新しい使い魔は、かなり様子がおかしい
バシレオスが額に青すじを立て、状況を把握しようと家の中を歩き回り出す。
彼を追うシェリィは「困ったな。教科書を読んだだけじゃ分からなかったけど、まさかこんな風に、召喚された自覚がない妖精がいるなんて。召喚って色々と大変なんだわ」と右手で頭を抱えている。
やがてシェリィは魔術書を開き、パラパラとめくり始めた。
人差し指で文字をなぞりながら、記載内容をバシレオスに向かって読み上げる。
「『守護妖精の召喚術は、術者の強力な魔力で妖精を捕えるもの』とあるわ。『ですから、妖精は主人に従順な下僕になるでしょう』ですって。――おかしいわ。貴方はちっとも……」
「俺がなぜ、小娘に従順にならねばならんのか!」
バシレオスが腕組みをし、傲然とシェリィを見下ろす。シェリィはたじろいだのか、数歩後ずさった。だが負けじと魔術書を胸に抱え、体格差がある目の前のバシレオスを毅然と見上げた。
「召喚に応じた時点で、契約は成ったはずよ。――って、魔術書に書いてあるもの……」
バシレオスが全身から冷徹な空気を放ち、ギロリと青く鋭い目で睨むが、シェリィもそれ以上は後ずさらない。
公爵令嬢として、人前でやたらに顔を下げるなと教育されてきていた上に、シェリィは召喚した妖精に対して自分が主人であるという気概をしめさねばばならない、と考えた。
シェリィが咳払いをしてから言う。
「ええと、妖精さん。魔獣と戦っていたのに、タイミング悪く呼び出してしまって、ごめんなさいね。妖精界も魔獣がたくさんいるというものね。まずは状況を説明すると、ここは人間界のリンツ王国よ」
バシレオスは眩暈がした。リンツ王国は、ゴダイバ帝国の属国である七王国の一つだ。
そして何より、バシレオスを暗殺しようとした皇帝の第一妃の故郷でもある。両国の関係はいまだギスギスしていた。
足元の破れかけたゴワゴワの絨毯を見下ろしながら、自分の置かれた状況を分析する。
バシレオスは思った。ーーもしかして、皇太子たる自分の正体を明かすのは、危険かもしれない。
今目の前にいる怪しい召喚主は、何も知らない没落貴族の令嬢を装った、悪徳魔術師かもしれない。
そう、小娘はどんな背景を持っているのか、もしくは誰と繋がっているのかがわからない。ゴダイバ帝国の転覆を狙っている他国が後ろで糸を引いている可能性もあるし、まだ虎視眈々と皇太子位を狙っている第一皇子が、一枚噛んでいる可能性もある。
ならば小娘の誤解を利用し、妖精のフリをする方が、安全かもしれない。
ここは詳細を把握できるまで、様子を見た方が良さそうだ、と。
顎に手を当て、俯いて難しい顔で考えごとをするバシレオスの顔を、シェリィが覗き込む。
「魔術書には召喚術が成功したら、使い魔に名前をつけろと書いてあったわ。早速だけど、召喚した主人として貴方に人間界での名前をつけるわね。主人としての大事な仕事と権利だから。貴方の名前は、ええと。……何がいい?」
「は?」とバシレオスが手から顎を上げる。
「好きな名前はあるかしら? しまったわ、急に召喚することになったから、考えていなかったの。どんな名前がいい?」
そんなことを聞かれても、バシレオスはすぐに答えられなかった。「今日からどんな名前がいいか」なんて普通は聞かれることがないからだ。
バシレオスは本名を教える気はない。何でも良いから何か名前を挙げねば、と口を開く。
「そうだな……、カイル。俺のことはカイル・スミスとでも呼ぶがいい」
カイルはリンツ王国でありふれた名前だ。スミスも人口が一番多い苗字だ。バシレオスはなるべく自分の本名からかけ離れた名前にしたかったのだ。
おざなりに提案してみると、意外にもシェリィは素直にコクコクと頷いた。おまけに人畜無害そうな微笑を浮かべている。
「うん、わかったわ。いいわね。素敵な名前だわ。じゃ、貴方のことはカイルと呼ぶわね」
カイルとなったバシレオスが、シェリィの邪気のない笑顔に顔を引き攣らせながらも頷く。
「で、そなたは一体何者だ……?」
「シェリィ様」って呼ぶように言ったのに、とシェリィが少しだけ唇を尖らせる。
「……うぅん、やっぱり口の利き方がどうかと思うわ」
「なるほど。よし、不満があるなら俺を今すぐ元いたところに帰せ」
「えっ、ダメダメ! せっかく召喚術が成功したんだから、ちゃんとここにいて。召喚術は法律上、一生に一度しかできないんだから。召喚された妖精が使い魔となることを拒否するなんて、聞いたこともないのに!」
シェリィが慌てて両手を伸ばし、カイルの手に触れようとする。
「あれっ⁉︎」
だがシェリィの手はカイルに触れることなく、彼の体に透けた。カイルは目の前にたしかに存在するのに、まるで幽霊のように触ることができない。
「おかしいわ。触れない守護妖精だなんて。まだ呼び出したばかりだからかしら?」
カイルがテーブルに手を伸ばし、無造作に放り出されていた紙袋を摘み上げる。それを上下にふり、中のレーズンをマラカスのように音をさせて振ってみせた。
「物には触れられるぞ。人とは触れ合えんが、物には触れられるようだな」
そう言いつつ、紙袋に手を突っ込んでレーズンのつまみ食いを始める。
「俺には好都合だ。別に構わん」
「えっ、こんなの不都合しかないと思うけれど……。凄く不便そうだし」
「それで、ここはリンツ王国のどの辺りだ? 地図で説明いたせ。急にこんなことになって、率直なところ……俺は今不安で仕方がない」
「そうよね、ごめんなさい。慣れない人間界に突然召喚されて、困っているのはカイルよね。ここはリンツ王国の王都よ。私の叔父は公爵なの。ちなみに私は昨日、王立グランデ学院を卒業したばかりよ」
カイルが青い目をすがめる。
「ほう。リンツの王立グランデ学院といえば、名門中の名門だな。名家の子女しか入学できないと聞いている」
「あら、うちの学院は妖精界でも有名なのね」
シェリィの貧相なワンピースを、カイルの視線が無遠慮に見つめる。値踏みする視線に他ならない。
「その様子では、学院では相当浮いていたんじゃないか?」
「うっ……。そんな分析はしなくていいの。私がこうなったのは、ほんの半年ほど前からなのだから。とにかく、今日からよろしくね、私の守護妖精さん!」
そのなんの衒いもない笑顔を見た瞬間、カイルは思った。
もしかしたらシェリィと名乗るこの女性は、本当に公爵令嬢だったのだろうか。人がよすぎて、周りにいた悪意ある者に騙されて富を奪われたのかもしれない。
探るように自分の主人を見つめるカイルに向かって、シェリィはちょっぴり聞きにくそうに口を開いた。
「貴方は私の前の守護妖精より、若く見えるわ。何歳なのかしら。私は18歳なのだけれど」
するとフフンと顎を反らし、カイルが勝ち誇るようにシェリィを睥睨する。
「なんだ、やはり歳下じゃないか。そなたを『様』を付けて呼ぶ必要はあるまい。俺は22歳だ」
「22歳⁉︎ そんなに若い妖精には初めて会ったわ。大抵妖精って40歳以上だから。召喚に応じて界渡りができるのは、せいぜい30歳を超えた妖精だけだと、王立グランデ学院では教わったの」
「ま、まだまだ人間界も、妖精については研究不足のようだな。ハハ」
つい自分の実年齢を答えてしまったカイルは、目を泳がせながら答えた。
彼の動揺に全く気づく様子もないシェリィは、「年齢の近い妖精と初めて会えたわ!」と純粋に歓喜の笑顔を見せている。
カイルの髪を見て、シェリィがつぶやく。
「銀色の髪だなんて、とても素敵ね。月の雫みたいだわ。瞳の色も海のように綺麗」
心からの賛辞なのか、晴れやかな笑顔を浮かべるシェリィのややボサボサの茶髪を見ながら、カイルがぎこちなく礼を言う。
「月の雫と表現されるのは、初めてだな。気に入ってもらえて何よりだ」
カイルは困った。
どうやら事態を総括すると、こういうことのようだ――皇太子である自分が、自称貴族の娘のせいで体から魂を抜き取られてしまったらしい。
非常に厄介な事態だ。元公爵令嬢を名乗っているシェリィは一見邪気がなさそうだが、全て演技の可能性もある。
人を簡単には信用しないバシレオスは、自分が置かれた状況とシェリィの正体を正確に掴めるまで、事態を静観する安全策を取ることにした。




