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召喚したつもりも、召喚されたつもりもないけれど

 ゴダイバ帝国の皇太子、バシレオス=ダルメシアス=デフォン=ゴダイバは「帝国の死なずの剣」と呼ばれていた。

 見るもの全ての視線を奪うような美しい顔立ちに、騎士のような立派な体格。歴戦の戦士である剣の師匠さえ舌を巻くほどに、剣術の腕前も良い。

 持って生まれた魔力は強大で、大陸一名門の帝国大学を飛び級で卒業した。

 それでいて彼の立ち居振る舞いは、頭のてっぺんから爪先まで、気品に溢れていた。

 七つの王国を属国として従える強大なゴダイバ帝国の皇太子らしく、輝ける彼には油断も隙もない。


 ただし子どもの頃の彼には、過酷で暗い体験があった。

 バシレオスは第二妃の長男だったが、皇帝には既に第一妃との間に第一皇子がいた。

 第一妃は皇帝との間に、第一皇子と第二皇子の二人の息子に恵まれたが、第二皇子が夭逝した頃から皇帝の寵愛は第二妃に移ってしまった。

 すると「このままでは、私の産んだ第一皇子が、皇太子に選ばれない!」と第一妃は、危機感を覚えた。

 そうしてバシレオスは十二歳の時に「第一皇子である我が子を、なんとしても皇太子に」と目論む第一妃によって、暗殺されかけた。当時バシレオスの誕生日会が船の上で開かれていたのだが、船から火が上がったのだ。

 バシレオスは命からがら海に飛び込み、一命を取り留めた。彼を守るために部下が彼を抱えて飛び込み、部下自身は波の力で船の側面に叩きつけられ、バシレオスを庇って命を落とした。

 皇宮に戻るなり、バシレオスは復讐と自分の地位を固めることに尽力した。

 バシレオスの持ち帰った証拠と証言から、まずは首謀者として第一妃が捕えられた。彼女は属国である七王国のうちの一つ、リンツ王国の王女だったため、リンツ王国にも莫大な慰謝料を支払わせた。

 ついでに彼女の産んだ第一皇子を東の辺鄙な領地に封じさせ、年月をかけてその勢力を削いでいった。

 その後バシレオスは兵を率いて魔獣(まじゅう)達を帝国領土から放逐し、帝国民からの支持を得ることに成功した。暗殺の危機にあった皇子は、独力で皇太子の座を掴んだのだ。

 ところがそんな勇猛で高貴なバシレオスは今、見たこともないほどみすぼらしい家屋の中にいた。


「一体、何が起きている? ここはどこだ?」


 狭くてボロい建物に、飾りけのない簡素な家具。

 生まれた瞬間から帝国の皇子として、常に冷静でいるよう叩き込まれてきたバシレオスも、流石に今この時、久々にパニックになりかけていた。

 バシレオスから少し離れたところに、一人の貧相な女が立っていた。

 茶色の髪に、同じ色の瞳。印象に全く残らない、少し気弱そうで凡庸な顔立ち。女は左手に分厚い本を持っていた。

 華奢な彼女も驚いたように、目を極限まで丸く見開いてこちらを見上げている。


「そなたは何者だ⁉︎」


 バシレオスに怒鳴られ、目の前に立つ女が雷にでも打たれたようにビクリと震える。


「わ、私はシェリィよ。あの、ええと、貴方こそ一体誰? なっ、なんで……ここに」


 皇太子であるバシレオスは、シェリィのあまりに砕けた話し方に面くらった。大陸を統べるゴダイバ帝国の皇太子たる彼に、このような気安い言葉遣いで話す者など、今まで皆無だった。

 だが今はそれどころじゃない、と自分に言い聞かせる。

 バシレオスが側頭部を手で押さえながら、うめく。


「俺はさっきまで、雪の山脈で魔獣と戦っていたはずだ。奴らが湧き出てくるクレバスを破壊して、群れのボスについにトドメを刺すところだった。それなのに、俺はなぜこんなところにいる?」


 さっきまでバシレオスは追っていた魔獣の群れをほとんど駆逐しかけていて、群れのボスと対峙していた。

 魔獣は人を餌にする上に、獣の中で唯一魔力を持つ存在だ。極めて凶暴な獣であるため、人との共存は難しく、帝国や各国の魔獣討伐隊によって、近年ようやく北部に追いやることができたのだ。

 ボスは規格外に大きな個体で、仲間をたくさん殺されたせいか、バシレオスの体にもビリビリと振動が伝わりそうなほど、殺気立っていた。

 だが、あと少しでその生息域を劇的に小さくすることができる――その一心でバシレオスが剣を振り上げ、恵まれた身体能力を活かして魔獣に飛びかかろうとした瞬間を最後に、彼は急に意識を失った。

 そして気がつくとバシレオスは、正体不明のちっぽけな小娘と一緒に、ボロ屋にいたのだ。


「何が起きたんだ? もしや俺は、魔獣の氷攻撃を受けたのか? 近衛兵はどこだ? ここへ参れ、近衛兵!」


 大きな声を出して小さな家の中を歩き回るバシレオスを、シェリィも両手で自分の口元を押さえて泣きそうな顔で見上げている。


「どうしよう、私はバードを呼んだつもりだったのに。もしかして、妖精界から全然違う妖精を、召喚しちゃった⁉︎」


 バシレオスだけでなく、シェリィも混乱の極みにいた。

 シェリィが彼の頭から爪先までを、くどいほどに観察する。


「舐めるように俺を見るな。無礼者」


 眉間に皺を寄せ、不快感を(あら)わにするバシレオスの反応を無視し、シェリィが口走る。


「人間みたいなシャツとズボンを着ているけど、貴方は薄っすら発光しているから……妖精で間違いないわよね。――バードを呼べなかったなんて……!」

「さっきからそなたは何を申している。俺を誰だと思っているんだ。そもそも、ここはどこだ?」


 バシレオスが険しい目つきでシェリィを睨むと、彼女は何かに気づいたのか、ハッと息を呑んでからおずおずと説明を始めた。


「ごめんなさい、この魔術を使ったのは私なのだから、私が冷静にならなくちゃいけないわよね」

「魔術?」


 何を言っているのか、とバシレオスがより一層不機嫌になる。

 シェリィは自分の持つ本をチラリと見てから、彼の足元の召喚陣を指差した。シェリィが魔術で陣を描き、作り出したものだ。


「貴方の足下にあるのは、召喚陣なの。私が貴方を妖精界から、使い魔として召喚したのよ」

「――召喚? 使い魔?」

「ええ。貴方の主人は今日から、この私シェリィ=キャドベリーよ」


 何をふざけたことを、とギロリとシェリィを一瞥した後で、バシレオスは足元を見た。そして自分の足元で煌々と輝く召喚陣を見て、驚愕に目を見開く。

 よく見れば、シェリィが持つ本には「魔術高等編」と書かれている。どうやら魔術書を片手に、召喚陣を作ったらしい。


「そんな馬鹿な。本当に魔法か? だが王侯貴族しか使えないはずの魔法を、なぜ。どう見てもここは庶民のーー」


 流石にバシレオスは言葉を濁したが、こう言いたかった。お前は貴族にはとても見えないし、ここは庶民の住宅にしか見えないのに、と。

 話の流れとバシレオスの視線から、彼が言わんとすることを悟ったのか、シェリィが意図を正確に汲んで答える。


「庶民にしか見えないかもしれないけれど、私こう見えても公爵家の一員なのよ。昨日自分の使い魔を従姉妹に奪われてしまったから、取り返そうと思って守護妖精の召喚術をやってみたの」


 そうシェリィが説明する間にも、バシレオスの足元の召喚陣は仕事を終えたからか急速に輝きを失っていき、すぐに跡形もなく消えた。

 魔術が完全に終わるのを見届けてから、シェリィが一度言葉を区切り、言いにくそうに続ける。


「ええと、あくまでもバード……、奪われた私の妖精を呼んだつもりで、誰かを妖精界から召喚するつもりはなかったのだけれど。まさか新しい妖精が召喚できるなんて、想像もしていなくて」


 バシレオスは理解し難い展開に全身を硬直させて警戒を醸し出し、疑い深い目つきでシェリィを睨んでいる。

 その敵意溢れる視線に動揺し、シェリィがかすかに震える手を胸の前で組む。

 召喚陣は近づきすぎると自分も吸い込まれてしまうことがあるため、シェリィは壁際まで離れて立っていたが、ようやくおずおずと居間の中心まで歩き、バシレオスに近づく。

 バシレオスを近くで見上げて、シェリィは緊張しつつも、必死に小さな愛想笑いを浮かべた。


「あ、あの。でも、貴方にはお礼を言うべきよね。――私の召喚術に応えてくれて、本当にありがとう」


 シェリィはゆっくりと説明をしたが、バシレオスはまるで別の言語でも使われたかのような気分だった。


(話を聞く限り、俺は魔獣との戦闘中に、このシェリィという女に召喚されたということか? まさか、皇太子である俺を本当に妖精だと思い込んでいるのか? 俺は魔獣との戦闘中に、この女に魔法で呼び出された?)


「なんてことだ。あり得んだろう……」


 軍服を着たままだが、剣がない。ジャケットもどこかにいったようだ。

 しかも自分の体はまるで妖精のように薄っすらと発光しているではないか。


(まずい。実体を伴わず、魂だけここに呼び出されたということか? 俺の体は今、どうなっているんだ?)


 戦いの最中に自分が抜け殻のように気を失ったとしたら、共に戦っていた兵達はさぞ仰天しているだろう。

 皇太子が意識不明、と分かれば帝国の支配下にある七王国が、不穏な動きを始める可能性もある。帝都から遠ざけた憎き第一皇子も、起死回生の動きを始めるかもしれない。

 ボロ屋とパッとしない平凡な少女の組み合わせからは事態の深刻さが分かりにくいが、皇太子バシレオスにとって、これはかなりひどい状況だ。

 差し迫った事態にいることに気づいたバシレオスは、シェリィの重大な認識の誤りを正すべく、冷静な口調で話し出した。


「よいか、自称公爵令嬢」

「もと公爵令嬢よ。私のことはシェリィ様と呼びなさい」


 使い魔だと思い込んで主人ヅラするシェリィに軽く苛立ちつつ、バシレオスは続けた。


「クソっ、仕方ないな。シェリィ、そなたは……」

「シェリィ様」

「チッ。シェリィ様……」

「舌打ちなんてしたら、ダメよ! お行儀が悪いわ。それになんだか……貴方って、話し方が変わっているわね」


 バシレオスがいかにも心外な指摘を受けた、と言いたげに眉間に深い皺を寄せ、シェリィをギロリと睨む。


「俺のこの話し方の、何がおかしいと言うのだ?」

「いや、だって……。なんていうか、人間界なら大神官様か皇帝くらいしか、人のことを『そなた』なんて言わないから。そ、それに私を威嚇するみたいに睨むのもいけないわ」

「この状況の全てがおかしいからだ! 俺はちょうど魔獣討伐の佳境だったというのに」


 舌打ちはやめたが、まだなおバシレオスはシェリィを目線だけで殺せそうなほど睨みつけている。

 するとシェリィは困った様子で「うぅん、出だしが肝心よね。使い魔の教育は自分でしなくちゃ」と両手を腰にやり、バシレオスに対して威厳を示すように顎を反らした。


「ねぇ、妖精さん。召喚術が成った以上、私が貴方の主人のはずなのよ」

「いい加減にしろ。そなた……お、お前は俺を誰だと思っている!」

「誰って……貴方は、私の守護妖精でしょう?」

「――参ったな。話がさっぱり噛み合わん……」

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