引きずり、衝立の向こうの寝台に体を横たえた。
やや幅が狭く、小さめの寝台ではあったがスプリングがよく効いていて、寝心地は良い。
西日の残した熱さのせいか、部屋の中はこの季節にしては寝苦しい。
シェリィは掛け布団を足もとまで蹴飛ばし、ため息と共に目を閉じた。
少し休息を取りたかった。
夢を見ていた。
小さなシェリィは仕事で帰りが遅い父親に腹を立て、公爵邸のプレイルームに籠城していた。
公爵は仕事が忙しかったため、シェリィが子どもの頃はこういう夜がしょっちゅうあったのだ。
自分の周りにぬいぐるみをたくさん置き、お気に入りのクマのぬいぐるみを抱きしめる。
すぐそばで自分を見下ろすバードは両手を腰にやり、困り顔だ。
「食堂には行かないってば! 今夜も一人でご飯なんて、やだって言ってるでしょ。お父様は今日こそ、早く帰ってくるって言ってたもの。まだ私は食べないもん」
「仕事は予定通りに終わるとは限らないのです。もう夜の八時ですから、召し上がらなければ。お腹も空いているでしょう?」
「空いてないもん」と言いながら、シェリィがそっぽを向く。だがその直後、彼女の小さなお腹から、グゥゥゥゥッと大きな音が鳴った。
「ほら、ご覧なさい。体は正直です。もう七歳におなりなのですから、ぬいぐるみなどをいつまでも抱えていないで」
バードが腰を折って手を伸ばし、シェリィの抱きしめるクマを取り上げる。
だがクマはシェリィの父が彼女の誕生日にくれたもので、その頃のシェリィにとっては心の安定剤の役割を果たしていた。
寂しさと空腹を我慢する拠り所だったクマを前触れなく奪われ、シェリィがバードにつかみかかる。
「だめ、返して。バカバカ!」
「汚い言葉を使ってはなりません。シェリィ様は将来、王太子妃様になられるのですよ?」
「守護妖精のくせに、私に命令しないで!」
立ち上がって両手を伸ばしても、身長差がありすぎてシェリィの手はバードが片手で掲げるクマにちっとも届かない。
シェリィがこんなにも怒っているのに、バードは冷静そのもので、主人の憤りは彼に全く響いていない。必死に飛び跳ねて手を高くしても、バードの奪ったクマに届かない。
自分だけが必死なのが腹立たしくて、シェリィはバードの胸を拳で叩いた。
「王太子妃になる私のクマを奪うなんて、凄く失礼よ! 返しなさい! 守護妖精なら私の命令をちゃんと聞くべきでしょ」
「王太子妃様は、権力を私利私欲のために使われません。無為に振り回せば、無辜の民がその拳に打たれて倒れるからです」
バードはアメジストの瞳を真っ直ぐに向けてシェリィに語った。だが、クマと無辜の民の話は、まだ子どものシェリィには結びつかない。
一般的な守護妖精に比べて、ちっとも従順しゃないバードに、いい加減シェリィも立腹していた。
「誰が主人なのか、考えなさいよ! 私の前に膝をついてクマを返すのよ、バード=シュタイ……」
妖精のフルネームを用いた命令は、契約によって拒絶することができない。だがシェリィはその命令を完結させることができなかった。
その前に素早くバードがクマをシェリィの口に押し付け、命令を止めたからだ。
「フガッ、な、何するのよ! クマちゃんを噛んじゃったじゃない!」
「いい加減になさい。見苦しい」
「そんなに食事にしたいなら、バード一人で行きなさいよ。私は今夜こそ、お父様と食べると決めてあるの!」
するとバードは心底嫌になった、と言いたげに深いため息をついた。
「――聞き苦しい……。まったく、世話が焼けますね。人間はただでさえすぐ感情を露わにしますが、子どもとなるとわがままが輪をかけて、本当にタチが悪いものです」
「私はわがままじゃないもん!」
「どうだか」と呟きながらバードがかがんで、ヒョイとシェリィを担ぎ上げる。
バードの肩に彼女の腹が当たり、まるで小麦粉の袋でも担ぐような乱雑な抱え方に、シェリィが顔を赤くして怒る。
「抱っこ! ちゃんと抱っこしてよ! お腹が苦しいよ」
「もう七歳ですよ、ご主人様。抱っこなどせがまないでください」
「どの口が言うのよ。七歳のレディを、担いで良いわけないでしょ!」
「おや、レディがどこに?」
至って冷静な声でそう反論し、バードはシェリィを無理やり廊下へと連れ出す。彼はそのままスタスタと進み、食堂へ向かう。
「まだ夕飯は食べないったら。おろしなさい! お父様に言いつけるからね! お父様はいつもわたしの味方なんだから」
「――人間の親というのは、全く理解不能です。うるさくて愚かで癇癪を起こす小さな怪獣の、どこが愛しいのか」
言いたい放題のバードに、廊下の曲がり角から思わぬ人物が言葉を返す。
「――やれやれ、急いで帰ってみれば。我が家は騒がしいな」
バードの背に肘をつき、ガバッと顔を上げたシェリィの視界に、苦笑する父の姿が飛び込んでくる。ちょうど公爵が帰宅したのだ。
一人娘と鉢合わせした公爵は、両手を広げて言った。
「遅くなってすまないな、シェリィ。ただいま」
バードがシェリィを下ろすなり、シェリィは父に駆け寄って抱きつく。
公爵は筋骨隆々とした両腕でしっかりとシェリィを抱き上げ、バードと争っていたせいで涙が滲む彼女の顔を、眦を下げて愛しそうに見つめた。
「お父様の小さなお姫様は、良い子にしていたかな?」
「してたわ。でもバードが悪い子だったの」
公爵は少し困ったように小さく笑い、シェリィの鼻を人差し指でつんと優しくつついてから、バードを見た。
そうして公爵は意味ありげな視線をバードに送りつつ、彼にしみじみと語った。
「さて、果たして人間の愛情とは、本当に妖精には相容れないものなのだろうか」
「公爵様、少なくとも私には親の心情は理解不能です」
公爵は穏やかに微笑んだ。
そして腕の中のシェリィを、愛情溢れるあたたかな瞳で見つめて、しみじみと言った。
「そうだな。確かに親の無償の愛とは、私にとってもこの子が生まれるまでは、全くの未知のものだったよ」
シェリィは公爵の発言をあまり理解できていなかったが、彼の胸元の金ピカの勲章が誇らしくて、その一つ一つに刻まれた模様を小さな指先で確かめている。
公爵は小さく笑った後で、熱心な眼差しをバードに向けた。
「私はね……、娘がわがままを言っている時も、腹が立つような生意気なことを言っている時も、そのすべての瞬間が愛おしい。愛とはそういうものなのだよ、バード」
バードはいつもの冷たいまでに整った顔で、なんの感情も乗せずにアメジストの瞳で公爵を見つめ返し、しれっと答える。
「人の無償の愛は、妖精には理解不能です。人は愛情で誰かと交際し、我々は条件で相手を選ぶものですから」
「ハハハ。たしかに君たちは、あくまでも魔術による契約で私達に仕えているからねぇ」
だが、いつか君にも愛が分かると信じているよ――公爵はそう言って、バードにお茶目なウィンクを送った。
(お父様。――お父様!)
目を覚ましたシェリィは、一瞬両目を大きく開けたが、すぐに自分の置かれた状況を思い出し、再び目を閉じた。うつ伏せで寝ていたシェリィの涙は全て枕に吸い込まれ、顔が冷たい。
シェリィが今いるのは、王宮の西の塔だ。
自分を抱き上げ、無償の愛を与えてくれた父は、還らぬ人となった。現実はかくも厳しい。
深いため息をつこうとしたシェリィは、次の瞬間ギョッとして息を止めた。
誰かが、自分の背中を撫でているのだ。
(えっ、誰⁉︎)
寝ている間に何者かが部屋にやってきたらしい。扉の外には、確かに見張りがいたはずなのに。
何者かがシェリィのすぐそばにいて、彼女を起こすことなく、背中を優しく上下に摩っている。
うつ伏せのままシェリィはカッと両目を開ける。
目線だけゆっくりと動かしてみれば、壁にぼんやりと明かりが映っている。
明かりはシェリィの背を撫でる動きと一致していた。
つまり、シェリィの枕元にいて彼女の背を撫でているのは、発光する存在だった。
シェリィは濡れた枕にほおを押し付けたまま、考えた。
シェリィのそばにいた発光体であったカイルは、もう光らないはずだ。であれば、思い当たるのは一人しかいない。
寝台に手をつき、シェリィは体を反転させながら上体を起こした。
寝台に腰掛け、シェリィの背を撫でているのは、先ほど大聖堂に現れて場を混乱に陥れたバードその人だった。
相変わらずいつどこにいても冷静沈着なその顔を前にして、シェリィの口から飛び出たのは自分でも予想外のセリフだった。
「バード、どこに行ってたのよ」
卒業パーティーの翌日に、突然アンジーの元に行ってしまったバード。その後は顔を合わせてもシェリィを無視し、アンジーに尽くしている姿を散々見せた挙げ句、最後はリンツ王国そのものすら、手玉に取っていたという。
大聖堂で奪っていった王杖はどこに置いてきたのか、今は持っていないようだった。とはいえ、今のシェリィには王杖などどうでも良かった。
言いたいことや確認したいことは山ほどあったし、五歳の頃から誰よりそばにいたはずのバードの、一切がわからなくなりかけている。
けれど再び二人きりで出会えた今、シェリィは本能で動いた。背中を撫でていたバードの手が離れないうちに、彼の背中に両手を回し、しがみつく。
「この嘘つき」
バードはシェリィに抱きつかれた直後、彼女から離れようと腰を浮かせた。だが彼女の必死さに諦めたのかすぐに力を抜くと、大人しく再びそのまま寝台に腰掛けた。
シェリィにとって、バードが今着ているローブは見慣れたものではなかったが、抱きついた時に伝わってくる彼の温もりや柔らかな光は、バードに他ならなかった。
バードはしがみつかれて腕を動かせなくなり、シェリィの背中を撫でられなくなった手をそっと下ろす。
「こんなの、納得できると思う? アンジーの守護妖精になったフリをしていただけじゃなく、お前は元々私の守護妖精ですらなかったなんて」
昂る感情に、震える声で尋ねるシェリィとは対照的に、バードが淡々と話す。
「残念ですが、私は守護妖精ではありません。十三年前、病床に臥した公爵夫人が貴女のために召喚術を発動させた時、貴女の守護妖精として召喚されたフリをしたのです」
「それは……婚約者である私のそばにいれば、マティアス殿下を近くで観察できるから?」
「その通りです。あの厄介な王子を見張る目的で、私は人間界に来ました。結果的に彼はステンに肩入れし、宗主国との間に争いの種をまく存在となり、その上貴女からアンジーに乗り換えてしまった。そんな頃にアンジーが召喚術を発動させたことに気づき、二度目の召喚をされた芝居を打ちました」
「私を騙して、裏切って、どれだけ傷つけたと思っているの。バードなんて大嫌いよ」
そう非難しながら、シェリィはバードが二度とどこかに消えてしまわないよう、力一杯しがみついた。
妖精はカイルとは違って触れられるし温もりがある。ようやく戻った自分だけのものだった温もりをまた忘れてしまわないよう、シェリィは冷えていた頬を彼の胸にぎゅっと押しつけた。
「公爵邸の捜索は、夜通し行われるはずです。明日には、国王が貴女を呼び出すでしょう。それまでお眠りください。手を握っていてあげますから」
バードがシェリィの体を寝台に横たえ、足元に丸まっていた掛け布団を彼女に掛ける。シェリィは抵抗しようとしたが、体は疲れ切っていて既に抵抗する体力がない。
されるがまま横になり、代わりにバードの手をしっかりと握る。
疲労のあまり自然と閉じていく瞼を半開きにして、むにゃむにゃと訴える。
「私が寝ても、手を握っていてよ」
答える代わりに、バードがシェリィの手をしっかりと握り直す。
「黙ってどこかに行かないでよ、バード」
「私はもう、貴女の守護妖精ではないのですよ」
「そんなの分かってるけど……。でも、そばにいてよ……」
シェリィの目が閉じると、バードは囁いた。
「私の気持ちも知らないで……」
その言葉がシェリィの耳に届く前に、彼女は再び眠りについていた。




